仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

文化としてのマナー②

2015年12月17日 | 日記
昨日の続きです。徳川 義親は次のように書いています。

人の家を訪ねる時、門を入ると玄関の外で、外套・襟巻を脱ぎ、或はコート∴月掛をとってから案内を乞ふ人が多いやうだが、これでは荷物を持ってゐるときなど困ってしまふ。コート類は玄関の外で脱がずに、着たま丶案内を乞ひ、「お上りなさい」と言はれて、よってから脱ぐのが正しいのである。もっとも玄関の構造によっては、「上りなさい」と言はれてから、上る前に脱ぐこともある。(以上)

マナー本に書いてあることが正しいマナーであると思ってしまってる現代人にとっては迷うところです。


さて次のことを書くことが目的です。徳川 義親は次のように書いています。


 履物は表向きの客として行った場合には、キチンと揃へて脱ぎ、其儘上ればよい。即ち家の中の方へ向いて脱いだままでよろしい。それを直すのは主人の側の礼である。普通の場合もそれでよいのであるが、家人になるべく世話をかけないといふ意味で、ことに婦人などは、よってから振り返って直すのはよいことである。よく玄関で後向きになって即ち家の中へ尻を向けて脱ぐ人かおるが、あれは一種の便法である。後向きに脱いで、足先でチョツチョツと靴を揃へるなどといふのは甚だ失礼である。直すならば、上ってから振り返って手で直すのが本当である。(以上)

この靴に脱ぎ方は、私も書きましたが、「それを直すのは主人の側の礼である」が理解されていないと、「無礼なやつ」となりそうです。私は使い分けて、月忌などは、後ろ向きに脱いで上がり、お寺に招かれた時は、そのまま脱いだまま上がることにしています。皆さんはどうですか。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 文化としてのマナー | トップ | ポジティブ心理学 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事