The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

ヨーグルトの価格に見るスーパーの経営方針 下

2014-08-29 05:35:46 | 世界経済
           
 明治のブルガリアヨーグルトは人気商品で、客寄せのためにさまざまの工夫がされている、8月22日の値段は、
         ダイエー   ドンキホーテ    東急スーパー    
 明治ブル     138     148       190
 雪印6P      184     198       322

 こんなに差があった、東急スーパーはぶっちぎりの価格だ、ここの各店はこんなもの、時々安くするがすぐにもどしてしまう、明治のブルガリが190円はまあまあか、だが、日吉店では、これが270円になっている、タイヘンなもんだ、ダイエーは138円で6Pも184円、雪印のこれは味がいい、小さい頃から慣れているせいもあるかもしれない、ダイエーの店員に、
 「ずいぶん努力しているんだね 雪印の6Pチーズの184円はありがたい 3個買ったよ」
 「ありがとうございます」
 
 当たりのやわらかい店員だ、
 「キミ知ってる 東急の日吉店の明治のブルガリは270円なんだ おたくなら2つ買える」
 「そうなんですか わたしもいろいろな店を担当させてもらっているので 各店によって値段がちがうのは知っていますが それは ずいぶんですね」 
 私が、
 「なぜ ガマンしているんだろう となりの支店では190円だ クレームをつけるべきだろう これじゃあ スーパーは集金マシーンになっちまうぞ」
 着飾ったおんなたちが、いそいそと買い物をしている、
 「高給取りで そのくらいはなんでもないっていう顔をしている それでも倍もちがうのはねえー BookOffなら1冊買えるでしょう」
 すると、目の前の店員が、 
 「セレブを気取っているんです」

 これにはビックリした、そう、そこに、Yokohamaのオトコがいる。

 「上品そうなババア いや ご婦人が わたしたちは年よりだから 高くてもいいんです ちょっぴりでいいんです」
 「それは 上品なんかじゃあ ありません」
 「・・・」
 「ぶっているんです」
 「結局 イナカもんなんですよ」

 関東大震災の後や大戦の後にヨコハマにやってきた田舎もんの2世や3世か、生粋の横浜市民ではない、ゼンブ言われてしまった。

ヨーグルトの価格に見るスーパーの経営方針 上

2014-08-27 05:51:15 | 世界経済
        
 アベノミクスがおかしい、大企業はベースアップしたが、全体的には収入が増えず、消費マインドは冷えこんだままだ、前の民主党政権は、政治・経済・外交センスが限りなくゼロに近かった、そんな時に大災害が来る、今の問題は、2世3世議員と霞が関の役人のabilityか、下々(しもじも)の世界で悪戦苦闘する庶民の消費行動の一例を紹介してみよう。

 ヨーグルトを愛用している、これで花粉症が出なくなった、ほとんどクスリだ、当初はいろいろなヨーグルトを摂っていたが、
 「自分に合ったモノに 決めたほうがいいよ」

 そうかもしれない、どれにしよう、明治のブルガリアヨーグルトがいいか、ところが、この価格がスーパーによってマチマチ、八月の中旬、スクランブル交差点の西武のデパ地下では、なんと110円、ただし、
 「おひとり様 2点まで」
 ここは、ふだんは145円だから、110円は Good Job !

 これ以上はあるのか、その前に、このヨーグルトは各スーパーの人気商品で、これを目玉にしているケースが多い、大体200円前後か、だから、110円がどんなにショッキングか分かるだろう 、秋葉原の電気街方面の改札口を出ると左手に大きなビル、その下のスーパー、今年の4月、なんと1個100円、消費税を入れて108円、
 「ワアー ワアー」
 「お客さん 静かにしてください」
 「これ ホントー」
 「ウソついて どうしますか」
 「4個 いいかな」
 「いくつでも いいんですよ」

 もっと買ってもよかったが、くさっちまう、二週間後に行くと130円台だった、若い店員に、
 「このあいだは すごかったね」
 「ふふふ」
 「また やらないの」
 「メーカーから クレームがきたんです」

 そりゃあそうだろう、破格の値段だ、
 「よく努力しているね」
 「はい チカライッパイやらせていただいております」

 うれしいじゃあないか、さすが、アキハバラだな。

司馬遼太郎の最後の一句 終

2014-08-18 06:26:35 | 世界経済
       
 声にすればネコナデ声のような彼の文体の背景には、各地の郷土史家の協力をあおぎ、20年30年の成果を召し上げる、その目的があったんだろう、だから、ちょっとしたものができるはずだ。

