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仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

西方寺本堂・庫裏建設の起工式

2024年04月23日 | 都市開教

本日、午前11時から西方寺本堂・庫裏建設の起工式です。設計は長野県の中村建築研究所、施工は松井建設です。設計に3年かけて、本日に至りました。  

 

表白(起工式)

  敬(うやま)って光(ひか)りといのちきわみなき、阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)のご尊前(そんぜん)に申(もう)し上(あ)げます。

如来(にょらい)は、われら凡夫(ぼんぶ)を、無量(むりょう)の智慧(ちえ)と慈悲(じひ)とをもって育(はぐく)み、金剛(こんごう)不壊(ふえ)の信(しん)を恵(めぐ)んで無明(むみょう)の長夜(ちょうや)に、無碍(むげ)の一道(いちどう)をお示(しめ)しくださいました。

 いまここ柏市(かしわし)布施(ふせ)の地(ち)に、諸(しょ)縁(えん)ととのい、法(ほっ)照山(しょうざん)西方寺(さいほうじ)、本堂(ほんどう)建設(けんせつ)、起工式(きこうしき)を挙行(きょこう)いたします。まことに普請(ふしん)とは「普(あまね)く請(こ)う」と記(しる)す字(じ)のごとく、西方(さいほう)寺(じ)門(もん)信徒(しんと)、設計(せっけい)、株式(かぶしき)会社(がいしゃ)中村(なかむら)建築(けんちく)研究所(けんきゅうしょ)、施行(せこう)、松井(まつい)建設(けんせつ)株式(かぶしき)会社(がいしゃ)、その他(た)もろもろの尽力(じんりょく)を普(あまねく)く請(こ)うて、この日(ひ)を迎(むか)えましたこと、如来(にょらい)の恩(おん)徳(どく)と感謝(かんしゃ)いたします。

願(ねが)わくは諸事(しょじ) とどこおりなく完了(かんりょう)して、この地(ち)に慈(じ)光(こう)あふるる阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)をご本尊(ほんぞん)とする本堂(ほんどう)の建設(けんせつ)が成就(じょうじゅ)せんことを、

令和六年四月二十三日  仏弟子 釋俊誠

 

謹(つつし)んで申(もう)し上(あ)げます。

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法話中心の法要

2024年03月18日 | 都市開教

土曜日に島根県大田市の友人のお寺での住職継職法要、一時間の法話でした。4年間準備して、この日を迎えたとのことです。法話、写真撮影、法要と法話を中心にしての式次第でした。講師他法要は儀式中心になりがちですが、法話中心の法要で、良かったです。法話で話されたご法義を継職くしていくのだという意味が明らかで、改めて気づきを頂きました。一時間の法話でしたが作れました。珍しく出雲空港でバニラのソフトクリームを食べました。写真は飛行機からの富士山です。

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「Ibasho」(居場所)

2024年03月12日 | 都市開教

海外でも「KAIZEN(改善)」という言葉が浸透していると聞いた事があります。トヨタで実践されている改善ですが、「現状で満足しない」「常に上に目標を持つ」という物事に対する姿勢と表す言葉として使用されているようです。

 

もう一つ「Ibasho」(居場所)も改善同様に、そのまま使用される言葉で、SDGsの理念でもある「誰一人取り残さない」と同様は意味がある大切な言葉だと、国連の方がラジオ放送で言われていました。

 

でもネットで検索する限り「Ibasho」は、まだそれほど認知されていないようです。

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都市開教のいま2➁

2024年03月08日 | 都市開教

宗派が出している「季刊 せいてん no146」(2024 春の号)に限界の続き「インタビュー」が掲載されています。2回目の転載です。

 

 

  • そばにいるために

―社会福祉の可能性

 そうすると、今、一つ思っているのは、社会福祉です、社会福祉といっても、後見人制度や死後事務の委託制度などがありますよね。ああいうものにお坊さんやお寺が携わっていくということです、そういったところとの関わりから地域社会の中に入っていくということも重要だろうと思ってるんですよ。だから社会福祉の窓口をどれだけ広げられるか、ということを最近考えています。

 神奈川県の善了寺、そして富山県でも宗教法人で福祉施設を経営しているお寺が数ヶ寺あります。通所・訪問によるサービスなどの第二種福祉事業は、経営する事業者に制限がなく、お寺でも可能です。そういった活動も今後の可能性として興味深い。年齢を重ねてくると、皆さん死に際しての身の回りの整理について考えることが多くなると思います。築地本願寺はこれをやってるんですけれども、外部に委託してるんですよ。やはり自分たちで研修会をして、自分たちでやっていくような方向性でやらないと身に付かない。

