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旅限無(りょげむ)

歴史・外交・政治・書評・日記・映画

レバノン内戦の復習 其の九

2006-08-22 15:33:33 | 歴史
■カセム准将は政権に就いていた期間が短かったためか、イラクの貧困層には大変に人気が有ったそうで、ソ連の後ろ盾を得て大きな顔をしていたようですが、クーデターの1年後に、車で移動中に急進的なナショナリスト集団によって白昼、機関銃を乱射されて急死に一生を得る始末でした。まるでアフガニスタンのカルザイ大統領のように……。この過激派の名前を「バース党」と呼びまして、このカセム暗殺チームに22歳の男が参加していました。彼は暗殺に失敗した後盗んだ驢馬でシリアに逃れ、そのままエジプトに亡命して政府の奨学金を貰って「高校生」になります。その後カイロ大学の法学部に入学し従姉妹のサジダと結婚、1963年にイラクから毎晩放送されるカセム将軍の死体の映像を見て祖国に帰ります。法学部の勉強を中断して彼が就いた仕事はバース党の秘密警察直属の「尋問兼拷問官」でした。その男は親族のコネと秘密警察を利用してイラクの最高権力者になるのです。言わずと知れたサダム・フセインの話です。

■親米派と見なされていたイラク王室が転覆されたのですから、イラクがソ連陣営に寝返るのは時間の問題です。そうなればエジプト、シリア、イラクが一丸となってレバノンとヨルダンを標的にするに決っていますから、再び国王打倒の陰謀が心配されたヨルダンのフセイン国王とレバノンのシャムーン大統領はそれぞれ英米に救援の保証を求めます。米国議会では、イラク戦争直前に「大量破壊兵器」と「アルカーイダとの関係」が疑問視されたように、レバノンに対するシリアやエジプトの介入の有無が検証されていました。米国の良心として有名なフルブライト上院議員が健在でしたから、アイゼンハワー大統領は議会の説得に苦労しました。ブッシュ時代とは随分と事情が違っていたのですなあ。


1958年7月15日、米国はヨルダン派兵と同時に作戦を行なって欲しいという英国の意向を無視して海兵隊1個大隊をベイルートに上陸させる。多くの観光客やベイルート市民が見物している中での作戦。

7月16日夜、ヨルダン派兵を討議していた英国内閣はダレス国務長官から「道徳的かつ補給上の支援」の約束を取り付ける。

7月17日、英軍はキプロスに駐留していた空挺部隊2200人をアンマンに空輸開始。イスラエル領空を侵犯して追い返され到着は半日遅れる。イスラエルはヨルダン崩壊を期待していた。

ヨルダンはレバノンに続いて国連安保理でアラブ連合共和国による内政干渉に関して提訴。

7月18日、国連安保理はソ連提案の「アラブ国家の武力内政干渉の停止」「米軍のレバノンとヨルダンからの即時撤退」を否決。スウェーデン提案の「国連監視団の活動停止要請」も否決。米国提案の「事務総長が交渉に乗り出してレバノンの独立と領土保全を確立する」案は全理事国の賛成にもかかわらずソ連の拒否権で否決。日本政府の「国連軍を編成して米英軍の肩代わりをする」提案も同じくソ連の拒否権で否決される。

■この頃の日本政府は、ちゃんと国連安保理に真っ当な提案をする能力を持っていたのですぞ!でも自分が提案している「国連軍」に自衛隊を参加させるつもりだったのでしょうか?もしかしたら、朝鮮戦争で後方支援や秘密作戦参加の実績が有ったのですから、レバノン危機を利用して、国連軍の一員として海外派兵に踏み切るつもりだったのかも知れませんなあ。それはともかく、8月8日の段階で、増強され続けた在レバノン米軍は1万4357人(陸軍8515人、海兵隊5842人)に膨れ上がります。

■本格的な米軍の介入を受けて、当時者達は目まぐるしく動き回ります。1人だけ、レバノンのシャムーン大統領だけは69日間も暗殺に怯えて某所に潜んでやつれていたそうですが……。ナセルはモスクワにすっ飛んで行ってフルシチョフに助っ人を頼みます。しかし、本気で第3次世界大戦が始まりはせぬかと気が気ではなかったフルシチョフは、米国との軍事衝突に直結する介入は断ります。ナセルを追い返したフルシチョフは、ジュネーブで米英仏ソにインドを加えた首脳会談を開催してハマーショルド国連事務総長に仕切って貰う計画を立てます。8月3日に北京に飛んで毛沢東に説明をするのですが、既にスターリン批判をした後ですから毛沢東はフルシチョフが大嫌いになっていて、ぜんぜん相手になってくれません。