 この手口を駆使したのが民俗学の柳田国男、日本中の教員を動員して資料や記録を蒐集、その結果、日本では山犬が人間の子供を育てた例はないという結論、ところが、あの南方熊楠、この古文書のここのところ、あの記録の何年の条に、オオカミがヒトの子をそだてたという記載がある、国家権力を動員して調査したのが、ミナカタのデッカイ・アタマひとつにやられてしまったのだ。

 南方には不思議な話しがあり、熊野の山中で植物採集をしたのだが、死んだ母親があらわれ、
 「クマクスや それは あの山の あの木のかげにはえているよ」
 その通りだった、かつての日本には、こういう話しが頻繁であった。

 さて、司馬は、中国の各地を旅し、いくつかの紀行をものにする、この頃はうまくやっていたのだろう、そして、台湾の李登輝さんと対談し、台湾人の立場と、
 「台湾人として 生まれた悲しみ」

 これは、台湾を共産中国の一部としている中国共産党指導部の逆鱗(げきりん)に触れるものになった。

 ところで、司馬遼太郎は、これが言いたいがために我慢してきたのか、それとも、たんなるグーゼンか、たまたま、こういうメッセジーを発信してしまったのか、どっちだろう。

 世渡り上手の千慮の一失か、それとも、生きるために我慢に我慢を重ねた男の「最後の一句」だったのか、それにしても、当時の週刊朝日のスタッフは、よくぞ支えてくれたものだ、朝日新聞にも公平な本当のインテリがいるようだ、いや、大半がこころやさしいリベラリストなんだろう、彼らの意見が朝日の主流になることを願っている東京市民が多いのではあるまいか。

 自由でオシャレで都会的、東京の市民と朝日新聞には美しい思い出があり、ニッポンの一番良質な世界があったのに、この20年30年は、ザンネンなありさまだった。

 それにしても「台湾人としての宣言」、台湾の人々の喜びは、どれほどのものであったか。

 今回の故宮博物館展は、彼らの感謝のひとつかもしれない、そう、作家司馬遼太郎の「最後の一句」に対する返礼だ、東洋の男たちの千年の夢三千年の誇り、堂々たる礼儀と気品は滅びてはいなかった、これこそが宝の宝、
 「ああ いいなあー」


司馬遼太郎の最後の一句 3

2014-08-16 08:30:33 | 世界経済
               
 「街道を行く」の最初は、気の強い郷土史研究家にえばられて散々の目にあい、天下の司馬遼太郎があたふた・おろおろ、ほんのちょと知っているシロウトほどタチの悪い連中はいない、
 「おめえ 作家なのに こんなことも知らねえのかい」

 そういう当人は、それだけしか知らない、東京を遠く離れた地方都市で井の中のカワズ、バカのひとつ覚え・コケの一念で、ちょっとしたことを調べてきた、20年30年・・・それしかノウがない。

 やがて、「街道を行く」は調子が出てくる、それは、こういった郷土史家を利用するコツをつかんだからだ、そう京大のえらいセンセーに口をきいてもらう、東大の権威に紹介してもらう、県の教育長に頼む、この国の「タテ型構造を」利用する、この辺から、立場が逆転したんだろう。

 だから、コツコツ集めてきた貴重な情報を召し上げることに成功する、価値ある知識や記憶が、一介の作家のもとに流入していく、なぜ、こんなことを書くかというと、彼の手法は普通の研究家にはできないことだからだ、東北の陸前高田の町立資料館で質問をすると。
 「一回が二回来たくらいじゃあ そんなことは教えられないね」
 「最低でも 五回は来てくれないとなあー」

 地方には、こういった連中が多い、未だに東大がどうのこうのと言っている、中央の権力や権威が有効なのだ、そして、この資料館、このあいだの津波でどうなったのか、だから、あの時、倉庫を見せてもらっておけばと思うことがある。

司馬遼太郎の最後の一句 2

2014-08-14 05:19:05 | 世界経済
           
 翠玉白菜は名品中の名品で、これまで海外に出したことがなかった、それを、日本で展示、刻一刻その状況が台湾に伝達されていたらしい、6月24日から7月7日までの2週間、それが終わると、さっさと帰国してしまった、そうするとああやって列を作った多くの人々も日本と台湾の友好に協力したことになる、これに関係した両国のメンバーは胸をなでおろしたことだろう。

 さて、例の「そういえばコマイという学者がいたな」の会話の背景を、上智大学の名誉教授・白鳥芳郎博士が教えてくれた、駒井さん、東大の教授だったが、大学は早稲田で東大の大学院に進み、幸か不幸か、東大の助手になり、講師・助教授・教授となる、昭和の40年代には百科事典にも論文を掲載しており、まさしくオホーツク文化とストーン・サークル研究の第一人者であった。

