『不便益のススメ: 新しいデザインを求めて 』(2019/2/21・川上浩司著)、不便さの利点や「便利なことは良いこと」を打ち砕いてくれる本でした。
便利の反対を不便、益の反対を害と呼ぶことにしましょう。ここまでは、異論はないはずです。さて、ここからが意見の分かれるところですが、果たして便利は必ず有益なことでしょうか?
ここまでで不便だからこその益があることや、便利に害がある例を見てきました。
平らな園庭より不便なデコボコ園庭のほうが,園児を活き活きとさせます。バリアフリーより不便なバリアアリーのほうが、身体能力の衰えを緩やかにします。ツアーバスに連れていってもらうより不便なツアーのほうが思い出が残ります。
(便利とは何か)
検索した上位100頁ぐらいでは、ひっくるめると「便利」という言葉は以下の意味で使われていました。「何かのタスクを達成する時に労力が少ないこと] そして、この時の労力は「手間がかかることか,頭を使わねばならぬこと]でした。
「タスクを達成する」は,辞書による定義には含まれませんが、「目的を果たす」ことが意識されねば、便利も不便もないでしょう。「少ない]と言っているからには、比較の問題だということを暗に示しています。「更利]や「不便」と言う場合は、何か比較対象が必要なようです。これで、客観的な便利のモノサシを手に入れました。「どちらのほうが手間がかかっているでしょうか」とか「どちらのほうが頭を悩ますでしょうか」と問えば,みんなが同じ答えを出してくれます。つまり客観的です。
本書ではここまで、この客観的なモノサシで「便利」や「不便」と言っていました。ところが本来は、「更利」や「不便」と「感じる]ことは主観のはずです。「どちらのほうが便利でしょうか」と問えば、人によって答えは違うはずです。ですから、それを客観的に定めようとするのは無理かあったのです。
スポーツやゲームは,ルールに縛られずに好き勝手に動き回っている時と比べれば,手間もかかるし頭も使います.しかし,これを「不便」と言うかと問われると、違和感があります。「不便」と言う時にはネガティブな感情がまとわりつかねばならぬかもしれません。
ただ,調べた約100のウェブページは、この奇怪な客観的定義で説明できてしまうような「便利」という言葉の使い方をするものがほとんどでした。そして、特に製品の宣伝をするページでは「便利=豊か]という文脈で語られていました。
本書で「不便益」と言う時は、「この奇怪な客観的便利を追求していれば豊かなのか?」を問うているのです。
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