The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

三内丸山に行く 9

2010-09-30 03:57:43 | Weblog


 E・ケンペルは、日本と日本人に大変に好意的で、当時の日本が安全で平和、ヨーロッパよりも進んでいると述べている、もっともこの時代のヨーロッパは、宗教戦争の最中で、混乱の極みだった。

 ケンペルは宿屋にモノを忘れたのだが、何人もが中継して、無事に届いたことを記している、「この列島の人々は親切でやさしい」、ケンペルのこの著作がヨーロッパの人々に影響を与え、幕末の列強が、比較的に好意的であったのは、これによるようだ。

 彼の観察は、はさまざまの分野に及んでいるのだが、圧巻は、
 「日本人の先祖は、バビロニアから来た」 ― 『日本誌』 ―  

 ヨーロッパの一部には、日本人が白人と関係があると思い込んでいる人々がいるのだが、その出発点は、E・ケンペルということになりそうだ。
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三内丸山に行く 8

2010-09-28 05:44:54 | Weblog


 ケンペルは街道の脇に「美しく着飾った少年」が客を待っていることをスケッチしていたが、少年たちは、旅のオトコたちの相手をさせられたのであり、それが江戸時代の風俗であった、これは、芭蕉の紀行文には出て来ない。

 劇作家のつかこうへいは、九州の炭鉱の街にもこういうコトがあり、不衛生な行為によって脳をやられ、廃人になったケースを書いていた。

 人々の営みは、決して、きれいごとではなく、生まれてきた子供の多くが「間引き」され、農村では「次男三男飼い殺し」、あるいは「口減らし」のために奉公に出される。

 千年二千年のこの列島の歴史からみると、今は、大変に恵まれた時代かもしれない。

 E・ケンペルの描写は、見事に、鋭く、あの時代の真実を切り取ってくれた。
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三内丸山に行く 7

2010-09-24 06:11:29 | Weblog

 三内丸山遺跡は、縄文時代の前期中頃から中期(BC3,500~2,000)にかけての大規模な遺跡で、縄文の社会と文化の概念を一変させた。

 この地に遺跡があることは江戸時代から知られ、あの管江真純の『栖家の山(すみかのやま)』に記録されている ― 寛政8(1796)年 ― 

 管江は謎の多い人物だが、自分の足で当時の日本を調査し、実に、貴重な事実を記録してくれた、これに対し、松尾芭蕉の紀行文は参考にならない、芭蕉は、いくつもの紀行をものにしているが、それは、彼の心象風景であり、我々の知りたい風俗・伝統・習慣ではない。

 管江は諏訪大社の祭礼で、少年を捧げる不思議な儀式を記録していた、これは旧約聖書のアブラハムとイサクのエピソードに似ていることを指摘する研究者がいる。

 かつて、大社の御頭祭では鹿の生首75頭を並べた、『信濃奇勝録』には、
 「身の毛もよだちて恐ろし」
 管江の報告とともに、列島の狩猟文化を伝える貴重な記録だろう。

 管江に匹敵するのは。E・ケンペル、彼は江戸に向かう街道で、着飾った少年が客を待っているシーンを書き留めていた、恐らく、これを記録したものはないだろう。
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三内丸山に行く 6

2010-09-22 05:08:28 | Weblog

 青森駅の前で、バスの行き先を確認する、「三内丸山遺跡」までのバスの路線があり11時05分の次は12時15分だった。

 雨が降って青森の街が濡れている、気温は17度、6月の下旬としては肌寒い。
 停留所でバスを待つ人は長袖を着ていた、半袖は18人のうち私を入れて3人だけ、この18人の中に、面長で色白・彫の深い顔があった、金壺マナコでシシ鼻、実に堂々とした顔、さすが津軽だ。

 一時間毎に無料のボランテイアのガイドがつくという、それまでにかなり時間があるので食堂に行く、牛丼・味噌ラーメン・ビーフカレー、そして、なんと「縄文ラーメン」、これは、イノシシに肉入りだとか。

 三内丸山遺跡の発見は、ラーメンにまで影響を与えたことになる。
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三内丸山に行く 5