 そこまではよかった、しかし、駒井さんは正統な東大一族ではない、だから、駒井さんの下に着くことは、東大での出世が望めない、学問は、引き継いでくれる者がなければ廃れてしまう、消えてしまう。

 だから、司馬が駒井さんの学説を紹介しようものなら、当時の東大の連中がいい顔をしなかったのかもしれない、そこで、オホーツク街道では、大功労者をスルー、
 「そういえば コマイという学者がいたなあー」

 こうでなくっちゃあー、ニッポンという国で成功するには、あの手この手が必要、どこで、こんなチエを身につけたのか、新聞記者時代だろう、京大の教授は東大の教授と仲が悪い、片方を取り上げたら、もう一方も立てなければならない・・・

 そうそう、三内丸山遺跡が一大ブームになり、何本かの特集が組まれたが、駒井博士の説を紹介したのは、たった一人、それは、町立考古館の学芸員だった、この島国の巨石文化を大陸にまで追跡した駒井博士の研究はスケールが大きく、そして、先生は詩人であった、
 「リンゴの実のなるところに ストーン・サークルがある」

司馬遼太郎の最後の一句 1

2014-08-12 09:46:20 | 世界経済
           
 司馬の「街道を行く」の中に「オホーツク街道」がある、北海道の北のハテに縄文でも弥生でもないダイナミックで骨太なオホーツク文化があった。
 
 司馬一行は昼食を摂るのだが、魚が出た、「氷下魚(こまい)」、その時、
 「そういえば コマイという学者がいたな」

 コマイという学者とは、駒井和愛(かずちか)博士、オホーツク文化研究の第一人者で功労者、それを、「そういえば コマイという学者・・・」、これはどういう意味か、知ってか知らずか、これには、どんな事情があるのだろう。

 司馬はこのオホーツク街道では、アマチュアの郷土史家を紹介し、タイヘンな苦労と努力でオホーツク文化の調査をしてきた、そんなチョーシ、だが、シロウトはシロウト、一流の学者と比べるなんておこがましい、第一、失礼ではないか。

 長い期間、その事情が分からなかった。

 
 

翠玉白菜・日本に行く

2014-08-10 08:29:22 | 世界経済
        
 上野で故宮博物館展をやっていて、180分待ち210分待ちの行列、若い館員は、
 「いえ サイコウは240分の4時間待ちでした」

 これは、あの一品・翠玉白菜のためだが、その展示は7月7日までだった、
 「今は どこを回っているの」
 「それが・・・」
 「どうしたんだい」
 「もう 台湾に帰りました」

 どうやら、破格の好意だったようだ、決して国外には出さない名品中の名品・絶品中の絶品、では、どうして日本で展示したのか、あるいは、司馬遼太郎と李登輝さんの、
 「台湾は 台湾人のものです」

 週刊朝日の編集部もよく支えてくれたものだ、台湾人の喜びはどれほどのものであったか、日本の作家のいのちをかけた一句に、至宝中の至宝をもって応える、おそらく大陸の文人の中にも、このやりとりを知り、首を垂れる人もいたのではあるまいか。

 利害得失を越えた紳士の応対、
 「東洋の秋は ほろびてはいなかった」

 東洋の男たちの千年の夢、三千年の誇り、そう、これが文明なのだ、女子供の上に原爆を落とす白人たちのうかがい知ることのできない世界だ。

 善きかな
 善きかな
 ふたつの国に 幸運あれ
 ふたつの国に 栄光あれ

 なお、この一遍は、もうひとつのブログ「安藤真の横浜通信(Yokohama888 )」の「三人の作家ー司馬遼太郎ー」の続編です。

横浜市民K君のメイ分析とメイ推理 結

2014-08-07 05:48:26 | 世界経済
                 
 「なおるかい」
 「なおるとはどういうことか」

 Kが、いなおった、
 「大衆社会の平凡な市民生活が サイコーなのか」
 「・・・」
 「もっと 掘り下げるべきだ この国の新聞やテレビ なにもしない・なにもできない ワアーワアーギャアーギャアー さわぐだけだ」
 「彼らにとって 大切なことは 大衆の関心を集め 新聞を売り視聴率を稼ぎ いくばくかのカネをかせぐことだけか」
 「そのために どんな事故どんな事件も たくみにカムフラジューして 本当の意見や主張は スポイルしてきた」

