『法華経』に、有名な4人の妻の話があります。
ある国に一人の大金持の男が住んでいた。この男には四人の妻がいた。男は四人の妻の中でも第一夫人を最も愛し大事にしていた。男は第二夫人も第一夫人にかわらぬくらい愛していた。そして第三夫人も大事にしていた。が第四夫人にはあまり愛情をかけなかった。
この男が、その国へ移り住むことになった。そこで第一夫人に、「わたしは、お前を最も愛し大事にしてきた。だからわたしといっしょに他国へついてきておくれ」と頼むが、「いえ、わたしはあなたとこの国でいっしょに暮らしましょうとは申しましたが、よその国へ移り住むなどという約束はいたしませんでした」と断わられる。
第二夫人に頼むと、第一夫人同様に男の頼みを拒否します。
第三夫人を連れて行こうとすると、「いえ、わたくしもよその国まではいっしょに移り住むことはできません。でもせめて国境まであなたをお見送りいたしましょう」という。
最後に日頃そまつにしていた第四夫人に頼むと、「はい、わたくしは喜んであなたにお供し、どこへでも移り住みましょう」という。
第一夫人は自分の肉体、身体であり、第二夫人は財産。第三夫人は自分の子供を、第四夫人は善い行いと信仰を表しているという経説です。
西洋にもまったく同じような道徳劇があります。
有名は15世紀の英国の道徳劇に「エヴリマン」 という劇です。
エヴリマンとは万人という意味ですが、時代によって色々と脚色され演じられているようです。
エブリマンは虚しい快楽をむさぼる生活をしていたが、ある日突然、死に神と対面する。エブリマンは神の裁きを受けに行かねばならず、その道中を共に歩んでくれる仲間を必死に探す。友だちと思っていた富や知識や美などを象徴した人々にみな、彼の旅に同行することを拒みます。そして最後に「善行」に行き着くというストーリーです。
善行とは、私の上で言えば念仏です。念仏を大切にし念仏を悦ぶ心を相続する。それが最高の財産であるという話しで、うなづける話です。
興味があるのは、東洋は家族というスト―リーで話しが組み立てられ、西洋は、ひとりの男として登場している点です。
同じ趣旨であっても、文化の違いが見えて面白い。
個人主義の現代日本では、4人の妻よりもエヴリマン的は表現の方が、受けるかもしれません。
ある国に一人の大金持の男が住んでいた。この男には四人の妻がいた。男は四人の妻の中でも第一夫人を最も愛し大事にしていた。男は第二夫人も第一夫人にかわらぬくらい愛していた。そして第三夫人も大事にしていた。が第四夫人にはあまり愛情をかけなかった。
この男が、その国へ移り住むことになった。そこで第一夫人に、「わたしは、お前を最も愛し大事にしてきた。だからわたしといっしょに他国へついてきておくれ」と頼むが、「いえ、わたしはあなたとこの国でいっしょに暮らしましょうとは申しましたが、よその国へ移り住むなどという約束はいたしませんでした」と断わられる。
第二夫人に頼むと、第一夫人同様に男の頼みを拒否します。
第三夫人を連れて行こうとすると、「いえ、わたくしもよその国まではいっしょに移り住むことはできません。でもせめて国境まであなたをお見送りいたしましょう」という。
最後に日頃そまつにしていた第四夫人に頼むと、「はい、わたくしは喜んであなたにお供し、どこへでも移り住みましょう」という。
第一夫人は自分の肉体、身体であり、第二夫人は財産。第三夫人は自分の子供を、第四夫人は善い行いと信仰を表しているという経説です。
西洋にもまったく同じような道徳劇があります。
有名は15世紀の英国の道徳劇に「エヴリマン」 という劇です。
エヴリマンとは万人という意味ですが、時代によって色々と脚色され演じられているようです。
エブリマンは虚しい快楽をむさぼる生活をしていたが、ある日突然、死に神と対面する。エブリマンは神の裁きを受けに行かねばならず、その道中を共に歩んでくれる仲間を必死に探す。友だちと思っていた富や知識や美などを象徴した人々にみな、彼の旅に同行することを拒みます。そして最後に「善行」に行き着くというストーリーです。
善行とは、私の上で言えば念仏です。念仏を大切にし念仏を悦ぶ心を相続する。それが最高の財産であるという話しで、うなづける話です。
興味があるのは、東洋は家族というスト―リーで話しが組み立てられ、西洋は、ひとりの男として登場している点です。
同じ趣旨であっても、文化の違いが見えて面白い。
個人主義の現代日本では、4人の妻よりもエヴリマン的は表現の方が、受けるかもしれません。
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