2010-09-13 05:31:25 | Weblog

 
 大広間の電気が消えて就寝の時間となる、十数人のオトコ達の大小のイビキが湧き上がる、その中に、
  ♪ つーるーとかーめーがすーべったー
    うしーろーのーしょーめーん だあーれー・・・
 ローカル色一杯の寝言だ、それでも寝てしまった。

 「ドタドタ・ドタドタ」
 目を開けると、下半身ハダカのオトコが駆けてくる、台に上り、正面の壁まで直進、そして、ポスターの端に指を入れ、引っ掻く、1回2回・・・
 すごい光景だ、やはり、ここは東北の街、座敷わらしや山姥(やまうば)・ナマハゲが生活している風土なのだ、このオトコ、なにかに取り憑かれているんじゃあないかな、じっとして見守るしか方法がない。

 やがて、クルリと振り返り、ハダカのケツをこっちに向けて、ダッーと広間を出ていき、二度と戻っては来なかった、2時半、あのままのかっこうで、がらんとした青森の街を走っていったのであろうか。

 「明日、いや今日は三内丸山、ちょっと寝ておこう」

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三内丸山に行く 4

2010-09-09 05:44:26 | Weblog


 「父親が死んで長男が家の財産を継いで、マッサージ学校のお金出してくれたんです」
 「そうなの」
 「だけど、一生、恩に着せられるんです、一生、言われるんです」
 「へーえ」
 「お前が一人前になれたのは、オレが金を出してやったからだ」
 「・・・ 」

 「返したんです、借りたお金、返したんです、それどもぐちゅぐちゅ言うんです」

 そういうこともあるだろう、ここには、良くも悪くも、古い日本の家族制度が生きているようだ。

 「だから、ヨソの町に行きたいんです、ヨソの町に行って、胸の底から、息をしたいんです」
 「一度でいいから、思い切って呼吸がしたいんです」

 外が静かになった、しんしんと津軽の夜が更けていく。
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三内丸山に行く 3

2010-09-07 03:54:21 | Weblog

 
 「10分、延長してもいいですか」
 サウナ室のマッサージ師、ギリギリの予算でやって来た、とてもそんな余裕はない。

 「いえ、そうじゃあないんです、まだ揉んでないところがあるんで、料金どおりでいいんです」
 「・・・」
 「今日の最後のお客さんだから、いいんです」
 こんなケースは初めて、変わった人だな。

 「お客さん、東京ですか」
 「いや、ヨ・コ・ハ・マ」
 「ヨコハマ、いいなあ~」
 「そうかな」
 「ミナト・ヨコハマ、一度、行ってみたいな」

 目の不自由な若者は、
 「ここで生まれて、よその町に行ったことがないんです」
 「ああ~ヨコハマ、行きたいなあ、住んでみたいな」

      ― 縄文中期 八ヶ岳山麓 渦巻紋土器 ―
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三内丸山に行く 2

2010-09-04 05:40:35 | Weblog


 サウナの風呂に入っていると、背中に毛が生えている人がいた、背骨の両脇に剛毛が立っている、まるで鬣(たてがみ)だ。

 腹や胸に毛が密生しているのは見たことがあるが、背中は初めて、「書紀」に毛人の記述があるが、それは、こういう人を言うのであろうか、そこでは、数人の毛人を中国の皇帝に献上したと記録されている、だから、あの広大な大陸でも珍しかったんだろう、因みに、今、話題の坂本竜馬も背中に毛が生えていたようだ。

 まさしく「竜馬」の名に恥じないということになる。
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三内丸山に行く

2010-09-02 21:48:44 | Weblog


 列車が青森駅にすべりこむちょっと前、数百メートルぐらいか、向かって右側に黄色いビルがあり、そこにサウナがあり、食事と宿泊ができた。

 陰気なビジネスホテルに泊まるより、こちらの方が楽しい、サウナ室で出張中のサラリーマンと話す、
 「23時のバスで帰ります」
 長距離バスの料金はJRの3分の1ぐらい、それにホテル代に比べればここは格安になる、彼は、こうやって出張旅費を浮かしていた、ちょっとした小遣いが稼げる。

 だが、領収書はどうするんだろう、なにか、上手い手があるのかもしれない。
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