1958年8月7日、フルシチョフの提案で国連緊急特別総会の開催が全会一致で決る。

8月21日、アラブ10箇国が統一決議案(内政不干渉・外国軍隊の早期撤収)が特別総会に提案され満場一致で採択される。

9月23日、シェハブ将軍が合法的にレバノン大統領に就任し、翌日には前首相で反乱軍の指導者だったラシド・カラミを首相に任命。

10月25日、ベイルートから米軍海兵隊の撤収完了。

11月2日、ヨルダンから英軍撤退。

■今も昔も石油利権をイデオロギーで包み隠した悪い奴らが、中東特有のアラブ商人のハッタリと値切り、そして恥も外聞も無い裏切りと変心に翻弄されているという事なのでしょうなあ。時は流れて、ソ連をアフガニスタンから追い出す為に、世界最高のスパイ技術とテロ技術をムジャヒディーン達に教え込んだ米国は、彼らに大艦隊も大戦車軍団も不用の極めて安上がりのテロ戦争が可能だという事を知らせてしまったのです。国連に議席も持たず、領土も国境さえ持たないテロリストを相手に、ブッシュ政権は終りなき戦争を仕掛けています。今度は国家内国家というややこしい姿のヒズボラを相手に、僅かな兵員さえも送れない米国の姿を晒してしまいました。

■ヒズボラが戦った場所で、シリアや海から入り込むテロリストが勝手に戦争を始めたら、イスラエルは攻撃すべき標的さえ見つけられなくなります。ヒズボラ戦争の停戦が決るのを見越したかのように、それは単なる偶然ではありますが、大掛かりな対米テロの計画が露見しましたなあ。アラブとイランから石油が無くなるか、文明が一滴の石油も必要としなくなるまで、中東紛争は手を変え品を変えて世界の人々を驚かせ心配させ続けるのでしょう。困ったことです。

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レバノン内戦の復習 其の壱

2006-08-22 15:25:29 | 歴史
■日本の「終戦記念日」に因(ちな)んだわけでもありますまいが、ヒズボラ戦争は8月14日付けで「停戦」となったそうです。これで一件落着、目出度し目出度し、などと思っている者は何処にも居ないでしょう。反イスラエル側は、少なくとも射程80キロのミサイル兵器と軍用ヘリコプターを撃ち落せる高性能の地対空ミサイルを装備している事が明らかになったのですし、守る場合にも何処の国が世話を焼いたのかは分かりませんが、米国自慢のバンカー・バスターでも破壊できない大深度に強固な地下基地を縦横に張り巡らせておけば、かつてのようにイスラエル軍の怒涛の反撃に対して逃げ回るような無様な事をしなくても済む事が立証されたのですから、停戦中には頼りになる新兵器を「密輸」して、モグラ仕事を「外注」してせっせと次の戦争の準備を始めているに違いありません。

■もう耳に胼胝(たこ)が出来るほどイラクという国名を聞かされた日本人は、少しは中東地域の地図に詳しくなったはずですが、今回のレバノンを舞台とするヒズボラ戦争にはピンと来ない人が多かったようです。海外メディアは新聞もテレビも熱心に情報を集め、大所高所からの分析を加えて特集を組んでいたのに比べて、どうも日本人は「ガソリンが値上がりした原因」ぐらいにしか考えていないような印象が有りますぞ。これは問題です。日本も全面的に支持して参加した米国の「中東民主化戦略」が完全に破綻した事を世界中が確認したのです。元々、レバノンは中東地域で最も民主的な政体を持った国として米国の大のお気に入りだったのです。その頃の話を復習しておくのも、これからの中東情勢を考える基礎知識を得る一助となるはずです。

■話は今から約50年前に遡りまして、主人公は懐かしいアイゼンハワー米国大統領です。1958年7月14日に、当時のレバノン国軍の2倍に当たる1万4000人の兵力を米軍はイラクではなく、レバノンに上陸させたのです!それは既に歴史となってしまった「冷戦時代」の真っ只中で起こったのでした。思えば、対立していた東西両陣営は主権国家を単位とする陣取りゲームをやっていたのでしたなあ。ボーダーレス時代を新しい金儲けのチャンスだと能天気に囃し立てているエコノミストの皆さんにとっては、縄文時代の話のようなものかも知れませんなあ。

