(1)原規委の安全審査に合格して地元自治体首長の了承も得て全国で唯一再稼働中の鹿児島県九電川内原発だが、今年7月の鹿児島県知事選で川内原発再稼働を了承した前知事を破って初当選した新知事が原発事業者九電に対して川内原発一時停止と点検を申し入れると発表した。
隣県熊本大地震を受けて川内原発を抱える鹿児島県として住民の安全確保について一時停止して再点検を申し入れる意向だ。
(2)県知事は原発稼働に対して自治体としての了承責任は負うが、原発を差し止める権限はない。原規委の安全審査をクリアーして前知事の了承のもとに再稼働した川内原発を新知事が一時停止を要請することが話題となっている。
政治的権限、とりわけ許認可権については行政の継続性(continuousness)がなければ、決定が保障されなければ信頼の原則が成り立たずに、首長が代わるたびに行政指導、権限の方針、内容が変わっていては、地方行政の責任ある推進はできないことになる。
(3)新知事が選挙戦で川内原発再稼働を一時停止することを公約として主張していたということだが、しかし本来権限のない行政判断を選挙で主張されても有権者にとっては判断のしようもないことだ。
もちろんあくまでも新知事による川内原発一時停止の要請であって、指示、強制ではないから行政判断そのものとしてはその方法論(methodology)も含めて住民の安全を考慮してあり得ることだ。
(4)行政の継続性を考慮すれば川内原発の一時停止の要請ではなくて、新知事として懸念、不安の残る原発安全対策についてまず原発事業者と協議、確認、対策を見直すということであってよかった。
隣県熊本大地震でも鹿児島県川内原発の再稼働運転には問題、支障がなかったということではあるが、原発立地県の鹿児島県民はもちろん熊本大地震当事者の熊本県民からも仮に川内原発に事故が発生した場合の恐怖、不安、影響は日本全体が東日本大震災の福島第一原発事故で実体験しているので、少なくとも新知事としては安全対策の確認、不安を憶える事案については原発事業者と協議、確認、それから派生する問題点の是正、見直しはあって当然だ。
(5)だがそれはすでに原規委の安全審査をクリアーして前知事が了承した行政決定を停止して、川内原発を一時停止して実施するものではなく、それはそれとして行政の継続性を理解して対応すべきことだ。
そうでなければ原発事業者も何を基準に自治体行政を信頼して向き合えばいいのか、行政機能、統治の信頼性、信用性を損なうことになり、地方自治そのものが成りゆかなくなる。
(6)鹿児島県新知事の懸念、不安はあるが、原発一時停止(temporally suspension of an atomic power plant)の要請でもなければ、要請意向の効果性もない、県民、住民の安全も守れないという判断なのだろうが、肩に力が入り過ぎているのではないのか。
(7)最近は国、国民の重要判断を国民投票で決しようという直接民主主義的手法の流れがヨーロッパ中心に見られるようになってきて、原発立地自治体の再稼働了承の判断を県民、住民と見直そうというのであれば、住民投票実施に向けて整備を進めることも方法論だ。
新知事の判断は手順に踏み間違えて、政治的、社会的パラダイム(paradigm)を踏み越えているのではないのか。
隣県熊本大地震を受けて川内原発を抱える鹿児島県として住民の安全確保について一時停止して再点検を申し入れる意向だ。
(2)県知事は原発稼働に対して自治体としての了承責任は負うが、原発を差し止める権限はない。原規委の安全審査をクリアーして前知事の了承のもとに再稼働した川内原発を新知事が一時停止を要請することが話題となっている。
政治的権限、とりわけ許認可権については行政の継続性(continuousness)がなければ、決定が保障されなければ信頼の原則が成り立たずに、首長が代わるたびに行政指導、権限の方針、内容が変わっていては、地方行政の責任ある推進はできないことになる。
(3)新知事が選挙戦で川内原発再稼働を一時停止することを公約として主張していたということだが、しかし本来権限のない行政判断を選挙で主張されても有権者にとっては判断のしようもないことだ。
もちろんあくまでも新知事による川内原発一時停止の要請であって、指示、強制ではないから行政判断そのものとしてはその方法論(methodology)も含めて住民の安全を考慮してあり得ることだ。
(4)行政の継続性を考慮すれば川内原発の一時停止の要請ではなくて、新知事として懸念、不安の残る原発安全対策についてまず原発事業者と協議、確認、対策を見直すということであってよかった。
隣県熊本大地震でも鹿児島県川内原発の再稼働運転には問題、支障がなかったということではあるが、原発立地県の鹿児島県民はもちろん熊本大地震当事者の熊本県民からも仮に川内原発に事故が発生した場合の恐怖、不安、影響は日本全体が東日本大震災の福島第一原発事故で実体験しているので、少なくとも新知事としては安全対策の確認、不安を憶える事案については原発事業者と協議、確認、それから派生する問題点の是正、見直しはあって当然だ。
(5)だがそれはすでに原規委の安全審査をクリアーして前知事が了承した行政決定を停止して、川内原発を一時停止して実施するものではなく、それはそれとして行政の継続性を理解して対応すべきことだ。
そうでなければ原発事業者も何を基準に自治体行政を信頼して向き合えばいいのか、行政機能、統治の信頼性、信用性を損なうことになり、地方自治そのものが成りゆかなくなる。
(6)鹿児島県新知事の懸念、不安はあるが、原発一時停止(temporally suspension of an atomic power plant)の要請でもなければ、要請意向の効果性もない、県民、住民の安全も守れないという判断なのだろうが、肩に力が入り過ぎているのではないのか。
(7)最近は国、国民の重要判断を国民投票で決しようという直接民主主義的手法の流れがヨーロッパ中心に見られるようになってきて、原発立地自治体の再稼働了承の判断を県民、住民と見直そうというのであれば、住民投票実施に向けて整備を進めることも方法論だ。
新知事の判断は手順に踏み間違えて、政治的、社会的パラダイム(paradigm)を踏み越えているのではないのか。