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仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

羞恥心

2013年11月20日 | 日記
『世界ナゼそこに日本人』(25.11.18テレビ東京放映)で、パプアニューギニアの原住民の間で正装として使われているコテカ(ペニスケース)をつけた民族を紹介をしていました。コテカは、民族衣装の一種で男性用の下着にあたるという。

居住区では、裸にコテカだけで暮らしている若者も、町へ出るときは洋服を着ている場面が紹介されていました。

番組制作者が「え。なぜ洋服を着るの?」と質問すると、彼の若者は、ニヤッとして「はずかしいもの」と率直に応えていました。

その「はずかしい」の言葉に、人間に共通する「恥ずかしさを感じる心」が思われ、すごく親しい気持ちになりました。それとともに妙好人磯の与一(椋田與市・一八四一(天保十二)年出生)の逸話を思い出しました。

與市がある家を訪ね、縁側で話をしていると、その家の娘さんが来て、箪笥の上にあるものを取ろうと背伸びした。その時、腰が細くなり腰巻がはずれる。慌てた娘さんは腰巻を整えて與市の前に来る。與市は、「はんときゃーどうじゃった」(腰巻がはずれて、下半身が露わになったときは、どのような気持であった)かと訊ねた。娘さんは「そらー、恥ずかしいばっかりだったと」と顔を赤くして言った。與市は「恥ずかしーという思いは、一人では起きんからな」と念仏を喜んだ。(以上)

與市の日常生活の中に、常に「おはすかしい」という気持ちがあったので、恥ずかしさを思えるところに、如来に見られているという事実があることを思い、逸話の言葉になったものです。

彼の原住民の「はずかしいから」という思いは、第三者の眼を意識できる証でもあります。また、何を恥ずかしいと感ずるかというところに、その人の精神文化の深まりがあるようです。
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一字違いで大違い

2013年11月19日 | 日記
早朝ウオーキング。最近はお説教を聞きながら歩いています。今日聴いたところに「“美味しいものを食べる”と“美味しくものを食べる”の“い”と“く”の違い」の味わいを話されていました。12月に結婚披露宴に行くから、この話を話すかなどと回想しながら聴いていました。

「一字違いで大違い」、「俺がやらなきゃ誰がやる」と、「俺がやらなきゃ誰かやる」では責任感が変わります。「私が仏教を学ぶ」と「仏教に私を学ぶ」、これは組み換え違いの一字違いです。

最近、お話の中で、たとえばお経を読むということであれば、「このお経はどのような意味があるか」ではなく「このお経は自分にとってどのような意味があるか」が大切ですと話すことがあります。

遺伝子組み換えではなく、言葉の組み換えによって、異質なもののとの出会いが開かれるようです。
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花嫁衣裳の3色

2013年11月18日 | セレモニー
NHKの朝のドラマ「ごちそうさま」の嫁いびりが批判されていると昨日の新聞報道にありました。私はドラマを見ていないのでコメントできませんが、その報道で「家風に染まる」という意識が希薄化していることが思われました。いや家風に染まるという文化そのものが特別なもののようです。

家元やお寺、伝統的な家内工業といったと場には、まだまだ「家風に染まる」ということが残っているようです。

ふと思い出しましたが、現在のご門主様と、何気ない会話の中で味噌汁の話が話題となったことがありました。「ご門主様のご家庭は、京都ですから白みそですか」とお尋ねすると、お答えされたお言葉はしっかり覚えていませんが、家風に染まるといった趣ではないようなお答でした。「家風に染まる」のではなく「嫁色に染まる」のが現代であるようです。

ネットで見たことですが、和装結婚式を挙げるにあたって、花嫁衣裳の3つの種類、白無垢、色打掛、引き振袖(お引き摺り)は、婚礼の3原色といわれ、

白色 =「清浄潔白」 「嫁ぎ先の家風に染まる」
赤色 =「内に秘める情熱」 「一生懸命にお仕えする決意」
黒色 =「嫁いだ後に他の色に染まらない」
いあらわしているとあります。

既成仏教は家の宗教として伝承されてきましたが、「嫁色の染まる」ことによって浄土真宗に帰依するということもあります。良いものの良さをしっかり伝えることが大切なのでしょう。
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築地本願寺での法話

2013年11月17日 | 日記
今日(25.11.17)は珍しく、築地本願寺での法話です。晨朝後の法話、午前10時40分から50分一席、午後は1時10分から35分に2席です。昨日まで報恩講、そのおさらいのお座です。
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もみじと阿弥陀仏

2013年11月16日 | 日記
早朝、昨夜つけっぱなしだったラジオが聞こえ始める。「阿弥陀仏が…」との言葉に、ぼんやりと「そういえば朝の深夜便明日への言葉は、京都・永観堂法主が…」と思いだし、聴いていました。後で番組表を見ると題は「人生の錦秋~花のように心を開いて生きる」京都・永観堂法主 中西玄禮師のインタビューでした。

永観堂は禅林寺(ぜんりんじ)と言うそうで、見代りの阿弥陀仏本尊が有名です。開基(創立者)は、空海の高弟の真紹僧都であったが、禅林寺12世の僧都静遍(1166年 - 1224年)が、法然聖人に帰依して、禅林寺は真言宗から浄土宗西山派(小坂流)の寺院となったという。

もみじが有名で、深夜便の中でも法然聖人の歌「阿弥陀仏に 染むる心の 色に出でば 秋の梢(こずえ)の 類(たぐ)いならまし」と紹介していました。秋にさまざまな葉っぱが、その葉なりに阿弥陀仏色に染まっていくという歌らしい。

番組の中で『仏説無量寿経』の中の言葉を、いくつか紹介していました。「和顔愛語にして、意を先にして承問す。勇猛精進にして志願倦むことなし。」の言葉を引用して、「人は相手の心に同じて、笑顔をもって暮らそう」(意趣)、「強い願いを持ち続けることが重要」(意趣)などと、経典の言葉を人としての理想として語っていたことが、浄土真宗との違いを強く印象づけました。
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