■日本では靖国神社を拝むか拝まないかと誰が仕掛けたのか分からない不毛な論争が盛んですが、1950年代の段階で、世界は日本の戦争責任も「平和に対する罪」も忘れて、米ソ対立から始まる次の大戦争の準備が着々と進めていたのです。当時の危機の焦点は東欧諸国と朝鮮半島でしたが、今ではEUがNATOと共同歩調を取って急速に拡大しているので、第3次大戦は欧州から始まる心配は無くなりました。東欧は遠い遠い対岸の火事でしたから、日本は大して心配はしなかったようですし、朝鮮戦争も敗戦後も残っていた軍需産業の生産設備を利用して「神武景気」を喜ぶようは状態でした。しかし、その半島における冷戦構造はずっと放置されていた事を拉致問題の発覚で痛いほど思い知らされたわけですが……。

■今の欧米諸国が頭を抱えているのは中東とアフリカです。何故か日本は他人事みたいに眺めていますなあ。ちょっと歴史を振り返って整理しておきましょう。


ちょっとモンゴルの勉強 其の八

2006-08-18 12:15:35 | 歴史
■20世紀初頭のモンゴル人達は、辛亥革命に際して漢族が清朝皇帝の位を奪い取って、大汗の位の継承者として侵略して来る危険を逸早く察知しており、当時としては最良の後ろ盾となるソ連を指導者とする事で、ソ連からも中国からも侵略されない独立を手に入れたのです。略奪好きのロシア軍でも、見渡す限りの大草原から奪い去る物はそれほど見付けられなかったでしょうから、彼らがモンゴルを欲した唯一の理由は満州征服の前線基地と、その尖兵として使える現地の若者であったようです。しかし、ソ連の傘下に収まる事を潔しとしない勢力も居て、彼らは日本の援助を頼りにソ連からも中華民国からも独立した国を建てようと運動していました。満州国を維持したい日本にとって、隣国モンゴルの情勢は重視すべきものではありましたが、それは海洋国家日本を大陸の深奥部に引きずり込まれる罠ともなる危険な要素でもあったのです。満蒙国境は権謀術数の渦巻く複雑な歴史を刻む舞台となったのですが、何故か戦後の日本では余り語られる事が無いようです。安彦良和さんの漫画『虹色のトロツキー』が、祖国の独立を願う日本人とモンゴル人の両親を持つ若者を描いて大きな衝撃を与えたのはちょっとした事件でしたなあ。

■1930年代末期には、内モンゴルの東部が満州国の支配下に入り、西部は王公徳王が日本の援助を受けて「蒙疆連合自治政府」を樹立して独立運動が続きましたが、日本が敗れて大陸を去ると、ヤルタ会談で「外モンゴルの現状維持」は決定済みであったので、問題の焦点は内モンゴルの去就に絞られて、ソ連と北京政府の思惑に挟まれたモンゴル人達の中には、フトクトの「内外モンゴル合併運動」やボインダライの「内モンゴル人民共和国臨時政府」等の動きが錯綜しました。しかし、1945年の6月から、日本の敗退を見越して既に中ソ条約の交渉が開始されており、そこで満州国のソ連利権・外モンゴルの独立問題・新疆の「東トルキスタン共和国」独立問題に関する取引が合意されていたのです。即ち、外モンゴルは独立を維持してソ連の支配下に留まり、新疆は中国領として承認されるが、満州問題は玉虫色で残されたのです。戦後の中ソ国境紛争は、済し崩しに満州利権を失ったソ連の未練と恨みを原因として繰り返されたとも言えますし、日本があまりにも満州国を手前勝手に傀儡化してしまって、戦後交渉に耐える現地の政府が生まれなかった悲喜劇に中国共産党が付け込んだ結果とも言えそうです。

■ソ連型の社会主義国家が崩壊した後の経済的混乱を終息させる特効薬は無く、ロシアはマフィア経済の闇が広がり続けて世界に拡大し続けていますし、東欧諸国はEU加盟に国運を賭けていますが、ヴェトナムやキューバのように東西冷戦の代理戦争を請け負って政権を維持していた国は、ソ連の指導と援助を失うと同時に光明を失いました。モンゴルも乏しい国富をロシアのマフィア経済に食い荒らされる危機に直面しているような話が聞こえて来ます。米ソの対立構造が解消された後に、自分達が所属すべき組織を見出せない国の窮状が早期に解決される可能性はまだ見えないようです。

