
江上波夫は1906・明治39年生まれ、子供のころ、
「同じ関東地方でも山村に行くと人間の感じが違うと思ったものです」
10歳とすると、1916年で大正の5年か、
「小学生のころは、東京から離れると、今でいう外国へ行ったような感じがした、言葉はわからないし、生活スタイルまで違う」
なんと貴重な証言ではないか、「東京から離れると外国に行ったような感じ」、今でも、微かに、その空気は残っている。
私は、少年時代、山梨の山村にいたことがある、そこの風俗・習慣は、都会とは随分違っていた、そして、東京・横浜どころか、甲府の街の人々にコンプレックスを抱く子供たちが多かったのを覚えている。
当時は、今以上に深刻な問題があり、それはそれは貧しい家庭が多かった、極度な栄養不足から中学生になっても、小3小4のような体格、それでも五体満足ならいい、背中の曲がってしまった少女がいた、家の傍の小川で野菜を洗っていた、道を聞くと、丁寧に答えてくれる、その優しい深い瞳の色が、昨日のことのように思い出される。
一行の記載もなく、消えていった忘れ去られていった人々の、なんと多いことか。
「同じ関東地方でも山村に行くと人間の感じが違うと思ったものです」
10歳とすると、1916年で大正の5年か、
「小学生のころは、東京から離れると、今でいう外国へ行ったような感じがした、言葉はわからないし、生活スタイルまで違う」
なんと貴重な証言ではないか、「東京から離れると外国に行ったような感じ」、今でも、微かに、その空気は残っている。
私は、少年時代、山梨の山村にいたことがある、そこの風俗・習慣は、都会とは随分違っていた、そして、東京・横浜どころか、甲府の街の人々にコンプレックスを抱く子供たちが多かったのを覚えている。
当時は、今以上に深刻な問題があり、それはそれは貧しい家庭が多かった、極度な栄養不足から中学生になっても、小3小4のような体格、それでも五体満足ならいい、背中の曲がってしまった少女がいた、家の傍の小川で野菜を洗っていた、道を聞くと、丁寧に答えてくれる、その優しい深い瞳の色が、昨日のことのように思い出される。
一行の記載もなく、消えていった忘れ去られていった人々の、なんと多いことか。