『寺門興隆』(2012.7)に、大阪教育大学院教授の岩田文昭氏が「学校で生と死はいかに教えられているか」を執筆されていました。
1951年自宅で死亡する人82.5%、2010年自宅死亡者は12.6%、1949年施設外(主に自宅)で誕生する割合は96.4%、病院など施設で誕生は3.6%、現在では自宅で誕生する人は0.2~0.1%、いのちの誕生と死が見えなくなっています。
文章から要になる部分を転載します。
いのちを尊重する根拠は何か
ところが、ここに難しい問題がでてきます。「いのちの教育」に関する原理的な問題です。それは「いのちを尊重する枇拠」という問題です。小中学生にいのちを尊重することを教えることに多くの人に異論はなく、教育関係者もそれを教えることを積極的に推進します。しかし、その恨拠になると判然としません。いったい、どのような枇拠が考えられるでしょうか。小学校の道徳授業のために、教科書会社が先生用の資料を出しています。その中に生命尊重の根拠として次の八つのことか挙げられています。
≪生命を尊重する理由としては、
① 無条件の価値を持つ人格の基礎だから
② 生命は不可知なものだから
③ 生命は一回限り唯一固有性をもち、有限だから
④ 生命は宇宙開始以采の連続性をもつものだから
⑤ 生命は他の動物・植物の生命を犠牲にして成しするものだから
⑥ だれでも 「生きたい、死にたくない」という欲求をもっているから
⑦ 周囲の人々の「生きてほしい」という願いがあるから
⑧ 生命を勝手に左右してはならないという宗教的要請があるから
などが考えられる。発達段附に応して理解させた≫「小寺正一・藤永芳純他編『小学道徳生きる力』(教授用資料)大阪府版3年ー大阪書籍(以上転載)
執筆者の結論らしきものは“学校教育ができるのは、「いのちを尊重する根拠」そのものを教えることではなく、このような問いを問いとして育むことなのです”とあります。
執筆者の考えに賛同します。どうしても「いのちの尊重する根拠」を伝えたくなりますが、先に示された根拠を、そう思えることが重要であり、単に“~だから”と根拠をしましたとしたら、“~でないから抹殺”という根拠となってしまいます。
1951年自宅で死亡する人82.5%、2010年自宅死亡者は12.6%、1949年施設外(主に自宅)で誕生する割合は96.4%、病院など施設で誕生は3.6%、現在では自宅で誕生する人は0.2~0.1%、いのちの誕生と死が見えなくなっています。
文章から要になる部分を転載します。
いのちを尊重する根拠は何か
ところが、ここに難しい問題がでてきます。「いのちの教育」に関する原理的な問題です。それは「いのちを尊重する枇拠」という問題です。小中学生にいのちを尊重することを教えることに多くの人に異論はなく、教育関係者もそれを教えることを積極的に推進します。しかし、その恨拠になると判然としません。いったい、どのような枇拠が考えられるでしょうか。小学校の道徳授業のために、教科書会社が先生用の資料を出しています。その中に生命尊重の根拠として次の八つのことか挙げられています。
≪生命を尊重する理由としては、
① 無条件の価値を持つ人格の基礎だから
② 生命は不可知なものだから
③ 生命は一回限り唯一固有性をもち、有限だから
④ 生命は宇宙開始以采の連続性をもつものだから
⑤ 生命は他の動物・植物の生命を犠牲にして成しするものだから
⑥ だれでも 「生きたい、死にたくない」という欲求をもっているから
⑦ 周囲の人々の「生きてほしい」という願いがあるから
⑧ 生命を勝手に左右してはならないという宗教的要請があるから
などが考えられる。発達段附に応して理解させた≫「小寺正一・藤永芳純他編『小学道徳生きる力』(教授用資料)大阪府版3年ー大阪書籍(以上転載)
執筆者の結論らしきものは“学校教育ができるのは、「いのちを尊重する根拠」そのものを教えることではなく、このような問いを問いとして育むことなのです”とあります。
執筆者の考えに賛同します。どうしても「いのちの尊重する根拠」を伝えたくなりますが、先に示された根拠を、そう思えることが重要であり、単に“~だから”と根拠をしましたとしたら、“~でないから抹殺”という根拠となってしまいます。