いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

コロナ社会でなくした個人。 we lost personality in the corona society

2023-02-13 20:29:29 | 日記
 (1)コロナ社会で歪められてきたのは個人の尊厳(dignity of personality)であり、国、政府の対策、指針、支援頼りでいつも顔色をうかがう自主性、自発性、自立性の欠如だ。息苦しい、重苦しい社会生活であった。

 (2)コロナ感染が急拡大して感染防止のマスク着用、飲食業などの営業時間短縮要請は国、政府でなければできないが、国民に感染防止のマスク着用を要請しながら、外出、移動の自粛を要請するのもやりすぎでそれではマスク着用の意味、意図、効果を否定することになり、二律背反、自己否定につながる。

 (3)感染症対策としてマスク着用は他人にうつさないための自己防衛であり、自己防衛である以上は責任は個人にあり国、政府に強要(あるいは要請)されるものではない。卒業、入学シーズンを控えて国会でマスク着用の是非が質されて、文科相が個人の判断に委ねる答弁をしたが、政府として対応を決めていないことから修正を求められた。

 (4)現在もコロナ感染者は多くて1日3万人近く(報道)いて、マスク着用については政府と専門家会議とで必要性について認識の違いがあるといわれるが、政府は特殊事情形態を除き屋内外を問わず個人の判断に委ねることとし、学校では4月から原則マスクなしの通常形態に戻る決定をした。

 (5)海外ではマスク着用解除の後、感染者の増加例がみられ、日本の専門家会議でも慎重な意見はあるといわれる。しかしマスク着用は他人にうつさない自己防衛であるから、そろそろ善し悪しの判断は事情、場合によって国民、組織が自主的、自発的に考えて判断、行動することがあっていいだろう。

 (6)一般的に病気はよほどのことがないと絶滅するものではなく、息を吹き返すものであり警戒は怠れないが、いつも日常生活の中で共存しながら防止していくものだ。病気になりたくない、他人にうつさない意識、知識、判断、行動の高まりを国、社会全体として共有する成熟した社会の目指すところだ。

 (7)コロナ社会は人間の自主性、自発性、自立性が損なわれて弱さを十分思い知らされた。今回のコロナ問題、対策は一過性のものではなく、地球で生存するものたちの永遠の直面する問題であり、そうであるからこそ何が何でも国、政府任せではなく、個人ひとりひとりの解決に向けた問題として自主的、自発的、自立的に考え、取り組み、個人の尊厳を取り戻さなければ感染症との共存社会の中では意味がない。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日銀の理論実践学。 theorett... | トップ | 安倍回顧録。 abe reminiscences »

日記」カテゴリの最新記事