昨日(25.3.2)の産経新聞「産経抄」に『言葉は時代とともに変わる。ことわざも誤用が繰り返された結果、本来とは正反対の意味で使われるのが一般的になったものが結構ある。さしずめ「情けは人のためならず」は、誤用ことわざの横綱である。
▼2年前に文化庁が実施した世論調査では、半数近くが「情けをかけて他人を助けるのは、結局その人のためにならない」と意味を取り違えていた。「他人に情けをかければ、めぐりめぐって自分に良い報いがある」と正しく答えた人との差はわずか0・1ポイントだった。』(以上転載)とありました。
「情けは人のためならず」とは、人に情けをかけているという世相があって、その事実に対して、その事実を積極的の肯定する言葉として「それは人のためだけでなく、まわりまわって自分のためでもある」という言葉が生きてきます。
ところが人に情けをかける世相が希薄化している現代では、現実を肯定する言葉として上記の受け取り方になってしまうのだと思います。
「世間体を気にする」という言葉があります。昔は世間体一色であったものが、「世間体ばかり気にして」と世間より自分を大切にしようとする人が現れました。しかし現代のように、世間体そのものを身につけていない人が登場してくると、「世間体にとらわれない」という言葉自体が無意味で、むしろ少しぐらいは世間体を考えろとなります。
「執着を捨てる」という仏教の考え方も、その前提に執着を持つという健全(?)な自我の成立があってこそ、「執着を捨てる」という言葉が意味を持ってきます。
「浄土に生まれる」ということも、この世は苦しみの世界で絶ちがたい愛欲に縛られている世界であるという認識があったとき、「浄土に生まれる」という言葉が意味を持つのだろうと思います。
そう考えると、これほど個性豊かな時代になると、言葉とその言葉が持っている実態が、人によって相違するので、不特定多数の人に仏教を説くことは、よほどの注意が必要です。
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