仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

日本語のヒミツ1①

2023年02月15日 | 日記

『韓国人には理解できない 謙虚で美しい日本語のヒミツ』(2022/10/3・呉善花著)からの転載ですが、よくご往生された深川倫雄和上が「お土産を頂いたではなく、お土産を下さった」と相手中心の会話をすべしというご法話がありました、まさにそのことが記されていました。以下転載

 

「先生が叱った」と「先生に叱られた」の違いは大きい

 

 韓国人の場合、来日以後、比較的短期問で、生活習慣や文化の違いを乗り越え、日本でスムーズに暮らせるようになります。ところが、滞在が1年を過ぎて日常会話が使えるよになった頃には、別の問題が起きてきます。「日本語の言い回し」に混乱するようになるのです。

 すでにお話ししたように、日本論と韓国語は語順が同じです。また、文法もきわめて似ています。来日1年日くらいまでに覚える簡単な日常会話くらいまでなら、すんなりと理解することができるのです。

 ところが1年を過ぎてより深い日本語を使おうとしたとき、つまずきやすいポイントがあるのです。それは、(受動能(受け身)」です。

 日本語では、ほとんどの助詞を受動態に変化させることが可能です。例えば、「社長が言った」は「社長に言われた」、「先生が叱った」は「先生に叱られた」、「友達が勧めた」は「友達に勧められた」のように受け身の表現に変えられます。そして、受動態にするほうが日本語として自然なケースも多いのです。皆さんも、「先生に褒められた」「私のお茶を飮まれてしまった」「隣でたばこを吸われると困ります」「泥棒に入られた」などの受動態を、無意識のうちに使っているのではないかと思います。

 ところが韓国語では、このような言い方はほとんどしません。「社長に言われた」ではなく、基本的には「社長が言った」と表現します。受動態で使われるのは、「この本はよく読まれています」「この映画はよく知られています」「この伝承は昔から伝えられています」「この商品はよく売られています」といった限られた形だけで、ほとんどの場合は能動態で使われるのです。

 日本語学校で受動態を習ったとき、私は「日本人はなぜ、まどろっこしい受動態を使うのだろうか。意味は同じなのだから、わざわざ受動態にせず、能動態で表現すればいいではないか」と思いました。それで、私にとっては難しかった受動態の勉強をさぼってしまったのです。私は結局、来日から5年くらいの間はほとんど受動態を使わず、能動態だけでコミュニケーションを取っていました。

 もちろん、能動態でも意味は通じます。ただ、日本語のネイテイブスピーカーならおわかりだと思いますが、能動態ばかり使う日本語はキツい印象を与えてしまうのです。「私のお茶をあの人が飮んでしまった」と言うより、「私のお茶が(あの人に)飲まれてしまった」と表現するほうが、角が立ちづらいといえるでしょう。(つづく)

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