goo blog サービス終了のお知らせ 

仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

阿弥陀さまとコラボレーション

2010年01月05日 | 私のこと
朝刊に折り込み広告が10点ほど入っていた。電気店の広告チラシで、パソコンを見ていると、「モバイルパソコン」とある。モバイルという言葉はよく聞くが、いつも知ったぶりをしていた。

ネット辞書で引くとー移動性・携帯性・機動性などがあることを意味する表現。小型・軽量化、高性能化された情報通信機器やコンピューターなどの情報端末を形容する言葉として使われるーとある。

なんだモバイルって念仏のことかと思った。またそう思った自分が嬉しくもあった。

早朝(暗闇)1時間のウオーキングが心地よかった。家路について思わず「ありがとうございました」と身体にお礼を言った。そして命終わる時も、心に余裕があったら「朽ち果てていく身体にありがとうございました」とお礼を言って終わっていくのだろうと思った。

何がありがたいのかといえば、今日は少し寒さが緩んでいたせいかウオーキングの間、この身体と阿弥陀さまとのシンフオニーを聴くような思いが巡っていた。大方、毎日同じことですが。

すべては披露できない。どうなシンフオニーが聴こえていたか2.3点言葉にすれば、1つは、昨日の「ほめる達人」の「ほめる」ということです。参拝者の優劣や出座回数で点数を作ることはよくない。昨日の「ほめる覆面調査」のほめるは、けなすと同次元のほめることです。「そうあらねば駄目」という否定を内に含んだ「ほめる」です。

仏教で語る「ほめる」は、その次元ではない。朝、聴こえていた仏さまのシンフオニーは、誕生日を祝うことは良いだろう。それと初法座(初めて西方寺の法話会へ出席)の方へ、今まで『脱常識のすすめ』(拙著)に「○月○日初法座記念」とスタンプを押し、私が「なまんだぶ 西方寺住職 印」と揮ごうした本をプレゼントしていた。あれを休憩時間に世話人から皆の前で伝達式をする。「ようこそ、ようこそお念仏の場に…」という思いの中で。

一人の方が他力念仏の薫る場に出席されたことを祝う。それは初めて出席されて人だけの問題ではなく、同様に、私の上にもその勝縁が整っていることを喜ぶことでもある。

ご門主の組巡教へご同伴させていただいた折、よく「お寺へお参りの人が少ないが、どうしたらよいか」という質問があった。そんな時、『仏説無量寿経』の言葉

「如来の興世に値ひがたく、見たてまつること難し。諸仏の経道、得がたく聞きがたし。菩薩の勝法・諸波羅蜜、聞くことを得ることまた難し。善知識に遇ひ、法を聞き、よく行ずること、これまた難しとす。もしこの経を聞きて信楽受持することは、難のなかの難、これに過ぎたる難はなけん。」

を引いて、「念仏の法座に一人の人がご縁を持った、それはただ事でないことが興っているということです。その驚きと感動をもって、お寺のお役にある方々が、ひとりの人をお迎えすることに尽きます」(意趣)とお伝えしたことがあります。

住職を始め世話人の人は、いつもお寺に来ているので、念仏の座に就くことが当たり前になってしまっているが、私の上にいまとんでもないことが興っているのですよと大経は示している。

そうだ皆の前で、その喜びを共にする。それが初法座の方への記念品の伝達式だ。そんな思いがよぎっていました。

あるいは(シンフオニーの話)、いま校正している「如来の三十二相」の本は、「仏さまの三十二相―智慧と慈悲のシンフオニー」にするか、いや待てよ「―慈と悲のシンフオニー」がいいか?出版社の人と相談してみよう。

また歩いているうちに、今度十六日の築地本願寺(慈光院)の成人式で法話をするが、あの事を話すか、このことを話すか、と阿弥陀さまとコラボレーション(共同制作)の時間、それがウオーキングの一時間でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大切な人

2009年07月11日 | 私のこと
昨夜、夕食の折、この春、坊守(妻)と息子で、大阪に住む坊守の実家の父母と有馬温泉に行った時のことが話題に出た。今年、車の免許を取ったばかりの息子の運転。一人なら思うままに運転するところだが、祖父母が乗っていたので「大事な人が乗っているから」と慎重に運転した。そう息子が語っていたという。