 私の父親は晩年に認知症になって、私のことが誰か分からなくなったんです。そうなると、私か父の部屋に行っても、関係のない人と思われたもんだから、部屋に居づらかったんです。でも、「じゃあちょっと爪切ってあげるね」とか、何かしてあげることによって、私は安心してそこにいることができるようになったんです。その時、ボランティア活動というのはそういうことなんだなと思ったんですよ。つまり、何かしてあげるというのは私か安心してその人のそばにいるために私のためにする行為だということです。何かしてあげないと、そばにいる必要はないですから。何かをすることによって、その場に私か安心して存在することができる。

 これは都市開教においても同じことがいえると思います。もともとの関係がないわけですから、その人たちのそばに安心して存在するためにはどのようにすべきかを考えることが大事だと思います。

その点で、やはり社会福祉に可能性があるなと思っているわけです。もちろん、苦しみに寄り添うことによってお寺と社会の関係を構築することは理想です。けれども、それを日指して三十五年活動をしてきて、その難しさを実感しています。ですから、苦しみに寄り添うことが大事であるということを是としながらも、もっと広い視点を持ってこれからの活動を考えていく必要があると思います。浄土真宗に縁のない人のそばにどう私自身が安心して近づいていけるのか、そのための手立ては何かということを考えていますね。

 

これからの伝道について

―都市開教のみならず、今後の伝道のあり方についてお聞かせください。

西原 今の話の続きのようになりすが、浄土真宗が今に伝わってきたのは、私の考えでは、「教えがありかたいから」だけではないんですよ。たしかに、教え自体はありかたいものではあるけれど、教えは「家制度」によって伝わってきたという側面がある。「家制度」はまさに今のジェンダーフリーと逆方向にある考え方ですけどね。ですから真宗が伝わってきたあり方は、現代社会のあり方と矛盾しているんですよね。かたや理想としてはジェンダーフリーを掲げている。実際は家制度があって教えが伝わる。その証拠に、ほかの宗派も教えが伝わってきています。もちろん、浄土真宗に縁があった人は、「ありかたい」と思って豊かに日常生活を送ることができるということがあるんだけれども、伝わるという点で見ると、教えがありかたいからというよりも、家制度がしっかりしてたから伝わってきたのではないかということです。だからその家制度に代わるものをこれからどう構築していくのか。これが一つの課題です。

 

  • 同じことをやる

西原 今後の伝道のあり方についてですが、具体的には、毎年同じことをやるということが一番重要ですね。これが一つの遺伝子のようなものを作っていくことになるか。たとえば初詣がそうです。なぜ初詣をするのかということは、毎年行っている人からすれば、昔からそうしているということで、考える必要がないんですよ。だからけっこう楽なんですよね。これは非常に重要です。昔からしていること、当たり前のことの影響力は、実は非常に大きいんです。

-習慣化するということですね。

西原 そうですね。その点でいうと、二〇一三年におこなわれたアメリカでの実験があります。横断歩道に立って手を挙げて、車が止まってくれるかどうかというものです。その際、通りかかった車を五種類にわけるんです。高級車から軽自動車までランクわけして、どのランクの車が止まってくれるのかを調べた。その結果、Aクラスの一番いい車は、四十五%が止まらなかった。ところが、軽自動車はみんな止まってくれたという結果になりました。

ではなぜそのような結果になったのか。その分析が面白いのですが、Aクラスの車に乗っている裕福な人たちは様々な場面で優先的に扱われる傾向にあるので、自分を優先することが無意識の中に刷り込まれているというものでした。一方で軽自動車に乗ってる人はその逆で、それでみんな止まったわけです。無意識に自分を優先する・しないということが身についている。だから無意識に当たり前のことを当たり前にやるということが非常に重要なんです。「昔からやっているから」、これが一番重要だと思う。ご法事をされるご門徒さんは、先代、先々代のご先祖の頃から法事をやってたんだと思いますよ。だから今も○○回忌だからということで来てくださる。このように、お寺に対する意識を日常化して、大切にしてもらうことがものすごく重要ですね。そういった点からいえば、今のお寺があるのは、先人たちがご苦労して、人々をお育てくださった、その果実で生活させていただいてるみたいなもんなんですよ。   (完)

 

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都市開教のいま2①

2024年03月07日 | 都市開教

宗派が出している「季刊 せいてん no146」(2024 春の号)に限界の続き「インタビュー」が掲載されています。2回にわかて転載します

 

都市開教のいま2

 

千葉県・西方寺住職 布教使   西原祐治さん

 

都市開教のいま・前号から西方寺住職・西原祐治さんへのインタビューをお届けしています。今回は、西方寺の活動や今後の伝道のあり方についてのお話。長きにわたる都市開教の経験と、現状を冷静に見つめることによって生まれたアイデアの数々は、私たちの視野を広げてくれます。

 

  • 法話会での心がけ

-お寺の活動についてお聞きしたいと思います。法話会をされておられますが、何名くらい参加されていますか?