■モンゴルは、常にロシアとチャイナとの間で一見内部分裂を起こすようでありながら、権謀術数を尽くして独立を守り抜く努力を続けて現在に至っているとも言えそうです。日本が介入して来た時期には日本の思惑も利用し、ロシアかチャイナかの究極の選択を誤らずに生き残ったモンゴルは、チンギス汗の時代から外交上手な国だったのかも知れません。それは、峻険な地形に守られたチベットの暢気な外交姿勢とは異なり、一望千里の平坦な草原地帯で生存圏を維持する民族の宿命が鍛えた技術だったのでしょうなあ。

■現在、モンゴル国に220万人、中国の内モンゴル自治区に350万人、ロシアのバイカル湖東岸のブリヤート共和国に30万人、そして遠くカスピ海西岸のカルムィク共和国に10万人が、近代国家が定める国境を越えて民族のアイデンティティの紐帯を維持するのはモンゴル語文化とチベット仏教の信仰だけです。1979年に初めてソ連とモンゴルを初めて訪問したダライ・ラマ14世は、旅行中に立ち寄った当時のブリヤート自治共和国で、チベット語で祈祷するモンゴル人達と交流し、ウランウデの仏教寺院の威容に感動していらっしゃいます。この寺院が建立されたのがスターリン時代の1945年であった事に驚嘆もなさったそうです。ソ連の崩壊でチンギス汗礼賛は解禁されましたが、ロシアに新たなイヴァン雷帝が出現しないとも限りません。今の所はモンゴル国の独立は安泰のようですが、急速に進む近代化の波が草原文化と素朴な遊牧民の生活形態を根底から破壊する危険性が高まっているのも確かです。独立という民族の宝を守る事と、民族の伝統文化を守る事との悩ましい鬩(せめ)ぎ合いは主権国家の宿命的な課題でありますから、その根幹が教育政策である事には国の区別は無いのでしょうなあ。

■1991年のソ連の崩壊で社会主義の看板も安心して下ろせるようになって、92年には国名を「モンゴル国」に変えて議会制民主主義と市場経済に移行する新憲法を制定し、93年には選挙で大統領を決めて、経済復興に邁進できる時代を迎えたのです。正直で元気なモンゴル人の中には、漢族族と見るとちょっと態度が狂暴になる傾向が見られますが、かつて毛沢東が「百年もすればモンゴルは自主的に中国に復帰するだろう」と放言した事に対する確固たるNOの反応だと考えれば納得は出来ます。地図を見るとモンゴル国と中国内モンゴル自治区との国境線は滑らかな曲線で括れる形をしているのですから、遠い将来において国境が変更されるならば、毛沢東の予言とは逆の形になるのではないかと想像したくもなりまうが、国境はどんなに僅かでも移動変更される時には、大量の流血を見るのが決まりなので、当事者双方に軽挙盲動は厳に謹んで頂きたいものでありますなあ。でも、経済協力圏だの共同開発計画だの、甘い誘惑はこれからますます強まって行くでしょうから、早めに私利私欲に走る上層部の腐敗を排除して法律的な予防策を講じておくべきでしょう。

虹色のトロツキー (1)

中央公論新社

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ちょっとモンゴルの勉強 其の七

2006-08-18 12:15:21 | 歴史
■その好機は案外早く到来して、中国側がソ連の援助目当てで頼りない第一次国共合作を決めるのを見澄まして、ソ連政府の指導を選択して援助を受けたモンゴル人民義勇軍が、1921年7月11日に「人民革命」を起こして再び独立を回復します。資本主義経済が確立していた訳でもないモンゴルですから、マルクス主義もレーニン主義も関係なく、ロシアとチャイナを天秤に掛けてロシアに乗ったというだけの話です。

■同年11月には「ソ蒙友好同盟条約」が締結されて軍事援助を中心にソ連型の政府が名目だけですが、成立しました。外モンゴルを失った中国は激怒したのですが、さすがにソ連には刃向かえず、国境を固めて内モンゴルを死守すべく漢族の植民を強化し始めます。この辺の事情を押さえておかないと、後の満洲独立、日本・朝鮮・チャイナからの巨大な移民の動きは理解出来なくなりますぞ。現在の内モンゴル自治区で、間も無くモンゴル族が貧しい少数民族になってしまう事態を、満洲帝国を悪し様に語る人々はどう説明するのでしょう?勝てば官軍、昔取った杵柄で毛沢東大好き、中国大好き、社会主義万歳!の気分で北京政府のやる事は黙認するのならば、東アジアの近代史はぐみゃぐにゃに曲がってしまいます。勿論、盧溝橋事件以降の陸軍内部で盛り上がった出世競争熱は大問題ですが……。

