The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

Coffeeの自然法廷 上

2014-06-04 08:44:12 | Weblog
 
 突然、声がする、
 「もうちょっとだったね」
 「なにがだい」
 「『コーヒーの王道』さ」
 うす暗がりの中に、なにかが立っている、
 「ふふふ、コーヒーの精霊とでも言っておこうかな」
 どうやらオトコみたいだ、どうせならオンナのほーがいい、
 「ふん、このスケベが」

 なんで現れたんだろう、すると、
 「われわれは、人間のためにあるんじゃあない」
 「・・・」
 「それをなんだ、あまりにも失礼じゃあないか」
 一理ある、今の世界、なんでもかんでも人間中心だ、
 「動物とはなんだ、ほとんどの動物は、機械的反射と物資運動の集積ではあるまいか」
 「動物とは、植物のエピソードにしかすぎないという立場があってもいいはずだろう」
 「この世界いやこの宇宙の主人は植物、動物はそのおこぼれにすがって生きてきたにすぎない」

 これには驚いた、まったく違った発想だ、たしか、ニューギニアのジャングルの奥に、大きな樹があり、人生のすべてを終えた老人は、よろよろと歩き始める、何日も何日も、そして、やっと辿りつくと、その根元に横たわり、二度と立ち上がることはない、母なる大樹に抱かれ、大自然いや大宇宙のもとに帰っていくという、ちょっとした大人のメルヘンだな。                        

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