今日(24.4.16)のNHK深夜便「明日へのことば」は「大好き日本、風景はいつも新世界」と題して、詩人・絵本作家である アーサー・ビナードアーサー・ビナードさんでした。
アーサー・ビナードさんは、日本人よりも日本語が上手で、言葉の使い方も巧みでした。印象的な言葉は「言葉眼鏡(ことばめがね)で、違うレンズを通して世界を 見ると変わって見える」とのことです。
ネットから引いたものを加味していえば、
日本語は英語に比べて一人称が多様です。“わたし、わたくし、おれ、あたし、あたい、われ、うち、それがし、せっしゃ、おいどん、ちん”などなどです。そして(日本語は)自分が使う一人称で、自分を自由に表現できる。と同時に、自分が選んだ一人称によって、心を見つめるレンズが変わるというのです。
そして物事を日本語でみたとき、今までと違った感覚でものが見えてきた、その1つの例として童話「ジャックと豆の木」を上げ、創作した1つの詩を紹介されました。
日本人は、日本語と言うレンズで見ることが当たり前なので、物事を常日頃、使っている日本語で表現すること自体には感動しません。
ところが英語文化圏で育ったアーサーさんには、日本語の中に隠れている情感や物語が意識されるので、新しい発見があるようでした。そしてその発見されたことを日本人が聴くと、その言葉を通して、新しい世界が広がっていきます。
ラジオを聴きながら思ったことは、仏教語も同じことだということです。仏教と無関係に育った人が、1つの仏教語に触れて、今まで見えていなかった新しい世界を発見して、それを大衆に語り、その話を聴いた人も、感動するということがあります。
いつも仏教に触れている仏教者ゆえに、見えなくなってしまっている視点があるということです。もう少し言えば、仏教用語を、一般の人にわかる言葉に翻訳して伝えることが大切なのではなく、仏教用語というレンズを通して見えてくる世界に同調して伝えることが大切だと言うことです。まさにアーサーさんが、日本語に感動して、語り続けているようにです。
アーサー・ビナードさんは、日本人よりも日本語が上手で、言葉の使い方も巧みでした。印象的な言葉は「言葉眼鏡(ことばめがね)で、違うレンズを通して世界を 見ると変わって見える」とのことです。
ネットから引いたものを加味していえば、
日本語は英語に比べて一人称が多様です。“わたし、わたくし、おれ、あたし、あたい、われ、うち、それがし、せっしゃ、おいどん、ちん”などなどです。そして(日本語は)自分が使う一人称で、自分を自由に表現できる。と同時に、自分が選んだ一人称によって、心を見つめるレンズが変わるというのです。
そして物事を日本語でみたとき、今までと違った感覚でものが見えてきた、その1つの例として童話「ジャックと豆の木」を上げ、創作した1つの詩を紹介されました。
日本人は、日本語と言うレンズで見ることが当たり前なので、物事を常日頃、使っている日本語で表現すること自体には感動しません。
ところが英語文化圏で育ったアーサーさんには、日本語の中に隠れている情感や物語が意識されるので、新しい発見があるようでした。そしてその発見されたことを日本人が聴くと、その言葉を通して、新しい世界が広がっていきます。
ラジオを聴きながら思ったことは、仏教語も同じことだということです。仏教と無関係に育った人が、1つの仏教語に触れて、今まで見えていなかった新しい世界を発見して、それを大衆に語り、その話を聴いた人も、感動するということがあります。
いつも仏教に触れている仏教者ゆえに、見えなくなってしまっている視点があるということです。もう少し言えば、仏教用語を、一般の人にわかる言葉に翻訳して伝えることが大切なのではなく、仏教用語というレンズを通して見えてくる世界に同調して伝えることが大切だと言うことです。まさにアーサーさんが、日本語に感動して、語り続けているようにです。
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