旅限無(りょげむ)

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オリンピックの裏側で 其の伍

2007-08-11 15:08:10 | 外交・情勢(アジア)
聖火リレーのルート発表に先駆け、チベット解放運動に携わる学生のうちの5人が、高速道路計画に抗議した。中国はすぐに5人を拘束し、国外追放に処した。……計画の有用性を信じる人々もいる。「この計画は地域の発展と住民にとって良いことだ。地域に魅了される観光客や登山家が増えるであろうから」とチベット登山組合事務総長の張民興(Zhang Mingxing)氏は語る。インディアタイムズ紙によると、中国は6月末までに道路工事の着工を計画している。
2007年7月2日 Ethical Travel News, CA

■その後の工事がどうなっているかは、続報が無いので未確認ですが、『人民日報』が発表している聖火リレーのスケジュールからしますと、何が何でもチョモランマ登頂のベース・キャンプまでは道路を通してしまいそうです。以下、聖火リレー計画。


2008年3月31日、中国国内に聖火が到着。歓迎式と聖火リレーの出発式を開催。その際、チョモランマ登頂専用の火種を分離。
4月下旬にチョモランマ大本営に聖火到着。気象条件が最適となる5月中に登頂を目指して待機。
某日、聖火は頂上を目指して出発。その間も主用ルートのリレーは続行。
某日、聖火が頂上に到達。同日、国内リレーは一旦停止し、登頂終了後に再開。
チョモランマを下りた聖火は拉薩(ラサ)に運んで保管。
2008年6月20日、主要ルートの聖火が拉薩(ラサ)に到着して登頂した火と合流。

■どう考えても「チベット併合」を正当化するイメージ作りが先行した演出ですなあ。問題の聖火が台湾を通過するかどうか、まだモメているようですが、それは「国内ルート」として想定されているのが理由だそうです。チョモランマ登頂は、勿論、「国内ルート」の支線扱いになっております。聖火リレーには欠かせない「聖火ランナー」に関しても、なかなか興味深い話が有ります。


レノボ・ジャパンは7月9日、2008年北京オリンピックのスポンサーであるレノボが、Googleを通じて世界中から聖火ランナーを選出するキャンペーン・プログラムを開始すると発表した。9月末までに20人を選出し、最終的に3人を聖火ランナーに指名する。本プログラムを通じて、世界中のもっとも革新的な"New Thinker"(新しい発想で行動する人)を発掘するという。……来週から設置されるGoogleのプロモーション・リンクを使ったプロモーション特別サイトを通じて、聖火ランナー検索への登録を行う。その後、9月末までに登録者の中から20人の候補者が選出され、さらに候補者はYouTubeを通じて「オリンピックの理念と新発想を表現」する紹介ビデオを提出。紹介ビデオをもとに投票が行われ、10月中には上位3名が聖火ランナーに指名される予定だ。

■Googleと買収したばかりのYouTubeを宣伝するためとは言え、随分と手の込んだ事をするものですなあ。面白いのはランナーの選出基準ですぞ。


レノボのCMO(チーフ・マーケティング・オフィサー)を務める副社長のDeepak Advani氏は、Googleの技術などを利用した本プログラムを革新的なアプローチとし、「"New Thinker"は我々の創意工夫への情熱の代表者であり、起業家精神の体現者となる」とコメントしている。
"New Thinker"の基準は以下のとおり。

①Motivator 目標を達成し、障害を克服するためにコミュニティを奮起させる人物
②Provocative 困難な試みを遂行する際に、旧来の限界にとらわれない積極的な人物
③Imaginative 国や文化の枠を越えて、独創的な発想をする人物
④Individualistic 自分の考えや行動において、独立性を発揮する人物
⑤Explorer 行動や目的達成のために、新しい方法を探求する人物……

■③以外を並べてみますと、北京政府が神経を尖らせる人物像が浮かび上がるのが面白い!①「障害を克服」「コミュニティを奮起させる」、②「旧来の限界」、④「独立」、⑤「行動」……。ウイグルやチベット出身の元気な若者の中に、このような資質に恵まれている人物が居たらどうするのでしょう?レノボ社としては、「起業家」を念頭に置いた商売の話に限定しているつもりのようですが、現体制に反発する政治的な人物にも共通する素質になっているのが面白いですなあ。

