確執。
色々考えてはみたんですけど、要するにクロスと茎道の仲違いが原因っていうか
単純に言えば嫉妬・・・ですよね。クロスの「君の何を妬むんだ」ってセリフが印象的で
確かにクロスの立場から言えば本当に何を妬むの?ってくらい
茎道の一歩も二歩も先を行くぐらい恵まれてて
一方で茎道は研究の成果も家族だとか幸せって観点からも何一つクロスには及ばない人物で
それは茎道にとってはひどく屈辱的な出来事でもあった、という。
他人を見下してた人間なだけに
他人から見下される立場になったっていう結果が茎道にとっては耐え難い事実だったんだろうな。
だから彼を手に掛けて、彼の息子に代わる存在として涯を仕立て上げて、全てを奪ったという顛末。
それもまた心のすれ違いによるものであるのは明白で
この作品が徹底して描いてきたテーマであるとも言えます。
だからこそ、次世代の集たちの仲直りの描写があった訳で、即ち茎道の間違いを
全ての因縁が終わる瞬間が近づいてるってサインにも思えるっていう。
空っぽになって逆に全てを許せるように
主人公の顔付きになった集。
最後くらいは本当に格好の良い主人公として君臨させてやって欲しいものですね。
クロスはクロスって名前でありながら、本当に誰かと上手く交われるような人間ではなく
むしろ仲違いで命を奪われるような人間って最期で
だからこそ、父親が息子に「集」という名前を付けたのには大きな意味があって
でも少し前まで集は本当に父親と同じ道を辿る可能性があった訳で。
颯太の手によって死に掛けた経緯がありますからね。
それを考えると今週の颯太との仲直りっていうのはとても意味のある儀式でもあり
乗り越えられなかった父親の壁の突破、
そして涯を打ち砕くという事は結果的に茎道に報いる行為にも当たるから
何気に親が成し得なかった色々を息子が達成する、乗り越えるだとか
そんなテーマ性もあるんじゃないかなあ、と個人的には思いました。因縁を打ち砕いた後に、
真実の意味で新しい世界を創っていって欲しいものですね。
非常に複雑なお話でしたが
自分なりに咀嚼してみて感じたのはそういう所でした。
嫌いだからこそ、ふとしたきっかけで好きになったり
逆に好きな存在だからこそ、何気ないきっかけから憎しみが生まれる、っていう。
好きとか嫌いとかって本当にコントロールが難しいものですよね。
相手の罪も過ちも、
自分の罪や過ちも、
扱うのは厄介だし、暴走する気持ちを手なづけるのは難しい
その上で相手も自分も全て許せる力が必要なのかな・・・とも感じました。中々深いなあ。
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