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仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

公開仏教講演会

2024年06月30日 | 都市開教
昨29日(土)午後二時~公開仏教講演会(柏市民ホール・アミューゼ)でした。ゲストはテーマ 声を聴くということ
鈴木君代 天白真央さんのライブでした。司会、主催者挨拶、お勤め、すべて門信徒による開催でした。年2回開催さていますが、終ってからの打ち上げ33名の出席でした。
ゲストの鈴木さんが「他の地区の講演会に行くと、どなたが住職かすぐ分かるが、ここは全く分からない」としきりに感心されていました。
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寺院の減少

2024年06月12日 | 都市開教
『中外日報』(2024.6.7日号)に駒澤大学研究教員の梶龍輔氏が「寺院統廃合の体と特徴」と題して論文を掲載されていました。本派の部分だけ引用しておきます。

収集期間は1983年から2022年までの40年間とした。こうして集めた寺院情報に住所、住職名、過疎地域指定の有無、寺院区分(本務・兼務)など、分析に用いるデータを可能な限り加えて「寺院統廃合データ」を作成した。以下、このデータに基づいて全国的な実態と特徴を大まかに述べてみたい。
 加速する寺院の統廃合
40年間で統廃合の手続きを行って消滅した寺院の数は本願寺派428力寺、曹洞宗204力寺、日蓮宗71力寺を数え、合計703力寺であった。1980年代以降、廃寺は一貫して増加傾向を示しているが、とりわけ2013~22年の期間に279力寺、つまり全体の約4割が直近10年間に消滅している。
 次に宗派ごとの廃寺数をみてみよう。本願寺派は1983~87年のあいだに35力寺が廃寺となっているが、年を追うごとに数を増やし続け、2018~22年では85力寺にまで増加している。これに対して曹洞宗は、80年代から90年代には本願寺派と比べて4分の1程度の数で推移していたが、2000年代に入ると顕著な増加をみせはじめ、直近5年間では65力寺と急激に増やしている。他方で日連宗は、今のところ顕著な増減はみられなかった。

文化庁『宗教年鑑』によると、法人格を有する寺院が本願寺派で203力寺(10290力寺⇒10087力寺)、曹洞宗で157力寺(14624力寺⇒14467力寺)減少している。また法務省「登記統計」に示された宗教法人の「解散」件数に注目すると、2009年には188件だったのが徐々に数を増やし続け、2021年には668件、22年も676件と急増している(ただし仏教系以外の宗教法人を含む)。「寺院統廃合データ」と照らし合わせて大まかな情勢を推考すると、2000年前後から統廃合による廃寺が増加し始め、2020年頃を境にその勢いが大きく増して、本格的な寺院減少時代を迎えつつあるのかもしれない。(以上)
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メディアと宗教

2024年06月11日 | 都市開教
『メディアと宗教』(2024/4/2・石井研士著)からの転載です。

寺院はどこへ向かっているのか

仏教界に限らす宗教教団におけるコンピューター利用は今後とも高まっていくことになるだろう。しかし、これは宗教教団にとって必ずしもプラスに働くだけではない。
 ここまで読んできて、私の論の立て方があまりに現実を単純に説明していると感じている読者もいると思う。
 実際には、水平寺の事例にしても、座禅をきちんと組むだけの時問的余裕がとれなくなっている現実が存在するのであろうし、おばあちゃんと檀家との付き合いをデータ化しようとしている若い僧侶も、日頃檀家との付き合いは怠りなくしているに違いない。しかし、いったんコンピューターを利用し始め、その「便利き」になれてしまったとときに、再びコンピューターのない状態へ戻ることができるだろうか。コンピューターが寺務に、結果的には不可欠となっていくときに、コンピューターのもたらした「便利き」はどのような意味を持つのだろうか。
 私が指摘したいのは、現実の煩瑣な日常を手助けするものとして現れたコンピューターは、いったい仏教的にどう意味付けられる存在なのか、ということなのである。無自覚無反省に導入が進むときに、僧侶や寺は、さらには本山と寺院・僧侶の関係は、しだいにコンピューターが持つ独特の理論と関係に影響を受け、知らず知らずのうちに自らを変容させていくことにはならないだろうか。
 いま一度繰り返すことになるが、確かにコンピューターによって壇信徒や氏子を管理すれば、膨大な時間がかかり煩雑であった作業はきわめて簡単なものとなる。しかしながら、過去帳を繰ることや年忌法要を知らせる壇信徒への通知文の宛名書きは単なる事務なのだろうか。檀家と寺とをつなぐ必要な宗教行為ではなかったのだろうか。コンピューターで戒名がつけられるとしたら、そのありがたみはとこへいってしまうのだろうか。コンピューターか、ソフトか、それともオペレーターか。こうした行為は宗教者としてのオーソリティーを自ら剥奪していることにはならないだろうか。
 コンピューター・ネットワークは確かに新しい人間関係やコミュニケーションを生み出すかもしれない。それは同時に従来のコミュニケーションに変化をもたらすのであり、教団の組織内に、コンピューターに関する専門知識を持った一群の人々を抱えることを意味することになる。こうした専門的知識を持った専門家集団は、宗教集団の組織や理念にどのような発言権を持つのだろうか。こうした点を十分に理解せずに利用しているのが宗教がの現状であるように思えてならないのである。

