超進化アンチテーゼ

悲しい夜の向こう側へ

とどめをハデにくれ

2009-05-28 20:34:23 | 音楽(名盤レビュー)

こんばんは、西京BOYです。
今夜は名盤レビューでもやろうかと。

個人的な名盤レビューとしては今回が初になります。
出来るだけ初めて聴いたときから時間が経って、より思い入れが深くなってるものを語ろうかと。


今回はThe ピーズの「とどめをハデにくれ」です。


このアルバムは今から16年前の93年にリリースされたアルバムで
The ピーズのアルバムとしては4作目となります。
 そして個人的に2002年に再始動してからのピーズを第2期とするならば
活動休止前の第1期のピーズ作品としては最高傑作だと思っています。

The ピーズの音楽というのは基本的にささくれだっていて、半分やけくそになっているかのようなものが殆どなんですが
そのやけくそっぷりを確かな作曲センスとシンプルでカチッと決まっているバンドアレンジで
上質のロックンロールとして聴かせてしまう、
そういうある種のむちゃくちゃっぷりが際立っている音楽性だと感じています。
 やけくそなものをただ滅茶苦茶にやるんではなく、
基本的な軸の部分をしっかりと保っているからこそ、そのやけくそ感がきっちり伝わるというか。

自暴自棄な詞の内容も目立つ音楽なので、聴く人は選ぶと思いますが
今が最低だからこそ生き延びてやろうとする、逆に前向きなんじゃないか?という意思をThe ピーズからは感じます。
 そしてそれが最も色濃く出てるのがこの盤じゃないかと。
立場的にも精神的にも駄目であれば駄目である人ほどこの音楽は響くと思う。


全9曲なんですが、収録時間は50分越えという面白い内容のこのアルバム。
長い曲はダラダラと、短い曲は出来るだけスパッと終わるタイプのアルバムなので
全曲が全曲間延びしているという訳でもなく、むしろバランス的には良い感じです。
ミドルテンポの曲が続く中に「みじかい夏は終わっただよ」のようなどんちゃん騒ぎをしてるような曲が流れると
やけにハイテンションになれます。

「映画(ゴム焼き)」や「日が暮れても彼女と歩いてた」「井戸掘り」など基本的に間延びしている曲が多くて
普通なら聴いててダルいよ、とかなっちゃうと思うんですが
何故かこのアルバムは聴いてて気持ち良いんです。
 元々のメロディーがいいとか、バンドの演奏がオルタナ感たっぷりで気持ち良いとか色々と要因はあると思いますが
個人的にはこの「間延びしている感覚」が気持ち良いのかな、と。
敢えてこうしてるというか、確信犯的というか。
本気で間延び感覚を再現してるというか。
こんなアルバムは私の人生の中でも多分これ一枚です。

で、その楽曲の良さを更に際立てているのが大木温之(通称はるさん)の独特の詞世界。
個人的に好きな部分を挙げてみると、



「苦しめばいいさ ひとりっきりでずっと
 ひきずって くるまって 夢をみるさ」(映画(ゴム焼き))



「どこの誰が 本当にしあわせなんだろーか
 冷たいヤな奴も 体だけはあったかいだろーや」(日が暮れても彼女と歩いてた)



「サジ投げたって 何もないさ
 投げれんのかわからないってのが本音さ
 誰もいなくなったんだな」(井戸掘り)



「カン違いのクソ夜を
 わざわざくりかえし
 とりのこされたカスだ
 もういーや こんままだ ずっと」(手おくれか)



「Yeah 完全マヒなのさ
 カラッポはラクだぜ」

「迷子のフリしてコビ売ろう」

「いい夢をみてんのさ ほっといていーよ
 ほっといていーよ ほっといていーよ
 ぬけがらでいーよ 何も欲しくねえよ
 ほっといていーよ ほっといていーよ」(日本酒を飲んでいる)


これらの歌詞をはるさんは本当にけだるそうに、全てを諦めたように歌う。
空っぽになった人間の姿をあますことなく音楽にしている。
それはとても汚くて、やりきれないと同時にある種の美しさも感じます。
空っぽの美学というか。

ただもちろんそこで終わっているわけでもなく、
「今度はオレらの番さ」という曲は割と前向きな歌詞になっていたり、
「今夜もこのまま そっと生きのびよう」というフレーズがあったりと
少しばかりの希望も描かれているのがリアリティあるなあ、と。
 無気力になってしまった人間の実像を浮き彫りにしてるというか。
人間、完全に希望を捨てることは出来ないというメッセージ性もあるような。


歌詞、サウンド、佇まい、コンセプト性と実に見事なアルバムなんですが、
それに加えてプラスアルファ、忘れることの出来ない一曲がこのアルバムの中にはあるのです。
初めて聴いたのは学生の時で、かなりの衝撃を受けたのを覚えています。
  それはこのアルバムのラストを飾る 「シニタイヤツハシネ~born to die」という曲。
何かの拍子にこの曲を思い出して、ボロボロに泣いたのは今でも忘れられません。


死にたい奴は死ね。死ぬために生まれた。


そんな直球過ぎるタイトルですが
詩の内容もサウンドもこれまた直球。
タイトルのフレーズを何回も繰り返す、ロール感たっぷりの一曲になっています。
悲壮感も往々にして受ける。



「満足するくらいの夢でもみてれば
 いちいちにつまる程のヒマはないのさ
 何べんも思いどおりにいかないばかりで
 とうとういい夢もみれなくなったのさ」


「調子んのって弱音吐いて弱気になれてる
 ヒマなオイラは後悔する タラレバと」


「正面からマトモに自分をみれねーよ ボロだもん」


「やりたい事が多すぎて 何にもやりたくなくなっちまった」


「考えることが多すぎて どうでもよくなっちまった」


「誰も止めたりしないよ しねえ
 すぐに忘れるよ しねえ
 五体満足のままで しねえ
 何でも出来るくせに しねえ」


凄いエネルギーで絶望を真正面から歌っている曲。
ここまで絶望感が漂う曲は滅多にない。
Syrup16gの「明日を落としても」がこれに匹敵する曲かなあ、とは思いますが。

そしてこの曲で画期的だと思うのは、自分がこういう状況になっているのを
他人や社会のせいにはせず、
全て自己責任だと歌っているところです。
自分もそう考える人間なんで、これには共鳴せざるを得ませんでした。


この曲を聴いてからずっと私はこの曲と生きることについて考えました。
考えましたといっても答えなんて出ないんですが
唯一ついえるのはこの曲は決して死を肯定している曲ではない、ということ。

そこまで考えるようになってしまった、煮詰まってしまった人間の心情を
ここまで掘り下げて描く、そう、描くだけの曲というか
ありのままを吐き出して、これに対する答えを聴き手に求めている曲なんじゃないかと。
聴き手の感じ方に全てを委ねている曲なんじゃないかと。
今ではそう思うようになりました。
 「何でも出来るくせに しねえ」、この歌詞は自分で自分のキャパシティを狭めるな、という
反面教師的なメッセージも垣間見れますし。

そんな私は高校を卒業して一時期、何もしてない時期がありました。
その頃この曲を一日中延々と聴いていた日もあったんですが
それでも別に思いつめることはなく
むしろ色々やってみようと思うようになりました。
精神的に最低の状態になったからこそ分かることもある。
そんなことを、この曲とこのアルバムから感じるようになりました。




ちなみに2003年の「The ピーズ」というアルバムに
「サイナラ」という、この曲と同じくらい大好きな名曲が入ってるんですが
この曲の歌詞で、「好きな方へ行け 死ぬまで」というフレーズがあって、
なんとなく「シニタイヤツハシネ」に向けてのアンサーソングなのかな、と個人的に解釈しています。
「夢を飼っていけ 死ぬまで」というフレーズもそう感じるし。



決して万人受けではないし、わかるひとだけわかるといった間口の狭いアルバムだとは思いますが、
それでも私にとっては大切な、一生モノのアルバムだな、と今でも思います。
93年発売ということで音質に関してはやはり当時のCDだなって印象もありきなんですが
それでも一音一音がはっきりと聴こえるミックスになってて、余裕で格好いいなと思う。


という訳で実質的に1回目の名盤レビューでした。
久々に3000字越えてしまった・・・ふう。







帰ってきました

2009-05-28 01:19:57 | 日記
今帰ってきました。
いつもとは違う事務所にヘルプに行ってたんですが(仕事の内容は大体同じ)、
帰りに折角だから飲みに行かないかと誘われてしまいまして・・・。

食事自体は凄い美味しくて、仕事の話とかをちょいちょい話してたりしてる内に
12時になってて、慌てて終電に飛び乗って帰ってきましたよ。

というかお酒のんでフラフラしてて、すっげー眠たいのでもう寝ます・・・。
明日は更新頑張るぞ!


というか毎日更新が目標~と謳ってるくせに毎日更新できた月が一度もないってなんだかなあ。
6月は頑張るか・・・ライブもポツポツと行き始めるし。うん。