■外モンゴルの独立は、国境の外に同じ民族が取り残される結果となって、皮肉な事に民族の分断状態を深刻なものにしてしまう結果となりました。しかし、モンゴルには同時にソ連と清王朝を継承したと自称する中華民国に対処する南北両面作戦を実行する力は無く、チャイナの勢力圏に留まって漢化政策に耐えながら民族の統一を維持するか、内モンゴルを切り捨てて国家の独立を果たすかの究極の選択が迫られていたのですが、それを民族の意志で決定できる状態ではなかったのでした。そしてモンゴルは、長年の経験からチャイナとの縁を切る決断をしたのでした。

■日本で関東大震災が起こった翌年の1924年、孫文は1月30日に開催された第1回全国代表者大会で「連ソ・容共・扶助工農」の3大政策を発表して、第一次国共合作が成立します。これは全てコミンテルンの指示に従ったもので、当初は米国をモデルとして多民族民主主義国家を標榜していた孫文がソ連の社会主義理念に共鳴した結果です。この人物の言動や行動に思想的な一貫性を求めても意味は無いようです。この9年前に、日本が「対華二十一箇条要求」を発表して世界中から顰蹙を買った事件が起きていますが、その原案は覇権争いを続けた孫文と袁世凱の双方が日本の援助を得ようと裏交渉で乱発した空手形を参考にして書き上げられているので、日中交渉の集大成として成立したようなものです。この餌に釣られて裏交渉を不用意に表に出してしまった日本は反日運動の盛り上がりに仰天してしまいます。

■中国共産党の謀略も盛んで、満洲建国に危機感を持っていたソ連も、大陸に利権を得たい米国も、この反日運動を大いに利用したようです。日本としては典型的なマッチ・ポンプ式の稚拙な外交政策によって謀略の餌食になった典型例のようなものです。モンゴルでは同年5月20日に54歳でボグド汗が死去。旧勢力を懐柔する役割を果たしていたボグド汗の後継者は選ばれずに、6月3日には共和制に移行した上で、11月のモンゴル人民共和国成立に至るのである。これ以降、モンゴルはソ連から新しい技術を導入して急速な近代化を開始しましたが、それは同時にロシア語教育の採用をも意味していました。モンゴル文字は急激にキリル文字に書き換えられてしまいます。イデオロギー教育は一夜にして転換出来ますが、言語文化の回復は非常に困難な仕事であり、現在もモンゴル文字は完全には復活していないのですなあ。記して銘すべき事態であります。

■文字を持たぬ遊牧の民だったモンゴルは、チベットの高僧パスパを元朝の「帝師」に迎えたフビライがチベット文字を基礎とする縦書き文字を公用語として制定したのが文字の最初で、このパスパ文字は霊験あらたかだったかも知れませんが、速記性に欠ける文字で甚だ不便だったので、通商用に普及していたウイグル文字を参考にして縦書きで左から右へと行を進めて書くモンゴル文字が定着していたのでした。しかし、世界で最も民族問題に精通していた?スターリン同志の指導で、母音が七つ有る縦書きのモンゴル語が、母音が五つしか無い横書きのキリル文字に強引に転換されてしまったのです。こうした悲劇が50年も続いた後に、ソ連崩壊で民族教育の復興が試みられて早速小学校からモンゴル語を教えようと張り切ったものの、教材も教師も消え去った現実の壁は想像以上に厚かったようです。

■仕方が無いので、低学年にはキリル文字を教えて高学年にはモンゴル文字を徐々に教えるという折衷策を採っているとも言われますが、どこかの国が、漢字文化に大鉈を振るって教養の欠片も無い国民を大量生産し続けている喜劇と好対照の話ではないでしょうか?
外モンゴルを奪われた北京政府は、スターリン同志に民族融和策の手本を示す為か当て付けかは知りませんが、内モンゴル自治区の民族学校ではモンゴル語を学べる体制を維持し、国内発行の紙幣にも小さいながらチベット文字等と並べてモンゴル文字を印刷して流通させています。勿論、その内モンゴルでも漢化政策が進んで、モンゴル文字の学習者が間も無く消滅するだろうと容易に予測出来るのですが……。

