いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

代償の大きさ。 magnitude of compensation

2021-05-27 20:05:24 | 日記
 (1)コロナ対策でアップ、アップの菅首相がそれでも7月の東京五輪は安心、安全対策のもとに開催すると言っているのは、IOCバッハ会長が緊急事態宣言下でも犠牲が出ても東京五輪は実施すると言っていることが根拠だ。

 随分無茶な根拠だが、その裏にあるのがそもそも2020年東京五輪招致、開催にあたっては「問題」が多くあり、仮に東京五輪中止ということになればそのすべての問題責任が蒸し返されることになるからだ。

 (2)2020年東京五輪は都内既存施設を利用しての移動の少ないIOCの意向に沿った低単価予算五輪を理念として評価された。復興五輪を印象づけるとして、当時安倍首相は招致プレゼンスで福島第一原発事故は「アンダーコントロール」されていると強調したが、事故の収束は進まずに除染、汚染処理水問題を抱えたまま混迷、迷走して、原発事業者東電のガバナンス欠如があきらかになって規制委の指導を受ける不始末が続いている。

 (3)五輪招致にあたってはIOC委員への献金疑惑で当時JOC竹田会長が辞任した。都内の既存施設利用計画はいつしか東北被災地での開催も検討されて低予算五輪のはずの大会経費も膨大化を続けた。

 当時組織委森会長の女性べっ視発言は世界的反発を引き起こして、辞任に追い込まれた。昨年開催の予定が世界的なコロナパンデミックで今年に延期されて、東京五輪のテーマも復興五輪からコロナに打ち勝った証しとしての東京五輪に形を変えて、しかし政府のコロナ対策は経済活動との両立を求めて後手、後手となり効果的な対策とはならずに、ワクチン接種も世界から遅れて進まず現在3回目の緊急事態宣言もさらに延長される見込みで政府、五輪関係者以外は五輪開催どころではないとの認識が大勢だ。

 (4)そういう中でのIOCバッハ会長、コーツ副会長の緊急事態宣言下でも犠牲が出ても東京五輪は開催するという無茶な発言だ。国内世論の中止の声を受けても菅首相は五輪開催に向けて強気の姿勢を崩さずにIOCの無茶な開催意向に従っておいて、仮に中止選択ということになればこれまでの東京五輪招致、計画、開催にかかわるパラドックス(paradox)な見込み違い、見当違いの全容に対して大きな責任、補償を負わなければならないもうひとつの(alternative)緊急事態に追い込まれる。

 (5)そもそも何としても無観客でも東京五輪は開催したい五輪組織委の思惑だ。しかし、中止にしろ、開催にしろどちらでも代償の大きさ(magnitude of compensation)は変わるはずもない。

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