西原 コロナで少し減りましたが、コロナの前は毎月五、六十人くらい来られてましたよ。

―多いですね。何か工夫されていることはありますか?

西原 毎回、初めて法話会に来る人が二、三人ほどいるんですね。初めて来た時の講師の法話が良くなかったら、「あー こんなものか」となって、もう来てもらえないんですよ。だからそういう意味では毎回必死です。

-やはりどの講師に来ていただくのかということはとても大事なんですね。

西原 初めて来る方は、もともと縁があったわけではないので、良くないと思えば次からは来なくていいわけです。その人は自分の自由意志で来ているので。

 だからうちのお寺は、初めて来てもらった時に、私の本に「初法座参拝記念」という言葉、日付。そして最後に「南無阿弥陀仏」と揮毫して、私の印もいれて贈呈するんです。これは、あなたが来ることを歓迎してますよというメッセージです。お寺にあまり縁がなく、初めて来た人は「来ていいんだろうか?」って思いますから、「歓迎してますよ」という意味で贈呈しています。ついこの前も、新しい人が二人來てくれたときもそうしました。

-そういったご法座の案内というのは、積極的にしておられるんですか?

西原 毎月寺報を出していまして、そこで案内をしています。毎回十人ほどのご門徒が発送作業を手伝ってくれるんですよ。その後にお茶を飲んで帰られるんですけど、私か作業できない時でもみなさんがやってくださって、お茶を飮んで帰っていかれます。

 

  • 広い視野に立つて

-他に都市開教で気をつけておられる点はありますか?

西原 ご門徒の寺への帰属意識というのも大事ですが、今はあまり重要視していないですね。というのは、都市では同じ場所に三代にわたって住みませんから。二代がせいぜいですね。ただ、うちの寺は墓地を経営してますから、お墓がある方たちは比較的定着率が高い。とはいえ、法話会に来る人は一代が多いです。そんな状況ですから、年を取ったら「息子が長野で住んでるから長野へ行きます」と、お骨ごと移す人もいるんですよ。だから個々のお寺でなくて、宗派への帰属意識の方を意識しています。そういう思いから、ある時期には毎年二十名ほどがうちのお寺から帰敬式を受けてもらっていました。帰敬式を受けてもらうことが、宗派への帰属意識につながるんです。教えを伝えるという意味では、自分のお寺だけじゃなくて、もう少し広く考えた方がいいということです。

-都市開教では、もともとご縁のない人とどうつながりをつくるかが難しいと思います、そのあたり何かお考えがありますか?

西原 私は現在、首都圏開教企画推進会議の委員をしています。この会議は十年単位で活動の企画を考える会ですが、今までは社会のニーズに沿って必要なものを考えれば良かったんですよ。だから当時の築地本願寺に欠けているものを考えて、納骨堂とか、電話の対応窓口などを設置したりしたんです。あるいは倶楽部を作ったり。でも、今からはソフト、つまり「考え方」が大事になると思います。

考え方をどのように構築するのかということです。都市開教で考えた場合、それはやっぱり「苦しみへの対応」だと思っています。例えばキリスト教であれば、開教の一環で病院や学校を建てたりしますよね。そういう戦略の中で地域に入っていったわけです。新興宗教だったら「思い通りにならない人生を思い通りする」ということで取り組んできた。

 じゃあ、わが宗派はどうするかというと、「思い通りにならない状況の中で、思い通りになったことだけにしか安らぐことのできないという人間的な結果、それが迷いのあり方であることが、自らの苦しみを通して明らかになる」というのが、私の結論なんです。

 しかし、三十五年やっても、教えに共感してくれる人の数はあまり増えていません。ですので、宗派の都市開教のこれからの十年、二十年の指針を考えた時、考え方からのアプローチが重要であるのは間違いないんですが、現場ではちょっと難しいかなと思ってるんですよ。(つづく)

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