いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

岡田代表も辞意。 intention to resign of okada representation

2016-07-31 19:48:20 | 日記
 (1)どんな政党であっても党の顔の代表が交代するというのはインパクトはある。これをどう活かすかは党としては大事だ。
 前民主党政権時代は外相も務めて長らく民主党を代表する顔、政治家として活動してきた岡田代表が9月の代表選に立候補しないことを表明した。

 参院選前の党首討論では17年4月の消費税10%引き上げを2年延期してその間の社会保障を赤字国債で予定どおりまかなう主張を、その時点では態度をあきらかにしていない安倍首相に先がけて打ち出して議論をリードしてみせた。

 (2)人柄は誠実そうで原理主義者といわれていわゆる曲がったことは嫌いというタイプ政治家と見られて、大所高所からの政策論、政治論は聞くに値するところはある。
 党の顔、代表としてのバリュー(value)はどうかというと、カリスマ性に欠けて実務型で、指導力という点ではもの足りないところがある。

 せっかく党首討論で安倍首相に先んじて赤字国債覚悟で社会保障を持続し、消費税10%引き上げを2年先送りして19年4月には引き上げて財政健全化にも対応しよう呼びかけたのに、直後の参院選の公約には盛り込まずに自らの理念と党の政策に齟齬(そご)があってはやはり党代表としての存在感は薄れる。

 (3)主張はするけれども、それを押し通す強さに欠けていたのは、野党第一党の代表としては不十分な資質でもあった。民主党から改名した民進党の支持率が上向かない。

 国民からは09年圧倒的な国民の支持を受けて、本格的な政権交代を果たして、それまでの自民党長期政権とはあきらかに違う革新的な政策実現への高まりの中で、開けてみたら政策の中身が詰められていなかったり、財源不足が顕著になって理念先行の空手形では3年半で国民から完全にソッポを向かれて、その流れはそう簡単には断ち切れずに取り戻すことはできない国民への背信行為だった。

 (4)民進党は09年の反省、検証、総括の上にもう一度革新的政策(立案)政党として立ち戻り出直すべきであった。
 少なくとも岡田代表の中ではそういう党下支えの覚悟の中で、党内刷新、革新性をはかる役割をすべきであった。

 しかし、今回の参院選では自民党1強時代の中であくまで「数」の論理で対抗しようとして、理念、政策、信条も違う共産党など野党連携で「数の足し算」で政局の打開をはかろうとしたが、効果は思ったほどでもなく、阻止を掲げた自民党ほか改憲勢力3分の2以上議席を許す結果となった。

 (5)岡田代表が党代表選不出馬を表明した同じ日に安倍首相は改憲勢力としてイニシアティヴ(initiative)を取るおおさか維新の会の前橋下代表などと会談、意見交換(報道)をするという皮肉な結果を招いている。

 民進党が革新的政策政党として生まれ変われるのか、岡田さんは代表後任にはこれまでの野党共闘、連携体制の継続を望んでいるようだが、それはそれとしてもきっぱりと政策政党(ただし、実効性のある現実的理論でなければならないが)への脱却を目指すことが日本の政治、国民にとって必要であり重要なことになる、その責任がある。
 

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