 「彼らには 現状の維持が第一命題で そのための真実の追及なのだ この国は やはり 黒船でしか改革できないのかもしれない」
 「稲作の村落共同体がベースの この国の社会にあって 右向け右の・赤信号みんなで渡れば恐くない そんな状況では 特異で秀逸な遺伝子は 遠ざけられ排除されてきた」
 「一個の精神にとって これほどの犯罪はない 暴挙はない」
 「欧米の良心的なインテリが指摘するのが それだ」

 「天皇という祭政リーダーのもと あっという間に固く結束して あの神輿のように 右に左に前に後ろに練り歩き あたりかまわずぶちこわす 彼らは これを警戒しているのだよ」

 横浜市民のK君、
 「九州は不思議なアイランドで 半島経由・琉球列島また黒潮経由で さまざまの情報が流入した」
 「山には山人 川にはカッパがすみ そう 阿蘇の山中でキリストと出会った宗教者がいる 本人がヘブライ人のような容貌・容姿だったね」
 「熊襲(くまそ)とは何者か、たんなる縄文系ではあるまい 隼人はインドネシア系か 列島の中央部に行くには九州を経由しなければならない だから 奈良や京都の前に 北九州に政治的中枢があったと考えるべきではあるまいか」
 「あるいは 百済本社に九州支社 それが九州本社に飛鳥支社 やがて奈良本社と九州支社になった どうかな」

 「弥生時代の前期 北九州では ひとつの墓から 短頭の女性・長頭の男性の頭蓋骨が出土している 短頭は縄文系で長頭は新しいタイプのモンゴロイドだ」
 「九州には 農耕民のものとは異なるソフトウェアがある 今回の事件をきっかけにして これを開発することは 災いを転じて福となすことにならないか」

 「まあー ムリかな」

 

横浜市民K君のメイ分析とメイ推理 転

2014-08-05 05:18:56 | 世界経済
             
 九州には山人伝説が多い、民俗学の父・柳田国男の山人研究のなかに、山小屋の屋根に「パラパラ」という小石の音、なにものかが投げてくる、そして、男たちが寝ていると足首を引っ張る、
 「その おそろしいこと おそろしいこと」
 犯人は山のオンナで、おそらく子孫を作りたかったようだ。

 北九州の山中には、肌の黒い山人がおり、村人の木材運びを手伝ってくれる、お礼にオムスビをあげると、喜んだこと喜んだこと、こんなにおいしいものを食べたことがない、これが、お米の魅力であり魔力、高カロリーのこの穀物が日本列島を征服したのかもしれない、ところで、この列島には驚くほど多くに山人伝説がある、だが、肌の黒いのはこれだけであろう、そして、彼らは、その後、どうなったのか。

 柳田は東北の山中に「山丈(やまじょう)」という大男がいたことを記録している、「丈」は3.03メートル、いくらなんでも大きすぎる、ギネスの記録では、2.7~2.8メートルではなかったか、だが、1メートル50か60が平均だった日本人には、6尺・180センチでも大男だろう、横浜っ子のKが、
 「ヤンキースの選手だったマツイは どのくらいかな」
 「186センチぐらいだったとおもうよ」
 「おおきいなあー 彼は石川県の出身だから山人の系譜ではないか なんだろう」
 「鬼か天狗だね」
 「うまいことを言うな それはともかく 狩猟民の血統というのは大いにありうることだろうね」
 「ほーう」
 「彼は ピンチにつよかった ここイチバンで打ったね 大舞台で大活躍だった」
 「・・・」
 「ふつうは ここぞという時に 肩にチカラがはいってしまうもんだ それはスポーツをやったものならわかるはずだ 実力の半分も出せないことが多い」
 「それが 農耕民の特質だと思うな これが ふつうなんだ」

 意外なトコロからモノを見るKはヨコハマの変わりもん、
 「だが 狩猟民はちがう 追跡して追跡して 待って待って 一瞬のチャンスを逃さない そのDNAを受け継いでいる だから狩猟民なんだ」
 私が、
 「柳田の山人研究は 明治の30年代だったね」
 「おしいことをした あれが最後のチャンスだったんだがね それを あのオトコがめちゃくちゃにしてしまった」
 どういうことだろう、
 「もっと科学的に調査してくれていれば 日本列島の文化と歴史が構造的に理解できた」
 「具体的には」
 「彼のもうひとつの立場は 明治の央集権的国家の高級官僚であり 故意にカットしたということはないではあろうが そう カムフラジュしてしまった うん あいまいだな」

 そうかな、
 「彼の弟子の宮本常一が 引き継いだと思うけれどもね」
 「いやあ- おそかったね 列島の山人伝説の痕跡は あらかた払拭(ふっしょく)されてしまっていたね」