『月間住職』(2014.12号)「葬儀でピースサインをしてしまう若者たち」の話題を、宗教学者の内藤理恵子氏が書いていました。
“「仲間がバイク事故」で亡くなってしまい、棺桶に入った故人の死に顔や故人の遺影を友人十人で取り囲み、みんなでヒースサインをしたところを記念撮影し、なんとその画像をインターネット上に掲載してしまったのだ。けれども、本人たちには不謹慎な気持ちはないようで、その写真と共に(バイクに乗った自分の友達二人が亡くなりました。ほんとに大切な仲間で……)と故人を心から悼む文章を載せているのである。彼らの非礼を責める前に、立ち止まって考えたい。彼らには、故人を前に合掌するということを学ぶ機会がなかったのかもしれないのだから。”
他人事ではありません。もう15年前、あるご家庭で、家族である大学生に、法事の前「合掌しましょう」と言ったら、後の雑談の折「何が歌うのかと思った」と言われたことがあります。儀礼、考え方、価値観、大切なものが見えなくなってしまっています。
“「仲間がバイク事故」で亡くなってしまい、棺桶に入った故人の死に顔や故人の遺影を友人十人で取り囲み、みんなでヒースサインをしたところを記念撮影し、なんとその画像をインターネット上に掲載してしまったのだ。けれども、本人たちには不謹慎な気持ちはないようで、その写真と共に(バイクに乗った自分の友達二人が亡くなりました。ほんとに大切な仲間で……)と故人を心から悼む文章を載せているのである。彼らの非礼を責める前に、立ち止まって考えたい。彼らには、故人を前に合掌するということを学ぶ機会がなかったのかもしれないのだから。”
他人事ではありません。もう15年前、あるご家庭で、家族である大学生に、法事の前「合掌しましょう」と言ったら、後の雑談の折「何が歌うのかと思った」と言われたことがあります。儀礼、考え方、価値観、大切なものが見えなくなってしまっています。
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