オリンピックの裏側で 其の四

2007-08-11 15:07:35 | 外交・情勢(アジア)
■更に別のニュースを引用してみましょう。

中国は1951年にチベットを占領した。亡命チベット人や世界中の人々からの抗議にもかかわらず、中国は現在もチベットを支配し続けている。「オリンピック聖火のエベレスト山頂への到達」は「北京オリンピックを通じて、中国がチベット支配を誇示していると理解する人もいる」とアソシエイテドプレスは論述する。


■2002年に英語名の「エベレスト」に対して、北京政府がチベット名のチョモランマを採用しろ!と言い出したそうですが、何故か日本はマスコミを上げて即応して見せたようです。別にチベット人達からそんな申し出があった訳でもないのに、「珠穆朗瑪峰」などと音写して自国の領土を誇示するために誰かさんが言い出したとしか思えませんなあ。チベット語と言っても、シェルパ族が使っていた呼称だそうですから、それほど目くじら立てて主張するほどの事でもないようなものです。因みに、「シェルパ」は徹底的に誤解されてしまって登山専門のガイド兼荷物運びのように使われたのが、とうとう国際会議の雑務をこなすスタッフもシェルパと呼ばれるような事になってしまいました。困ったことです。

■日本語に似たような単語を探せば、関西人・九州人・東北人など、方位を使って住民を区別する呼称に似ています。「シェル」は東の方位を意味して、「パ」は人や物を示す接尾辞ですから、和語にしたら「あずまびと」という意味になります。ヒマラヤ南麓のネパールやインド北部に暮らしているシェルパ族は立派なチベット民族で、一説には16世紀頃に移住したと考えられているそうですが、チベット文化の広がりを示す好例と言えましょうなあ。古代のチベット王国を築いた王族の出身地は、今のラサよりもずっと西なので、「あずまびと」という呼称の発生は非常に古いと推測できます。

■世界の屋根に暮らしているチベット人の間には、「太古の海」伝説が昔から語り継がれています。何処からそんなアイデアが生まれたのかは分かりませんが、ヒマラヤ山脈がインド亜大陸の北上によって海底から隆起した事を地質学者達が証明したのは20世紀になってからだったはずです。仏教が伝来する前、チベットには壮大な創世神話に支えられた山岳信仰が根付いたのでした。概略を記しますと……。


 太古の昔、チベットは大海原で、遠くに陸地があったそうです。その海岸には巨木が生い茂っていて深い森が有りました。その奥には草原が広がって、鳥や獣の楽園になっていましたが、或る日、海中から五つの頭を持つ巨大な龍が現れると、大きな波が起こって大地のほとんどが水没してしまったのだそうです。
 大波に驚いた生き物は一斉に東に向かって逃げ出しましたが、波がその後を追いかけて来ます。逃げ疲れて倒れそうになった時、空に五つの美しい雲が現れました。雲は分かれて五人の天女となって海辺に降り立ちました。天女達は不思議な力で五つの頭を持つ毒龍を退治したので、生き物は大いに感謝して仙女達の足元に跪(ひざまづ)きました。
 天女達は再び天に帰ろうとしましたが、生き物達は地上に留まるように懇願したので、天女はそれを聞き入れました。また不思議な力を使って大地を沈めた海の水を押し戻したので、広い大地が現れました。その東には鬱蒼とした森が生まれ、西は地味豊かな耕地になったそうです。南には美しい花園が広がっていて、北の地は見渡す限りの草原になったのでした。
 天女達はその大地を見下ろせるヒマラヤ山脈の山に変身してチベットの南西に鎮座ましまして、長くその地を祝福して守っているのあります。五人の天女が変身したので、山脈の最も高い所には祥寿天女の峰、翠顔天女の峰、貞慧天女の峰、冠咏天女の峰、施仁天女の五つの峰が連なっているのです。その中でも最も高いのが、翠顔天女の峰、即ちチョモランマになったというお話です。
 
■天女に懇願した生き物の中には、きっと猿も含まれていたはずで、それがチベット人の祖先になるという伝説が続きます。どう考えても漢民族が古くから伝えて来た創世神話とは何の関係も無い伝説だという点が重要でしょうなあ。


インディアタイムズ紙によると、ニューデリーの当局者達は「エベレスト山はチベット人が崇敬する山である。鉄道プロジェクトの実施直後に、道路計画が発表されたことは、チベット高原と中国大陸との統合を急ぐ胡錦涛主席のチベット政策が、ここでも繰り返されたことを意味する。」と述べた。

■第二次天安門事件を正当化するのに大いに役立った1989年3月7日のラサ市街の大暴動に対する戒厳令の発令と共に始まった武力鎮圧を指揮したのが、当時の地方政府の責任者だった若き胡錦濤ですから、江沢民政権が始めた「西部大開発」を継承しながらチベット開発に重心を移すのは当然なのでしょう。でも、自慢の青蔵鉄道が開通したのに、ラサに乗り込んで来ないのは、きっと政務が忙しいからなのでしょうなあ。多分……。

オリンピックの裏側で 其の参

2007-08-11 07:50:22 | 外交・情勢(アジア)
■北京発、上海発のニュースが流れ込むテレビや新聞の情報に接していると、どうしても意図的な祝祭気分の演出に引っ張られます。これからの1年、北京五輪ガイドだの「見所」だの、旅行者や航空会社と手を結んで各マスコミが大キャンペーンを展開し、「隣国」をキー・ワードにして気安く海外旅行に誘う空気が広がって行くでしょう。しかし、北京五輪を世界中が諸手を挙げて祝っているわけではなく、広大なチャイナの中にも「国の誉れ」「発展の確認」と浮かれていない人達も無数に存在している事を忘れてはまりません。

■ちょっと変わったニュース・ソースうを利用して、裏側からの風景を追ってみましょう。さて、チョモランマを聖火リレーのコースに捻じ込む目的は、世界の屋根と呼ばれる世界で最も高い場所に位置するチベットを北京政府が完全に支配している事を見せ付ける事が第一、それはインドと国境を接して文字通りアジアの盟主の座を争う姿を際立たせるのが第二でしょう。第三が、大昔から続いている中華思想の復活で、「全ての道はローマでなくて北京に通ず」の演出に全力を注いでいると思われます。「青蔵鉄道」も、北京から聖都ラサまで鉄道が通じたのではなく、逆にラサが北京とダイレクトにつながったと考えるべきでしょう。

■黒子に徹して姿も見せない特殊部隊が高山地帯に展開しているという噂も有りますから、対インド戦略用に配備されているヒマラヤ山脈内のミサイル基地がどんどん発展してチャンスが有ればインド洋に向かって突き進む前触れかも知れませんなあ。唐の時代から、チャイナ・インド・チベットの巨大な三国志が展開された歴史が有って、そこにイスラムが絡み、更に大蒙古帝国の出現という大事件も起こったわけですが、欧州列強の植民地争奪戦から帝国主義の時代になると、アフガニスタンを中心とする「グレート・ゲーム」と呼ばれる大英帝国とロシア帝国とのユーラシア大陸を南北に分ける壮大な陣地取り合戦が始まります。大日本帝国がラサにスパイを送り込もうとしたのはこの動きに対応したものでした。

■有名な河口慧海は、海を渡って入ったインドで情報収集やその他の準備をしています。大英帝国が手中に収めていたインド亜大陸からヒマラヤを越えて北上するには、南下するロシアよりも先にチベットを押さえねばなりませんでした。短い期間でしたが、北からロシア・チベット・インド(英国)が並ぶ変な「三国志」が展開したわけです。地形が変わらない限り、地政学的な条件と動機は一種の普遍性を持ちますから、「独立」を果たしたインドと「侵略」を行った北京政府がヒマラヤを挟んで対峙しているというわけです。


中国は、2008年の北京オリンピックに先立ち、エベレスト山頂へのオリンピック聖火リレーを容易にするため、高速道路の建設を計画していることを表明した。現在、ベースキャンプへの道路は舗装されていないが、「波形のガードレールで柵を巡らしたアスファルト舗装の高速道路」になるだろうと新華社通信は伝える。この野心的な計画は、4ヶ月以内に完成予定となっている。アソシエイテドプレスによると、新しい高速道路は「旅行者や登山家にとって主要なルートになるだろう」とのこと。

■NHKが大いに宣伝に勤めている話題の青蔵鉄道も、「観光」と「技術発展」との二点だけが注目されるようにコントロールされている報道ばかりのようです。霊峰富士にろくなトイレ設備も用意しないで自動車用の登山道路を刻み込んでしまう日本ですから、エベレストの「8合目」にもドライブ・インとお土産屋さんが出来たら大喜びかも?でも、そこは標高7000メートルの世界ですから、どれほど大規模な工事で世界最悪の九十九(つづら)織りの道路を建設しても、宇宙船でもない普通の自動車では上がって行けないような場所です。これまた日本の奇怪な「スーパー林道」と同じく、使用を目的とはせず、建設そのものに意義が有る歴史的な遺産となる道を作りたいのでしょうなあ。新しい万里の長城みたいな物です。


環境問題の専門家達は、高速道路の建設は、すでに危機に瀕している生態系にさらに重い負担を強いることになると警告する。……コーネル大学環境学部理事のマーク・ベイン氏は、懸念すべきは道路からの汚染ではなく、増加する旅行者を収容するために「さらなる開発の機会」が創出されることであると語る。いくつかの団体は、今回の道路建設はチベットに対する中国側の正当性を主張するものであるとして、公然と非難の声をあげている。

■散歩中の犬が行う「マーキング」みたいなものですが、一見無駄のようでいて、いざ、領土問題が先鋭化した場合には、この道路建設が有力な自国領を主張する武器になります。尖閣諸島のボーリング工事と同じ理屈です。五輪大会にかこつけて、強かにこうした布石を打って来るのが北京政府のやり方だという事は覚えておいた方が良いでしょうなあ。

不如意を考える 其の伍

2007-08-11 07:26:59 | 日記・雑学
■朝青龍が最高位を極めようとした主な動機は、相撲界で最高の収入を得たかったからでしょう。取り組みでの気迫や勝負に対する執念が、最初は新鮮に見えて拍手を送っていた相撲ファンは、日本人にも同じ根性を求めたはずです。しかし、金銭感覚がまったく違う両者が、同じ気迫で勝負をするはずはありません。懸賞金や報奨金だけを考えても、一方の力士にとっては莫大な投資資金なのに、片方の力士にとっては「お小遣」ならば、勝利に対する執着心はまったく違って来るのは当然です。極端な言い方をすれば、一方は現役ばりばりの事業家として投資資金を土俵で稼いでいて、片方は現役引退後の親方株入手をぼんやりと考えていると想定すると、まったく違う二つの「人生設計」が激突しているようなものです。

64年に一人入門したハワイ出身の東関親方(元関脇・高見山)が、涙を流しながら異国の厳しいけいこや伝統を体に染み込ませたのとは、全く異なっているのが現在の相撲界だ。朝青龍が賞金を受け取る際に左手で手刀を切って注意されたり、先代高砂親方の葬儀を無断欠席するなど「日本流」とそぐわない行為が目立ったのも、教育不足が原因だ。
 
■マナー上の右と左の区別も、恩人の葬儀も、決して「日本流」ではないでしょう。外国人だから、モンゴル人だから、と変なところに線を引いてしまうのは間違いの元でしょうなあ。力士生活がもっと大きな事業の一部でしかないなら、時間の使い方が周囲と違うのは当然でしょうし、稽古や冠婚葬祭よりも大切な「商談」や交渉事が有れば、事業家としてはそちらを優先する場合が有るでしょう。最初のモンゴル力士だった旭鷲山が、下位・中位をうろうろしていた時期に、祖国では地平線の向こうまで広がる土地を購入していたり、家族名義で事業を興していた事を、あまり日本のマスコミは報道しませんでした。その後も旭鷲山はこつこつと相撲で得た収入を祖国に投資して事業をどんどん拡大して行ったのでした。政治家や富裕層との関係も深くなり、投資家や金融機関も寄り集まって、とうとう、新聞社・テレビ局まで傘下に収める巨大な企業を育て上げてしまいます。

■日本人力士の中で、そんな大事業を興している者は居ないでしょうし、似たような計画を心に持っている者も居ないでしょう。両者の人生において相撲が占める割合がどんどん広がって行くのを、相撲協会が看過していた事が問題だったのかも知れません。乱暴な比喩を使えば、嫁不足を解消しようと貧困に苦しむ国から女性を招いた或る農村で、妻となり母となる内に田畑を売り払って祖国に送金してしまったり、最悪の場合は保険金殺人まで起こしてしまう悲劇に似ているような気もします。安易に外国人力士を呼び込む前に、「国技」が衰退して行く真の原因を究明して対応策を考えるべきだったのでしょうなあ。

 
……処分直後、高砂親方は「本当は首根っこを捕まえてでも(朝青龍を)引っ張り出したいが、オレが自宅に行けばまた騒ぎになる」となかなか腰を上げなかった。弟子に遠慮して面会の了解を取り付けるのに時間がかかり、処分を納得させたり、励ましたり、という師匠の役割を果たせていない。
8月10日 毎日新聞

■もう御仕舞いです。高砂親方は一度も朝青龍の「首根っこを捕まえ」た事もないし、既に大実業家に成長してしまった横綱に指一本触れることも出来ませんし、小言の一つさえ聞かせる力も無いはずです。朝青龍にとって相撲部屋は横綱になるための道具か通過点でしかなかったでしょうし、日本も相撲も大金を祖国に持ち帰るための手段でしかなったようです。今回のサッカー不祥事が、中田ヒデ君との交際が発端になっている事を想起しますと、サッカーや野球の有名選手達が手にしている莫大な収入に比べて、横綱の稼ぎはあまりにも少ないのは事実です。裏金疑惑が時々噂にはなっても、皮肉な名前の「長者番付」という高額納税者の上位者が公表されていた頃でさえ、スポーツ選手のリストに関取衆の名前は出た事はなかったはずです。リストに載る可能性が有ったのは、現役力士ではなくて親方株の取り引きをした年寄りだけだったでしょう。

■バブル時代を経験してしまった日本では、20代の若者が100億円だの500億円だのという天文学的な収入を得ても驚かれなくなりました。スポーツ界でも、松井・松坂・イチローなどの有名選手の周りで動く莫大な金額が報道されても、「国技」を支えている力士達の収入と比較する事は有りません。金銭に関する生臭い話を避けて、「伝統」「国技」「武士道」などの精神論とすり替えるのも、もう限界なのではないでしょうか?朝青龍は自分を最も優秀なアスリートの一人だと思っているはずです。彼の本音は「名誉」に見合う「収入」が欲しい!という事ではないでしょうか?それを武士道で説き伏せるのは容易なことではありますまい。それは、少なくなった日本の子供達が、野球やサッカーの選手に憧れても、相撲取りになりたいとは思わないという現実に直結する問題でしょうなあ。

■「人間にはカネよりも大切なものが有る!」と胸を張って断言できない空気が満ち満ちているのが今の日本ならば、あれこれと窮屈な規制が設けられている「国技」には、それ相応の経済的な裏付けが必要だという頃になりそうですなあ。相撲文化が完成を見た江戸時代には、相撲興行は巨大な男達が繰り広げる最も面白い見世物だったようです。その頃、「一年を20日で暮らす良い男」という川柳が出来たのでしょう。春場所10日間と秋場所10日間だけで、ゴッツァン生活が可能だった時代が長く続き、69連勝という大記録を作った双葉山の時代も同じでした。場所の数が増え、今回の大騒動の元となった地方巡業も増え(勧進元の激減で今は減っているそうです)たのに、子供達が憧れるような「良い男」の暮らしが増えているのか?という現実的な問題が有ります。

■本当に「国技」の発展を考えるのなら、朝青龍が身を以って抉(えぐ)り出した相撲界の短所や欠陥を早急に点検して「改革」を決断すべきでしょうなあ。日本の米作りと相撲は、零細企業の職人に続いて「後継者不足」で滅んで行く事は明らかなのですから、次の理事長には親方株など持たない身軽で斬新なアイデアを持っている人を選んで欲しいものであります。朝青龍の時代が終わるのは避けられそうもありませんが、今回の大騒動から何も教訓を得られないのなら、相撲自体が終わる時代がやって来るような気がします。
オシマイ

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不如意を考える 其の四

2007-08-11 07:26:28 | 日記・雑学
……04年に横綱審議委員会から礼儀作法について指摘を受けた後も、陰では「世間からいろいろ言われるが、じゃあ本場所の土俵は誰が支えているんだ。一人横綱の苦労が分かるのか」と本音を漏らした。優勝を重ねるに連れてその態度を注意する者が少なくなると、「強ければ少々度を外しても謝れば何とかなる」という甘えが大きくなった。一方で、繊細な一面も持ち合わせている。横綱になり立ての時には円形脱毛症になった。その後、記者に対して「周囲の声を気にしているんですよ、意外でしょ」と語り、自分に関する新聞記事をインターネットでチェックしていることを明かしたこともある。現在も強気と弱気が胸中で交錯しているようだ。

■朝青龍には、もっと単純な経済問題が関係しているようです。A.S.A.という名前のコンツェルンを作って、観光・ホテル・サーカスなどの事業を傘下に収めて今でも成長している最中だとか……。今回の無断帰国も、サッカー大会に参加や怪我の治療などよりも、やり手のビジネスマンと連れ立って商談やら利権漁りやら、財閥総帥としてスケジュールがいっぱいだったようですぞ。そうなると、親方株がどうしたの、相撲協会に天下るにはどうするだの、ちゃんこ屋を経営するだの、まったくスケール違う実業家・朝青龍の姿が見えて来ますなあ。


引きこもり状態が長引き、周囲には「いったんモンゴルに帰国させては」の同情ムードも出てきたが、日本相撲協会幹部の間には、それを許さない意見が強い。北の湖理事長が近く帰国容認の決断をするとの観測が流れた8日のこと。ある協会幹部が高砂親方に詰め寄り、「(謹慎は)もう理事会で決めたこと。あとは師弟の問題だ」と、理事長への帰国要請をしないようクギを刺した。……処分を決める前日の先月31日にも、複数の巡業部幹部が北の湖理事長に長時間詰め寄り、「このままでは名門・高砂の名が汚れる」などときつい言葉で厳罰を要請した。……

■確かに、理事会の裁定は下っているのですから、その指示に従うのは朝青龍の義務ですし、高砂親方は本人が裁定内容をしっかり理解して反省・謹慎・謝罪など「相撲道発展」のために模範となれるよう、その行動を指導する役割を担わねばなりません。しかし、国民の目に映るのは、部屋と力士・師匠と弟子・協会と親方、それぞれの関係が歪み、捻れ、途切れていることを示すだけの異様なドタバタ劇ばかりです。本人は裁定に納得していないどころか、まったく問題点を理解していないようですし、高砂親方の方も、自分が親方として振舞えなくなっている事を認めたくない様子ですなあ。

 
……現在、外国人出身関取は19人、学生相撲出身は25人。合わせると全関取70人の6割を超える。番付上位は外国人が占め、師匠には高砂親方を含め学生出身者が増えてきた。彼らは入門後の出世が早く、下積みが短い。師弟間に言葉の問題も横たわる。「国技」としての伝統継承が難しく、たたき上げの親方の中には「師匠というより(大学相撲部の)監督の感覚」と評する人も。

■数日間の醜態を見ていると、高砂親方は運動部の「監督」でさえもない事が分かります。高校や大学の運動部には、今でも強い絆で結ばれた師弟関係が行き続けているのではないでしょうか?アマチュア・スポーツですから、露骨な金銭関係は成立してはいませんが、進路相談などで間接的に監督は選手達の生活を心配してくれるでしょう。最近も話題になった「特待生」制度なども、アマチュアである故に生まれた工夫です。しかし、相撲の世界は義務教育期間終了後にプロ、それも一生の仕事となる「道」に入って修行を始める仕来りになっていますから、昔の徒弟制度や戦後の「金の卵」と呼ばれた集団就職組が飛び込んだ「住み込み」型の雇用関係とそっくりなシステムと言えるでしょう。

■「封建的」の一言で、敗戦後の日本は旧制度を廃止して米国民主主義を取り入れた歴史があります。欧州には伝統的な職人文化が生き残っていますが、若い開拓国家のアメリカには自主独立の気風が強くて師匠に絶対服従するような窮屈な文化は根付かなかったようです。従って、戦前と戦後で日本は文化的に分裂してあちこちに大きな矛盾を抱え込んでしまっているわけです。「伝統」「国技」という言葉が遠慮がちに使われるのも、この歴史の断絶を誰もが程度の差こそ有れ、何がしかの理解を持っているからでしょうなあ。

■徒弟制度では、師匠に対しては絶対服従が求められますが、それは修行時代の事で、社会的にも職能の点でも未熟な段階で入門した弟子は、一人前になって独立した生活が可能になるまで耐えねばなりません。プロの世界は互いに別個の技術と仕来りを伝え守っているので、徒弟制度で最も恐ろしいのが「破門」でしょう。修行が途中で終わってしまえば、その世界で独り立ち出来ませんし、かと言って他の世界で修行をやり直すには時間が足りませんからなあ。

■他のアマチュア・スポーツの場合は、怪我や病気でプロへの道を断念しなければならなくなっても、「監督」が新しい道を用意する力は無いでしょうが、相撲部屋の場合は実の親から子供を託された親方は、育ての親となって弟子の生涯に責任を持つ暗黙の約束が有りますから、法律に言う「職業選択の自由」や「基本的人権」に一定の制限が掛かっているようなものです。相撲協会の内規で、現役力士の「副業」が禁止されているのも、全身全霊を相撲修行に打ち込んで引退後の進路選択を有利にするためでしょう。ところが、為替も経済力も弱い発展途上国から「出稼ぎ」を受け入れてしまうと、あらゆる条件が変わってしまいます。日本国内ではちょっとした貯金でしかない修行時代の金銭が、祖国に持ち込めば立派な資本となって事業が興せますし、独立の象徴でもある不動産購入さえも簡単です。