goo blog サービス終了のお知らせ 

仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

光瑞猊下につながる思い出

2011年05月15日 | 私のこと
早朝5時代(23.5.15)のラジオ放送で「今日は何の日…1923(大正12)年神戸初の百貨店として白木屋神戸出張所が開店。日本の百貨店で初めて土足で入店できるようにする」と紹介していました。私は「へー、大正12年でデパートが土足か…」という思いとともに、それから9年後に建設着工される築地本願寺が、当時としては考えられなかった本堂へ土足で上がる様式にされた、時の宗主本願寺第22代大谷光瑞師(1876~1948)師のとらわれのない発想の自由さに思いが至った。

築地本願寺派、伊東忠太博士の設計による古代インド様式で昭和6(1931)年に起工、3年後の昭和9(1934)年に落成です。古代インド様式を基調にした建物で、内部は日本古来の桃山様式、それらが非常に調和した形で折衷しています。また、本堂は土足で入れるように絨毯敷きとし、椅子席になっています。

これは東京の築地という立地を考慮し、外国の方々にも開かれた寺院とするべく、国際性を考えて設計したからだとあります。当時、お寺の本堂を土足式にする発想は、光瑞猊下ならではのものです。

1954年生まれの私と大谷探検隊を派遣したことでも知られる大谷光瑞師とは、直接の接点はありません。しかし光瑞猊下とつながりを感じる思い出があります。

その次のご門主である本願寺第23代 勝如上人(大谷光照前門主)が、ご門主退任後の昭和57年より毎月宗祖の命日を中心に数日間、首都圏開教を目的として東京にご駐在されることとなりました。当時、別院に勤務していた私は前門主の侍僧(お傍づきの僧)を拝命され、毎月数日間、前門主さまと行動を共にしました。

そんなある日、「今日はご馳走します」と前門主様がいわれ、総勢で5名で水道橋の学生街にある中華料理店と言ってもラーメンやと言った方が似合うお店に行きました。

その店の店主は、大谷光瑞猊下が神戸の六甲に二楽荘という別荘兼中学を設けていたとき、そこで料理人として腕をふるっていた中国人の方でした。どうも前門主に“東京に来たらお寄り頂きたい”とお声かけがあり、その日の会食となったのです。店は8畳くらいの広さで、一角をパーテーションで仕切り、フカヒレから本格的中国料理を堪能しました。

今考えると、その後、店にせっせと通って、光瑞猊下のお人柄をお聞きしておけばよかったと思います。“この味を召し上がったか”と、食べ物の味という一点でも、光瑞猊下とつながったという良き思い出です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

墓誌に自分を刻む

2010年07月08日 | 私のこと
読売新聞のぷらざという投書欄(22.7.8)に、少女の頃、常に何人かいる加藤という姓が嫌だったが、嫁ぐと姑が同じ名前に、その同姓同名に姑と一泊旅行へ行って楽しかったという投書が掲載されていた。

旅行社への申し込み、旅館の対応、他の参加者の混乱、楽しむという視点で取り巻くまわりの混乱をながめると、さぞ楽しかったろうと思った。心の余裕がなかったりしたらイライラもするだろうが、心に余裕があると辛いことでも、その混乱を楽しめるということがあります。

たまーにですが初対面の人に「あなたが西原祐治さんですか」と言われることがある。ネットなど情報が八方に発信されているので、雑誌や本で私の名前に接して記憶して下さっていたようです。

55歳を過ぎたからだろうか。私自身と「西原祐治」という人とが別人であると思う時がある。やはり西原祐治は社会的な存在で、私自身は父であったり夫であったり、父と母の子どもであったり、その時の状況に応じて変化します。これは私の虚栄心に依るのだと思うが、家を借りて布教所を開設してより、西方寺という名前を、どう地域の人に知ってもらうか、西原祐治という名前をどう社会に知ってもらうかと努力してきた感があります。

25年前のある日、門信徒がいない状況下で、人を集めようと思ったら有名人を呼ぶこと。だったら自分が有名人になったら人が集まると、ふと思ったことがある。ぜんぜん有名人にはなっていないが、西原祐治という名を意識してきたことは確かだ。

だが最近、西原祐治の収まりどころは、父正念と母敏子の子であり、妻晶子の夫であり、大地、一子、サラナの父親であったというところが、最も親しく核心であるような気がしている。

そう思ったのは、「墓誌名録」体験型の自分をみつめる学習がある。私が墓地に埋葬されているとして、ここに埋まっている人は、こんな人ですと墓誌に記す。その体験をしたとき、上記の通り、父母の子であり、夫であり、父であったに収まった。これでよいと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

煩悩が洗練されていく

2010年03月29日 | 私のこと
朝のウオーキング、今年初めて、こころの時代の放送とともに出発した。やっぱり歩きながら聞くのは良い。頭が活性化しているので思索も深まる。今日は瀬戸内寂聴さんの出演。煩悩おおき人だが、歳と共にその煩悩が洗練されていくという印象を受けた。煩悩が洗練されていくという世界ある。その極まりが煩悩即菩提だろう。