私も時々、自分ひとりで車を運転しながら「今日は大切な人が乗っているから」と思うことがある。この世でもっとも大切な人(自分)でありながら、自分のことはあまり大切だと意識しない。

26歳から30歳くらいまで築地本願寺に勤務していた。いろいろの仕事をしたが、その中に本願寺の前門主である勝如上人の侍僧をしていた。侍僧とは、皇室の侍従と同様で、一般で言う秘書の仕事である。代役で挨拶に行ったり、お着替えを整えたり、車の運転もする。前門主を車にお乗せしていて「今日は大切な方が乗られているから」と思い、慎重に運転することもあった。

その感覚があったので、たまにではあるが自分ひとりのときも「今日は大切な人が乗っているから」と思い返すことがある。ふと南無阿弥陀仏がもれる。念仏の吐息から、私のことをかけがえのない人と仰せられる阿弥陀さまのささやきが聞こえてくる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小さい靴

2009年06月24日 | 私のこと
小さい靴は おいてある 花を飾るより ずっと明るい
昨日、産経新聞に高田敏子(1914〜1989・昭和時代の詩人)さんの詩が紹介されてありました。

子どもが幼児のころ履いた靴を見ていると、子どものその頃のことが思い出される捨てがたいものです。小さい靴を見て小さい子どもの頃を思い出す。これとは逆に、この私の小さい頃の品々を見て、その背後にある若き頃の親を思うということがあります。

以前、わたしは産経新聞のコラムに次のような小品を寄せています。
一枚の写真

 一枚の写真。そこには幼稚園児らしい子どもが舞台でお遊戯をしている姿があります。それがお前だと言われても、ピンときません。私には自分の幼児期の写真が何枚かあります。いずれも見ることもなく無造作にしまってあるので幼児期の顔を記憶していないのでしょう。
 しかしその写真は私にとっては大切な宝物です。なぜならば、その写真を見ていると、その子どもを見つめているであろう若き日の父や母の姿が思われるからです。
 その写真と共に手元には、小学生時代の通信簿があります。そこには乱暴であること。そして人に見せるのも恥ずかしい学習評価が記入されています。あまり悪い評価なので、これは隠すようにしまってあります。
 その通知評を見ているとやはり先の写真と同様、その出来の悪い子どもの成長を願い、より善き方向に進んでくれたらと案じている父や母の姿が思われます。
 子どもの成長の背後には常に親の慈愛があります。

 私の好きな歌に暁烏敏氏の母を讃えた歌があります。
 十億の人に十億の母あらんも吾が母にまさる母ありなんや
敏をして「吾が母にまさる母ありなんや」といわせた背後には、その幾倍もの母の慈愛があります。冷たく恐ろしい母であれば母を慕う想いは起きません。母を想う歌は、単なる作者の母親への思いに留まらず、子どもを慈しみ続けた母親の愛情を彷彿とさせる歌でもあります。(以下略)

そうすると小さい靴は、親がその靴を見て幼き子どもの頃のことを思い出して楽しみ、その子どもが成長して、その靴を通して、その靴を履いている子どもを気遣う親を思う。小さい靴は、2度の楽しみを運んでくれるようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご門主の言葉ー別冊親鸞から

2009年06月15日 | 私のこと
別冊太陽に本願寺即如(大谷光真)門主のインタビュー記事が出ている。随行講師の役をつくまではご門主は、宗門の象徴的存在で尊い方というイメージでした。しかしいまは宗門のトップリーダーという感覚をもっています。気軽に会話ができないのが残念ですが。

宗門をよき方向へ導くリーダー、そう思います。また実際、そのことにご腐心されておられる。

さて別冊親鸞のインタビュー記事です。今日もお勤めをしていて記事の内容が思われ、涙があふれてきました。「とりわけ深く感じられているご和讃は」との問いに対して次のように心持をお言葉にされています。

一人で拝読していて情に感じやすいものが、必ずしも浄土真宗の教えの特色を表わしているかは疑問ですが、私の感覚に響くものを選ぶならば、三十一首目の「たとひ大千世界に みてらん火をもすぎゆきて 仏の御名をきくひとは ながく不退にかなふなり」でしょうか。今の世の中は人間の煩悩の火が燃え盛っている。その中を生きている私ですが、その中で阿弥陀様のお名前を聞くだけで、こう私はちがっていくのだと、私なりの理解をし、情的に非常にありかたいと感じています。(以上)

この「今の世の中は人間の煩悩の火が燃え盛っている。その中を生きている私です」という言葉に肝銘を受けます。「人間の煩悩の火が燃え盛っている。その中」で、仏教者は何をしなければならないのか。また何ができるのか、常々、ご門主の御心の中にあるのだと思います。

島根大学の教授であられた川上清吉師の言葉で思い出される言葉があります。それは、昭和32年に、私の父が島根から東京へ出てきたとき、師から励ましの手紙をもらい、その手紙の中にある文言です。

「文字を会通するのは文字ではなく、自分の肉体でして下さい。聖教にあたるには都会の街角に立って考え味わってください。…生きた学問をしてください。…銀座のネオンこそ法蔵の肉体を焼け爛(ただ)らせる煩悩の炎です。際なく流れるタクシーの流れは、そのまま輪廻のすがたでしょう」とありました。

大千世界に みてらん火の中に身を置いているという気概、それがリーダーの気概だと思います。自分を安全な場所に置くことなく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご門主の言葉ー思いでから

2009年06月14日 | 私のこと
別冊太陽「親鸞」が届いたので、早速目を通した。親鸞聖人750回大遠忌法要に際しての本願寺の特集という企画でもある。だからふんだんに本願寺の新しくなった御影堂の写真が掲載されている。

至極は大谷光真門主の対談だろう。20代、30代のころはこうした対談やお言葉は、素通りしていた。なにか形式的な言葉だという勝手な思いこみをしていたのだと思う。それがそうではないと思うようになったのは、門主の随行講師をさせていただいてからだ。

6年間の随行講師。指名を受けたのが私が41歳、ご門主の人材育成の配慮からの辞令でした。

6年間、16組の御縁でしたが、色々なことをお訊ねして、なにげないことでも1つ1つ深くご思索なされていることを知りました。

たとえば車の中での会話で、わたしの息子が龍谷大学文学部真宗学科に入学した。昔は文学部仏教学科真宗学専攻だったので、「真宗学科になったのですね」と深き思いを持たずに話題を持ち出す。すると、「そうです。私はあまり好ましいことだとは思いません。仏教学専攻の講義や人間関係が閉ざされてしまいます。仏教学と真宗学がもっと交流をもってほしい」とご返答された。

また聞信会(国会議員の聞法会)の席で、ご門主のご挨拶に、「寺と檀家、僧侶の門徒が、同じ課題を共有する」というお言葉がありました。後のお茶の席で、私は「一般に門徒というと人と家を含めて使っていますが、今日、ご門主は、寺と檀家、僧侶と門徒と、区別して使われましたが」とお尋ねすると、やはりご門主は意識して使われていた。「宗門法規では家を指す言葉として檀徒とあります。しかし現在この言葉は一般に使われていません。言葉を考える必要があると思います」とのことでした。

大分県宇佐地方に随行し、朝食の折り、以前から気になっていた「食前の言葉」について、ご門主にお尋ねしました。
本願寺派の「食事の言葉」
「み佛と皆様のお陰により、いこの御馳走を恵まれました。深く御恩を喜び、有難く頂きます」は、み仏の名において、殺生を肯定する内容のように思われますが、いかがでしょうか。

ご門主は、以前からこの食前の言葉については疑義を持っておられたご様子で、私の言葉を肯定され、この言葉が生まれた背景を、ご推察され教えて下さいました。

これはきっと、お寺で生活している人から生まれた言葉だと思います。お寺で生活している人は、み仏のお陰によって食事(衣食住)が恵まれる。自然と「み仏と…」となる。一般の人にはそぐわないのではないか。とのことでした。

さて本題は別冊太陽のご門主のお言葉です。(続く)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする