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仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

看取り士

2020年02月22日 | 苦しみは成長のとびら
『毎日新聞』(2020年2月18日)東京夕刊の記事です。以下転載。

「看取り士」と幸せな死 最期サポート、都市部中心に依頼

弱る家族と呼吸合わせ/死後も体に触れて 臨終前後、接し方伝える

 大切な人の「看取(みと)り」をサポートします。岡山市の民間団体が始めたサービスが注目を集めている。依頼者の自宅などに赴いて一緒に家族の死に立ち会ったり、臨終前後の作法を伝えたりする。2019年秋には、その取り組みを描いた映画が公開されて話題になり、都市部を中心にニーズも出始めているという。背景に何があるのか。【金志尚】

養成講座923人認定

  「ご本人が死を受け入れる前は 『体が良くなったら、こんなことをしましょう』と希望の話を。死を受け入れた後は『何も心配いりませんよ』と声をかけてください」 19年10月、滋賀県多賀町であった一般社団法人「日本看取り士会」 (岡山市)の養成講座。全国から来た6人の参加者が講師の説明に耳を傾けていた。
 12年に発足した同会は、看取りを専門とする「看取り士」を独自に養成し、家庭などに派遣している。死期が迫った人に安心できるような言葉をかける役割で、利用料は1時間8000円(初回は1万円。契約料2万円も別に必要)。
身寄りのない単身者用に安否確認から最期の立ち会いまでカバーするオプションもある。国家資格の医師や介護福祉士ではないため、医療行為や介護には関与しない。葬儀業者でもないため、葬儀にも直接関わることはない。
 同会による看取り士の養成は全国9ヵ所にある研修施設などで行われ、認定者は19年12月末時点で計923人。滋賀県での講座に参加した岐阜県高山市の終活カウンセラー、住和久さん(61)は「経済的に豊かな日本で孤独死を出したくない」と受講理由を語った。 医療措置を中心とした従来の終末期ケアが「QOL」 (クオリテイー・オブーライフ、生活の質)を重視するのに対し、看取り士は死にゆく人の尊厳を尊重した「QOD」 (クオリティー・オブーデス、死の質)に重きを置く。その取り組みは同会会長の柴田久美子さん(67)の実践から生まれた。

 延命より意思尊重

 柴田さんは02年から7年間、島根県の知夫島(ちぶりとう)で終末期の人を対象にした「看取りの家」を運営した。高齢者施設で働いていた頃、余命短い入所者が意思に反して病院に送られる光景を何度も見たことがきっかけだ。「幸せな最期を」との思いで、島では延命治療を望まない住民らに寄り添った。安心したように旅立っていく人たちを見て、看取りの大切さを実感したという。
 愛知県豊田市のインテリアコーディネーター、長坂幸子さん(56)は19年3月、同居する母るり子さん(当時92歳)を自宅で看取る際にサービスを利用した。病院や施設を嫌がっていた母をおもんばかってのことだった。
 教わった作法にのっとり、弱っていく母と同じタイミングで息をする「呼吸合わせ」をしたり、死後も数時間にわたってるり子さんの体に触れ続けたりした長坂さん。「母は笑みをたたえた穏やかな表情たった。私も悲しみより、毋のエネルギーが自分の中に入ってくるのを感じた」と振り返る。
 同会によると、依頼は都市部を中心にまだ年数十件だが、徐々に増えてきているという。19年秋には柴田さんの著作を基にした映画 「みとりし」も公開され、認知度も高まりつつある。経済産業省所管のシンクタンク「経済産業研究所」 (東京都)は同11月に東京で 「多死社会での新しい仕事」と題したセミナーを開催し、講師に柴田さんを招いた。企画した藤和彦上席研究員(59)は「これまでは若さに価値があり、死は無価値とされた。だが高齢多死社会を今後一気に迎え、パラダイムシフト(価値観の劇的変化)が起きる」と予測する。「QOD」が問われ、看取り士が必要とされるとみている。
 こうした動きについて、袖井孝子・お茶の水女子大名誉教授(老年学)は「昔は看取りはどの家でもやっていたが、今は家族や近所のつながりが弱く、身近に頼れる人がいないことが背景にある」と指摘する。更に医療水準の向上に伴い、死を極端に遠ざける風潮が社会に定着したとし、「自分ではどう死と向き合っていいか分からない人が多いことも影響しているのではないか」と話す。(以上)
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良いときの自分を求めない

2020年02月20日 | 苦しみは成長のとびら
2日前の夜、テレビでスポーツニュースを見ていたら、ヤクルトの石川 雅規(いしかわ まさのり、1980年1月22日 - )さんが出ていました。は、秋田県出身の40才ちかくの現役投手で、現役最多の通算11回の「2桁勝利(シーズン10勝以上)」を達成しているとのことでした。
公称167cmと、プロ野球の投手としては非常に小柄な体格から、「小さな大投手」といったキャッチフレーズが用いられているようです。

番組の中で 「いい時みたいに(パフォーマンス)できなくなって、ちょっと前は恥ずかしいと思っていたけど、今はそれがなくなった。良いときの自分を求めず、今の自分を受け入れる。その中で勝たなきゃ」(意趣)と語っていました。スゴイ人には、しっかりとした哲学があるのだなーと感心しました。普通は、良い時の自分を求めたくなるものです。


そして昨日の午前4時の深夜便(2020年2月19日)皆川賢太郎(全日本スキー連盟常務理事)さんでした。この方は、アルペンスキー回転のスペシャリストとしてオリンピック4大会に出場、特に2006年のトリノ大会では4位に入って日本選手として50年ぶりの入賞を果たした方です。
2014年に競技を引退し、現在は全日本スキー連盟の常務理事として連盟の改革などに取り組みながら次代の選手を発掘、育成、強化する競技本部長も兼務しているとのことです。ラジオを聞きながら、一流の人は、考え方がしっかりしていると思ったことです。少し「明日へのことば」から転載してみます。

http://asuhenokotoba.blogspot.com/2020/02/blog-post_19.html


賞味期限が或るものが僕はすごく好きで、賞味期限があるというのは人の人生を一回疑似体験でする、人間が感ずる哲学とか、貴重性をスポーツ選手は一回疑似体験できる。
そういう風に現役時代は思っていました。
純度の高い時間を過ごせていました。

新潟の苗場で育ちましたが、当時スキー、スノーボード人口は1860万人もいて、そのうちどんどんその産業が疲弊していって、スキー場の数とスキー人口の分母が合わないとか、暖冬とかいろいろもないがありますが、なくすとか減らすとかの作業をやらなければいけない。今は700万人を割り込む状況にある。
スキー場の数も最大が700か所、今は400か所。今の子どもたちにはいろいろな選択肢がある。
人口比率に対する分母とか、700か所作ってしまったものをどうするという問題、とかあります。
リフト券は日本では平均3500円、ニュージーランドでは70ドル、アメリカで一番高いのは220ドルです。
それでもお客さんが来るクオリティーと数だと思います。これからの数十年のウインター産業は整理してゆく事がやりたいことです。

日本は雪が黙っていても降るので、自分たちの生活の中に取り入れてもらいたい、楽しんでもらいたいというのが一番のミッションだと思っていますので、引き続きやっていきたいと思います。(以上)

「これからの数十年のウインター産業は整理してゆく事がやりたいことです。」とのこと。整理していくとは、クオリティーを高めていくこと。本願寺派の寺院も廃寺が進んでいるので人ごとではないと思いました。需要と供給のバランスをどう整えていくか。社会に求められる寺院像をどう興していくか。クオリティーの高い法要(葬儀)とは、どの様な法要(葬儀)なのか。整理していく努力を真剣に考える時なのでしょうが…。
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人生にとって挫折とは何か

2020年02月08日 | 苦しみは成長のとびら
「人生にとって挫折とは何か」(下重暁子著・集英社新書2019.11刊)を借りてきました。

 何度も試練に襲われながら、そのたびに頂点に返り咲くフィギュアスケートの羽生選手や 元競輪選手の中野浩一氏、急性骨髄性白血病から生還した知人などへのインタビューを交え、挫折を人生の危機を経て、どう生きたかを説いています。個々の内容は、本を見てください。メモしておきたい部分だけを転載します。


ここで改めて挫折とは何かを知るために、『広辞苑』(第七版)を引いてみる。
 「挫折(計画や事業などが)中途でくじけ折れること。だめになること」
 たったこれだけだ。「ほんとかよ?」。どんなに多く解説してもしきれないはずのものが、辞書ではいとも簡単にかたづけられていることに疑問を抱く。
 こんなときはスマホで検索する方がまだよく答えてくれる場合がある。
 挫折(ざせつ)とは コトバンク
 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
 「ヤスパースの哲学における基本的概念で、人間がもはやその悟性や意志によって離脱することの出来ない限界状況、すなわち死、苦悩、闘争および責任などに直面する際に出現する宿命的な経験をいう。この挫折の経験において、むしろ現存在は一層深く開明され、同時に包越者にいたる道が暗号として現れる」
 なかなか暗示的で、哲学に詳しくない私には難しい。
この中に出てくる「限界状況」とは何か。「ドイツの哲学者カール・ヤスパースの用いた哲学概念で、人間存在を限界づける状況の意。『極限状況』とも訳される。『哲学入門』(1950)では、死、苦悩、争い、偶然、罪などが限界状況として考えられ、これら限界状況の経験はわれわれを絶望のなかに突落すが、しかしわれわれは絶望に直面したときに初めて真の自分となることができ」るとある(コトバンク同事典より引用)。(以上)

興味深いのは、西洋哲学でも挫折という人間の限界状況を真の自分への転換点とみている点です。浄土真宗で語る「機の深信」という自分への絶望は、普遍的意味があるという事でしょう。
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最後だとわかっていたなら

2019年10月03日 | 苦しみは成長のとびら
悲しみの体験の中で、つむがれる言葉は、ときとして万人のこころを潤し、浄化する作用があるようです。

アメリカ人の女性、ノーマ・コーネット・マレックは、2児の母となり、その後、夫との離婚によって大切な子どもを失ってしまします。ノーマが親権を得たにも関らず、夫がふたりの子ども連れ去ってしまったのです。ノーマは警察の協力のもと、必死に子どもの行方を捜しましたが、消息のつかめぬまま時間だけが過ぎていきます。

そして突然の訃報。失踪して2年後の出来事でした。10歳だった長男サムエルは、弟と水辺で遊んでいるとき、小さな子どもを助けようとして自分も溺れてしまったのです。
いわば2度の喪失体験、その悲しみの思いを綴った詩「最後だとわかっていたなら」です。
 1989年に発表し、ご自身もその15年後にがん疾患で亡くなられています。ところが、この詩が9.11同時多発テロとき亡くなった人々を偲び、平和を訴えるために、この詩を配信した人がいて、瞬く間に世界中に拡散されたようです。その詩に感動した佐川睦さんが翻訳して出版されました。見開きの写真の中に、右側に日本語で、左側に英語で書かれています。
 
以下抜粋です



「最後だとわかっていたなら」
作・ノーマ コーネット マレック / 訳・佐川 睦
 
あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう
 
あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう
 
あなたは言わなくても
分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう
 
たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい
 
そして わたしたちは 忘れないようにしたい
 
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
 
微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと
 
だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも
いつまでも 大切な存在だということを
そっと伝えよう
 
「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう そうすれば
もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから(以上)
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負けるもんか

2019年05月21日 | 苦しみは成長のとびら
一昨日の『産経新聞』に元アナウンサー、清水健さん「闘う声伝えたい」が掲載されていました。

以下より転載
https://www.sankei.com/life/news/190518/lif1905180036-n1.html


【負けるもんか】乳がんで死別、妻の「悔しさ」に向き合う 元アナウンサー、清水健さん「闘う声伝えたい」
2019.5.18 18:52

家族への思いや自身の活動について語る元読売テレビアナウンサーの清水健さん(南雲都撮影)その他の写真を見る(1/3枚)
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 何かに迷ったとき、元アナウンサーの清水健さん(43)には、いつも向かう場所がある。家族3人の写真が並ぶリビングの一角だ。笑顔で写真に納まる妻の奈緒さんに、その迷いをぶつけてみる。「奈緒ならどうする?」。だが、答えが返ってくることはない。
 奈緒さんは平成27年2月に29歳の若さで、この世を去った。《トリプルネガティブの乳がん》。悪性度が高く、その10カ月ほど前に胸にしこりが見つかったときには、手術をしても再発率は50%というところまで進行していた。
 医師からは今回は治療に専念してはどうかとも勧められた。だが、おなかには、新たな命が宿っていた。専念すれば出産を諦めることになる-。究極の選択を突きつけられたが、妻の出産への決意は揺らぐことはなかった。
 いくつもの病院を回り、治療法を模索した。最終的に皮下乳腺の全摘手術を受け、胎児への影響を考えて量を減らして抗がん剤の投与を続けた。そして、26年10月。無事に長男が誕生した。「元気な男の子ですよ」。そう告げられた瞬間、泣き笑いで顔をくしゃくしゃにさせ、家族全員で喜び合った。
■ ■ ■
 奈緒さんと出会ったのは関西の夕方の報道番組に携わるようになった時期だった。局を背負う看板番組のメインキャスターを35歳の若さで任され、一秒一秒に必死に向き合っていた。
 当然、重圧に押しつぶされそうになることもあったが、唯一安らげたのが、スタイリストだった奈緒さんと衣装室で過ごすひとときだった。「今日はちょっとお疲れですね」。何げないひと言が、高ぶる気持ちを落ち着かせた。「全然よかったよ」「大丈夫」。誰にも言えない愚痴をぶつけても、温かく包み込んでくれた。奈緒さんの28回目の誕生日に婚姻届を手渡した。
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 結婚して1年ほどで妊娠が判明。「この幸せがずっと続くと信じていた」。だが、定期妊婦健診でがんが見つかる。「なんで奈緒なんや」。涙が止まらなかった。
 がんの治療と出産の両立を願った妻。わが子を抱くことはできたが、がんは転移し、3人で過ごせたのは112日だけだった。それでも妻は涙を見せることはなかったが、本当は怖くて、しんどく、泣き叫びたかったと思う。「生ききった」ということはないはずなのに、最後まで笑顔だった妻の気持ちを考えると胸が詰まる。
■ ■ ■
妻が秘めた、その“悔しさ”にどう向き合うのか。この4年は、がむしゃらに歩んできた。
 治療と出産の両立、出産後の闘病と子育て…。奈緒さんの経験を通し、いわゆる「AYA(思春期・若年成人)世代」のがん患者への支援が足りないと感じた現状を広く理解してもらおうと講演活動に奔走する。
 28年4月には基金を設立し、がん患者やその家族をサポートする団体への寄付も始めた。もちろん、奈緒さんが残した長男との生活にも全力を傾ける。
仕事に講演、子育てに追われ、体重が20キロ近く落ち心身のバランスを崩したこともあったが、親類の手も借りて乗り切ってきた。29年1月には、約16年間勤めたテレビ局を退社した。
 そして今、長男は4歳になり、わんぱく盛りを迎えている。朝5時から恐竜ごっこをせがまれ、幼稚園の行事にも顔を出す。リビングの父と子の写真はどんどん増えていく。
 ただ、家族3人の写真は昔のままだ。その写真の妻に今日も語りかける。「がんに悩み、がんと闘っている人たちの声を伝えたい」。そう誓う。(村嶋和樹) 

【プロフィル】清水健(しみず・けん)さん
 昭和51年4月19日生まれ、43歳。堺市出身。平成13年4月、読売テレビ入社。23年に報道番組『かんさい情報ネットten.』のメインキャスターに。25年、スタイリストだった奈緒さんと結婚。長男を授かるが、27年2月に奈緒さんを乳がんで失う。29年1月に同局を退社。シングルファーザーとして育児に奔走する傍ら、講演活動を精力的に行う。著書に「112日間のママ」「笑顔のママと僕と息子の973日間」(いずれも小学館)。
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