よく回答する半ば趣味のようになっている人生相談も、苦しみを聴かせていただき、その苦しみを洗練して差し上げお返しする技のようにも思われる。

放送の最後に「こころの時代」は、今日(22.3.29)で終わり、明日から「明日へのことば」が放送されるとあった。「最後の時間新たな縁(1)」医師 山中 修とあるから内容は同じでタイトルの変更のようだ。

若い人は「明日」とか「希望」が好きだから、タイトルを変更したのだろう。私は歩きながら「お年寄りは希望よりもいまの安心が一番。希望はないという状態で幸福は達成されるのだがなー」と回想した。希望には明日が必要です。幸福は希望が達成されたところにあり、幸福は感謝という姿で私の上に成就します。「お年寄りは明日への希望よりも感謝の思いを起こさせる話がいいが…」

瀬戸内寂聴さんが出家の動機を聴かれて50歳の頃「更年期障害のヒステリー」が自分の上に起こったのだろ思うと語っていた。いつもの歳より物事を深く考えてしまう年頃で、流行作家として自分の作品の深みに不安を感じた(意趣)、それを更年期障害のヒステリーと言っているとのことでした。

そしてこのブログをアップしようとして、私のブログを開いて驚きました。

当記事の本人です。ありがとうございます。とありました。

2.3日前にブログです。情報化時代、皆つながっているということを実感しました。

当事者へ。あなたが、今回の苦難をどのようにして乗り越えていくか分かりません。でもあなたのような苦しみをもっている人は多くいるはずです。もし「私はこのようにして苦しみを解決しました」というものがあれば、それはあなた同様に苦しみの中にある人にとっても、おおきな希望であるはずです。ご精進ください。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時にはウソをつく

2010年03月25日 | 私のこと
彼岸法要の法話で練馬区のJ寺へ出向した。途中、古本屋があったのでのぞいて一冊購入した。『嘘つきの論理』(日本書籍)増原良彦著、書店をでたから増原良彦さんは、ひろさちや氏であることを思い出した。

面白い本です。本の中に三種類のウソについて書かれている。

1つは「私は昨日、京都へ行った」という本当のウソ。
2つめは「私はまだ『資本論』の第三巻はよんでいない」と言った場合、1.2巻は読んでいるといった刷り込みがある。そうした刷り込みの中にあるウソ。
3つ目は統計学を使ったウソ。「アメリカの軍隊の死亡率は1000人に10人、合衆国全体の死亡率は1000人に20人、軍隊は安全だ。」とする。そもそも軍隊は若者で構成されており、合衆国は老人もいる。統計の基礎が全く違うので、ここからウソが生まれる。

2番目のウソは、使ったことがある。
築地本願寺へ勤務していたころ、仲間と上野公園へ花見に行った。呼びかけ人である私は、午後から公園の現場に席取りに行く。しかし時遅く、桜の木の下は既に陣取りの青いシートが敷き詰められていた。するとどこからともなくホームレス風の人が近づいて話しかけてきた。
 それは商談でした。「桜の下のいい場所に席を確保してある。一坪二千円でどうだ」。なんと上野公園の土地分譲をしているのです。
私は6000円分買います。と商談を進めた。相手は商談成立を思った。私はお金を出しながら、「会社の宴会だから領収をくれ」という。「領収書はありません」「じゃあ、2000円まけてくれ」「分かりました」。

私はもちろん彼らに領収者などないことは知っています。最初から「まけろ」という手もありますが、一度商談成立という刷り込みを与えておいて、後から商談成立の前提条件を出す。

これは「私はまだ『資本論』の第三巻はよんでいない」と同じ錯覚があるのだと思います。この言葉のアヤから生じるウソを、健全的な御法義の上で使えないかなーと思っています。すぐ出てこないので私の頭の中にある「??ボックス」に収納しておきます。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国宝にカビとクモ

2010年03月10日 | 私のこと
新聞(22.3.10読売)に「国宝仏像展、文化庁が認めず…管理ずさん新潟市」という記事が掲載されていた。文化庁が、新潟市美術館で開催予定の「奈良の古寺と仏像展」で、中宮寺の菩薩半跏像などの国宝や重要文化財の展示を「管理がずさんで、認めない」と市に伝えていたというのだ。

昨年7月、展示作品にカビが発生し、文化庁から改善を求められた。さらに、今年2月下旬には、別の展示品の電動カート付近にクモが20匹以上見つかっていた。ともある。

皆それぞれが、国宝以上に大切なものをもっている。念仏であったり命であったり子どもであったり。いつも見慣れているし、内に隠れていたり、人に自慢するものでもないので、カビが生え、クモがわいていれも、見て見ぬふりをする場合もある。

管理のずさんは新潟県だけの問題ではない。自分へ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする