心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

ダンディなイケメン政治家・中川昭一

2012-12-02 17:44:24 | イケメン

2009年に亡くなられた自民党の政治家・中川昭一氏

今月の16日は衆議院議員の総選挙の投票日だが、中川氏がいないので、俺はいかにゃい!!

俺が中川昭一の遺志を継いで、日本を立て直すんじゃい!!

そのためには滝川クリステルとのコラボが必要だ。

中川昭一は若いころからイケメンだったが、50才を過ぎてからそれにますます磨きがかかり、死ぬ56才には男ぶりは頂点に達していた。

ぶっさいくな政治家が多い中で、ほんとに惜しい男を亡くしたもんだorz


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茂木健一郎さんの想い出

2012-12-02 14:07:14 | 脳と心

茂木氏には一度会ったことがある。

日本現象学会のシンポジウム「現象学と脳科学 - クオリアについて」のパネリストを共に務めたときである。

それは2006年11月の雨の土曜日で会場は慶應大学の三田キャンパスであった。

議論は私と茂木氏の論戦となったが、私が提案した「脳科学と現象学の協力による心脳問題とクオリア問題の解決の方向性」が勝利を収めた。

つまり神経現象学による心と脳、意識と脳の関係の解明の方向性が優位を認められたのである。

私はとりあえず現象学会向けの原稿を用意し、これならこの学会の科学音痴の連中でも理解できるだろうと思い、メルロ=ポンティとヴァレラに依拠した論を展開したのである。

実は私はその数年前に現象学会を退会しており、会員ではなかった。

それに、私はそのときわざと雑な原稿を用意し、本番でどういう意見が出るかを楽しみにしていた。

つまり、新奇なアイデアの創発を期待していたのである。

しかも、討論の際には完成間近だった『自我と生命』の内容に関連することを大分話した。

案の定、最後の質問者がドモリ気味にプラグマティズム的意見を述べた。

彼は「意識は他者との共同生活のための道具だ」と叫んだのだ。

これは現象学的意見ではなく、プラグマティズムのそれである。

「現象学会にも少しは骨のあるやつもいるんだ」と感心した。

その後・・・・・、タップアウトしてうなだれている茂木氏を尻目に私は会場を後にした。


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心の哲学と美学

2012-12-02 09:23:19 | 哲学

心の哲学と美学の接点はクオリアである。

クオリアとは「感覚の質」、より詳しく言うと「意識に現れる感覚の質」である。

バラの花の鮮やかな赤の色の質感、初冬の夕焼け空の印象深い赤系の色、紫色の心に沁みる深い質感、藤色の艶っぽさ・・・・等々。

しかし、クオリアを象徴する表現としては、これらの感覚対象の発する知覚情報よりも、意識と感覚質が一体となったものを挙げた方が本質を突くと思う。

西田幾多郎は「意識とは赤の赤らしさである」と言ったが、この表現は意識とクオリアの一体性ないし一体二重性を意味している。

クオリアはもともと心の哲学の主題であって、日本のジャーナリスティックな脳学者・茂木健一郎が創案したものではない。

哲学史に疎い一般の人は、茂木氏があたかもこの概念の最初の提唱者だと思っていてるが、それは大きな間違いである。

心の哲学は、20世紀に英米で始まった分析哲学の系譜に属すものだが、30年ほど前から脳科学や認知科学と積極的に対話するようになり、哲学的心身問題と心脳問題を事実性の次元で解こうとしている。

その心の哲学、つまり脳と心、脳と意識の関係を科学と対話しつつ探ろうとする哲学の主題の一つがクオリアなのである。

その場合、クオリアは脳の物理的過程と意識の主観的現象性の間の巨大な説明的ギャップを示唆するものとして際立たせられる。

ネーゲルやジャクソンやチャルマーズは、この説明的ギャップを誇張しつつ、脳還元主義を徹底して批判する。

それに対して、デネットに代表される機能主義者や自然主義者は、クオリアの特異性を否定して、それを脳内の複合的情報処理の過程に向けて解消しようとする。

これら二つの立場の中道を行く見解も多々ある。

私の立場は創発的自然主義、ないし自然有機体説なので、中道に属している。

それよりも私が言いたいのは、クオリアは心脳問題の重要な思考案件というよりは、普通に美学の主題だということである。

美学、つまりaestheticsは、「感性の学」を意味し、結局「感覚の美学」ということになる。

それゆえクオリアは、意識の主観的現象性の中核に位置するものとして、脳の客観的に観察可能な神経生理学的過程に還元できない神秘的性質をもつものというよりは、我々の感性や美的感覚を磨き、人生を実り豊かなものにし、ひいては各人をクリエーターたらしめる自然の贈り物と言った方がよい。

ファッション、インテリア、都市の美観、写真、音楽や絵画、webデザイン、イケメンや美女の評価といったものがクオリアのサンプルなのであり、それらは神秘的精神性を帯びているというよりは、日常生活を潤す生命感情の芳香剤とでもいうべきものである。

なお、「色彩」という現象はクオリア論ないし感性の美学にとって重要な考察対象であるが、これについては後に詳論する。

とりあえず参考文献として、私が愛読している、野村順一著『色彩生命論 - イリスの色』(住宅新報社)を挙げておく。

私の著書では『脳と精神の哲学』『意識の神経哲学』『心の哲学への誘い』がクオリアを扱っている。


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