 
 現在の宗教団体のニューメディア利用には二つの視点が欠如しているように思う。ひとつは、ニューメディアが宗教的にどのように意味付けられるのかという点。換言すれば、宗教団体はニューメディアの導入によって、どのようなプラスとマイナス、とくにマイナスの影響を受けるかを十分に考察する必要性の認識の欠如である。そしていまひとつは、擅信徒の視点の欠如である。ふだんから密接な付き合いをしない檀信徒にとっては、ダイレクトメールは単なるサービス業と映らないだろうか。あるいは現在の寺と檀信徒との十分な関係が、しだいに情報化していく危険けないだろうか。
 最近、電子システム手帳用のICカードシステム「おふさんカード」が発売された。宣伝文には「電子過去帳」とある。檀信徒に関するデータを人力して携帯し、檀信徒とのコミュニケーションを生み出そうというものである。「電子過去帳」がないと檀信徒とのコミュニケーションは不可能なのだろうか、それとも「電子過去帳」が新たなコミュニケーションを生み出すというのだろうか。
 コンピューターが仏教、寺院、僧侶にとってどのような存在なのか、そろそろ十分に反省する必要があるのではないだろうか。(以上)
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民放連の宗教に関する条項

2024年06月10日 | 都市開教
『メディアと宗教』(2024/4/2・石井研士著)からの転載です。

民放連の宗教に関する条項の成立過程

日本放送協会と民問放送連盟の宗教を中心とした番組基準を検討してきたが、記述に関しては明らかに民間放送連盟の方が詳細である。民放連の宗教に関する条頂がどのような経緯で策定されたかを知ることのできる資料は、管見の限り存在しない(この件に関しては、民間放送連にも問い合わせを行ったが、成果は得られなかった)。『民間放送十年史』(民間放送連盟、1961年)には、民放連の基準が官製規制に反対し自主的規制を強く主張して作成された経緯が記されているが、誰がどのような理由によって条文を作成したのか、何か参考とした海外の事例があったのかどうかなどはわからない。
 宗教に関する規制は、昭和26年10月12日制定の日本民開放送連服ラジオ放送基準に見られる(『民間放送十年史』)。

16.宗教を取り扱うときは、信教の自由を尊重し、各宗派の立場を重んじ、公平に取り扱う。
17.宗教的儀式は、不当な取り扱いをしない。
18.特定宗教のための募金は取り扱わない。
19.迷信を肯定的に取り扱わない。

さらに「教養番組」の項目に以下の二つが記載されている。催眠術や心霊術、占いや運勢判断への言及は見られない。

3 宗敦番組では他宗・他派をひぼうしない。
4 信仰・修養などによって傷病がなおるというような迷仁的内容は取り扱わない。ただし、
伝説的なものの引用はこの限りではない。

昭和33年にテレビの放送基準が設けられたが、記述はラジオ番組基準とまったく同じものであった。番組基準は昭和45年1月に改正され、ラジオとテレビの放送基顯には統一された。それ以降現在まで「日本放送連盟放送基準」と表記されている。
 昭和45年の改正の際に、あらたな内容が加わった。「(41)宗教放送では、科学を否定するようなものは取り扱わない」というもので、表現が「宗教を取りあげる際」ではなく「宗教放送」となっている。昭和40年代に放送されていた「宗教放送」は、キリスト教団体の番組が数番組あるだけである。なぜこうした表現がとられたのか、具体的な問題があったのかどうかはわからない。ただ、「宗教放送」という表現を除けば、すでに現行の番組基準と変わらない。宗教に関して現行の表現となったのは平成10年の改正による。
(以上)
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円成祝賀会

2024年04月30日 | 都市開教

昨29日、日本橋パークホテルで「親鸞聖人ご誕生850年・立教開宗800年記念慶讃法要円成祝賀会」で、350人程の人がつどい、祝賀会がもうよされました。7人座りの円卓がびっしりと設営されていました。興味深いのは、上席中央テーブルから、教区の寺院の方、来賓と、座る位置によって、自分は主催者から、どう値踏みされているかが明らかになるところです。私は、最初から友人が気を利かせて「西原さん、下座のテーブルでけど仲間と一緒のテーブルにしておきました」と配慮してもらいから、お喋りを楽しむことが出来ました。

十列くらいあるテーブルの二列目に私の名があったので、知っている人があるテーブルの方が良かろうと配慮してくれたものです。

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