ちょっとモンゴルの勉強 其の六

2006-08-18 12:15:06 | 歴史
■時代は駱駝や馬の時代から、汽船と汽車の世の中に変わっていたのが運の尽きで、ロシアは馬と船を利用してどんどん東に進み始めてシベリアへの道を開いたのは16世紀の事でしたなあ。日本はまだ戦国時代です。17世紀には清朝の北辺に接触し、18世紀にはカムチャツカ半島とアラスカに達したロシアは、清朝の衰退に付け込んで南下を続けて日本海に臨む沿海州を手に入れてしまいます。何と、1705年にロシアは清に対して貿易を求める一方で、ペテルブルクに「日本語学習所」を設立しています!目的は何だったのか、よく考える必要が有ります。1727年にはキャフタ条約が結ばれて、分裂状態だったモンゴルの頭越しに、清朝とロシアが勝手に国境線を画定してしまいます。どうせ「外国人の土地」なので、清王朝の世宗雍正帝は気前良くモンゴル人の故地をロシアに渡してしまいました。

■それでもハルハ部やジュンガル部は健在で西はバルハシ湖南岸からカシュガル、ヤルカンド、コータンなどのオアシス都市も握っておりましたぞ。特にジュンガル部のアルタン汗は清王朝を大いに苦しめるほどの大勢力になっていました。しかし、1757年に清は大軍を発してジュンガル部を掃討し、積年の恨みを晴らすべく虐殺を始めます。イスラム教徒も反乱を起したので西部地域を征討して回った清朝は「新疆」という支配地の名称を始めて使います。この頃の清王朝は内憂外患に苦しんで地力を使い切ってしまったようなものです。イスラム教徒も後のモンゴルと同様に、外国の西トルキスタンと国内の東トルキスタンに分断され、それが現在の中央アジア諸国と新疆ウイグル地区とに分かれることになるのですなあ。

■1792年にラクスマンが日本にやって来ます。日本は開国か攘夷かで内戦状態に陥りますが、最短時間で幕藩体制から近代明治国家への脱皮を果たします。そして、ロシアが清朝崩壊に乗じて満州を奪わんとした時に、辛くも日本が立ち塞がってアムール川の北まで押し戻したのは1905年の事だったのです。それが世に言う「日露戦争」で、ロシア帝国とすると世界最強のバルチック艦隊を対馬海峡に沈められ、世界最強の陸軍も難攻不落の旅順要塞を落とされた上に奉天会戦にも敗れ去るという言い繕いようの無い惨敗なのでした。その相手が黄色人種だった事でロシアは面目丸潰れとなって、欧州諸国から笑われる屈辱を味わいます。

■日露戦争の雪辱と太平洋岸の不凍港を求めて満州と朝鮮半島に襲い掛かったスターリンが、名匠エイゼンシュテインに命じて撮影させた大作映画が『イヴァン雷帝』だった事を忘れてはなりません。1946年に完成された一部カラーのこの作品は見事な芸術性を世界に見せ付けましたが、モンゴル兵を盛大に追い回して殺戮する単純明快な作品を期待したスターリンは、内面の葛藤を見事に描いたこの芸術作品を観て激怒してしまいます。映像の芸術性とシナリオの奥深さを無視してしまえば、猜疑心の強い残虐な独裁者でしかないイヴァン雷帝の映画は、思い当たるところが山ほどあるスターリンにとっては、自分を批判している作品としか思えなかったのでした。国家事業として編纂したソビエト連邦百科事典の主要項目を全部自分の目で点検し、恥ずかしくなるような美辞麗句が並ぶ自分自身の項目に、更なる礼讃文を書き加えられる異常者ですからなあ。

■エイゼンシュテインの同僚だったプドフキンが撮影した『チンギス汗の後裔』(日本での公開名は『アジアの嵐』)という作品の方が分かり易く、悪辣な英国商人の姦計によって偽の蒙古王に仕立て上げられたモンゴルの猟師が、民族の怒りによって覚醒して数万の蒙古軍を指揮して英国勢力を草原から駆逐する作品だったそうです。この昭和5(1930)年の作品に描かれた民族解放運動の裏に隠されたソ連の謀略に気が付く観客はおらず、草原の合戦場面が日本でも人気を博したと伝えられていますから、歴史の勉強は大切ですなあ。因みに、1963年に中国で撮影された『農奴』という作品は、封建領主の搾取に苦しむチベットの農奴に同情を示すチベット仏教の高僧が、実は搾取の親玉だった事を知った農奴が叛乱を起こすという誰にでも分かる、誠に単純な筋書きになっています。社会主義政権が製作する映画は常に分かり易く自己宣伝と自己陶酔が作品に満ち溢れているというわけです。政権崩壊後に見直しますと、なかなか笑えて楽しめるのですが、題材の事件を実際に体験した人々は絶対に見たくないのだそうです。

■辛亥革命で清朝が倒れた1911年の12月1日に、モンゴルはさっさと活仏ホトクトをボグド汗に即位させて独立を宣言しています。周辺諸国に使節団を派遣して独立と「共戴」年号の制定を伝える勢いを示しますが、白ロシア軍と中国軍閥が侵攻してモンゴルは分裂と占領の危機に陥ってしまいます。1915年7月にロシアと中華民国との間でキャフタ条約の期限切れが確認され、問答無用で中華民国の形式的宗主権の下での「高度自治」だけが認められたのも束の間、ロシア革命が起こると中華民国はモンゴルの自治権を取り消して併合しようとします。ですから、モンゴル人達の国家的な目標は常にチャイナからの独立に集約されるのです。

イワン雷帝

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アジアの嵐

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ちょっとモンゴルの勉強 其の伍

2006-08-17 18:01:22 | 歴史
■タイトルの『蒼き狼』の後ろに長ったらしい「副題」が付けられていた謎はこれで解けたのですが、これはちょっと大きな問題になりそうですなあ。研究者の間では、この「蒼き」というのは誤訳で、本来は「灰色と黒のぶち模様」と訳すべきとのことですが、井上靖さんの作品が大きな影響力を持ったからこそ、この名称が広く定着したのでしょう。そうなると、角川側の言い分は苦しい物になりますなあ。現地では、撮影に協力しないように訴える運動や、別の映画を作ろうという動きまで出ていると記事は伝えていますが、アゴ・アシ付きの取材旅行に招かれた日本のマスコミは、太鼓持ち役に徹して提灯記事を書き散らしたことになりますぞ。横綱朝青龍の特別出演などというヨタは話までオマケに付けた報道まで有ったようですが、それが実現したら大したものです。「新潮映画」ではなく「角川映画」にしたかったお家の事情は国内問題ですから、これをモンゴルの大草原に持って行くのは良くないでしょう。

■軍隊が全面協力したチンギス汗映画は、モンゴルにも有りますし、何故か征服された側の中国も制作しています。中国製の映画では「国内向け」にモンゴル人俳優が目立つ役を演じていましたが、どうも日本はまだまだ国際映画を作る知恵と技術が未熟なようですなあ。映画自体もどうなるか、少々心配が有ります。本来の監督でもない角川さんが、壮大なシーンの撮影になるとしゃしゃり出ては現場を掻き回しているようですから、万一『天と地と』のような壮大な駄作になったら、モンゴルからどんな悪口雑言が噴き出すか分かったものではありません。モンゴル映画は長い間旧ソ連の影響下に有りましたが、新しい世代が欧州で修行したり、各種映像ソフトが国内に入り込んだりして、なかなか元気なようですから、あまり舐めた真似をすると本当に大きな国際問題になるかも知れませんぞ。

■映画については後述するとして、モンゴルの現代史について復習して見ましょう。モンゴルは何処まで行ってもチンギス汗の偉業と無関係にはなれないので、チンギス汗在世中に征服された中央アジアとロシアが手を組んで、更にイランまで顔を出しているのですから、「上海機構」は長い時間を越えた反チンギス汗同盟の観さえ有りますぞ。勿論、中心に座っているチャイナはフビライに征服されて「元朝」となった屈辱的な歴史を決して忘れていません。昨年も、北京のテレビ局がチンギス汗を主人公とする大河ドラマを制作したようですが、どんなに工夫しても「チンギス汗も中国人でした」という無茶な話には出来ず、惨めに征服される漢民族の物語になってしまうので、完成後には随分と政府の上層部から文句が出たようで、あちこち切り張りして何とか放映したそうですなあ。

■さてさて、話は歴史をぐんと遡ります。最後の東ローマ帝国皇帝の姪を后に迎えてその正統を受け、キプチャク汗国に叛旗を翻して二百四十年の「タタールの軛(くびき)」を断ち切ったイヴァン3世の出現以来、ロシアは大帝国の道を歩み始めました。ですからロシア帝国は、東ローマ帝国の更に東にローマ帝国が引っ越したとも解釈可能です。勿論、欧州諸国ではローマ帝国は1453年にオスマントルコ軍によってコンスタンチノープルが陥落した時に、ローマ帝国の歴史は終焉したと考えていますから、ロシア人も余り大きな声では「ローマ帝国の続き」を主張しません。

■イヴァン3世の孫、イヴァン雷帝が初代ツァーリに即位して大貴族ロマノフ家の娘と結婚して絶対的な権力を掌握しますと、西の欧州が相手にしてくれないローマ帝国皇帝の冠を諦めて、今度は一転して東に向ってロシア帝国は侵攻を開始しました。ウラル山脈の西側に広がっていたカザン汗国と、その南に隣接していたヴォルガ川流域のアストラ汗国を倒してチンギス汗に連なる地位を獲得したと主張し始めます。実際には大モンゴル帝国が分裂して西側の各ハーン国は徐々にイスラム化して行き、それらはオスマントルコに吸収されて行きましたから、その北側をちょっとばかり掠め取っただけの話です。本家本元のモンゴルは大帝国の東半分で強大化したオイラート族との和戦を繰り返したり、明王朝を侵略したりして元気にやっておりました。

ちょっとモンゴルの勉強 其の四

2006-08-17 18:00:24 | 歴史
■モンゴル政府からは日本に対して何度も投資を求める要人が来訪しているのですから、雪崩を打って投資額を増やしているチャイナに対抗して援助と投資を積み上げて行けば、チャイナ経済圏に飲み込まれる心配をしているモンゴルの人々には歓迎されるでしょう。しかし、急激な近代化は富の偏在と環境破壊を生み出しますから、その辺りの予防策を提供するのも忘れては行けない重要な要素になります。チャイナに負けずに露骨な経済最優先の態度で乗り込むと、思いも掛けない反発を受ける危険が有ります。そんな心配をしていたら、早速『週刊新潮』8月10日号に非常に気になる記事が掲載されましたぞ!主人公は角川春樹さんです。

……チンギス・ハーンの生涯を描く日蒙合作映画である。製作総指揮を角川春樹氏(64)が務め、主役のハーンを演じるのは反町隆史。総制作費は実に30億円……ところが、「角川さんのやり方はあまりに酷い。許せませんね」こう憤慨するのは、「蒼き狼」制作準備委員会のメンバーだ。「……そもそもこの映画は、5年前、当時の駐日モンゴル大使が都内で出版社を経営している難波多津子さんに日蒙合作で記念映画を作らないかと持ちかけたのが始まりなんです」難波さんは、モンゴルとはボランティア活動を通じて交流があったという。

■キー・ワードは井上靖原作の『蒼き狼』です。この作品は20年ほど前に加藤剛さんが主演でテレビ映画化されていますし、北大路欣也さんが主役で舞台化もされています。中央アジアに造詣が深かった井上靖さんですから、現地のモンゴルでもこの作品は非常に有名なのだそうです。だた、問題になるのは『蒼き狼』は、『天平の甍』『楼蘭』『風濤』などのアジアを舞台とする歴史小説と共に新潮社が版権を持っているということでしょうなあ。記事の続きです。


「モンゴルでは、チンギス・ハーンを描いた井上靖さんの『蒼き狼』はかなり有名ですからね。これを原作にして、映画の製作を委託された。そこで翌年『蒼き狼』制作準備委員会を設立し、難波さん自ら事務局長に就任してのです」当初、モンゴル川と予定していた総制作費は10億円。俳優はモンゴル人と日本人の両方を、監督にはモンゴル人のニャムガワー氏を起用することで合意していました。

■難波さんは必死になってスポンサーを探し、何とか4000万円を調達したそうですが、映画の素人がこれだけの金額を集めるのは並大抵な事ではありません。ご立派!でも、日本の企業やお金持ちは映画に対する見識が低いような気もしますなあ。


……困った難波さんは角川氏のもとへ相談に行ったのである。これが昨年末のこと。「角川氏は撮影にあたり軍の協力が得られることを条件に協力を約束。で、今年2月、難波さんが角川氏を連れてモンゴルに行き、制作にこぎ着けたんです。雲行きが怪しくなったのはこの頃から。俳優にモンゴル人が1人も入っていなかったので文句を言うと、角川氏は“これは私の映画だ。あなた達とは関係ない”と豹変したのです」5年間苦労してきた制作準備委員会はアッサリ外されてしまったのだ。

■映画制作や興行の世界は、博打の要素が強くてヤクザな話はごろごろしているとも言われますが、国際問題になったりするのは拙(まず)いですなあ。記事によりますと、角川春樹さんが構想している映画は、森村誠一さんの小説『地果て海尽きるまで』という角川さんが版権を持つ作品を下敷きにすることにしてしまい、『蒼き狼』とは別の流れになって行ったとのことです。角川書店の内部抗争が激化した時に、森村さんは素早く春樹氏支持を発表した方でもありますから、チンギス汗の映画となったら、森村作品を下敷きにするのは当然と考えたのかも知れません。御丁寧に、原作の変更にクレームが出ると『蒼き狼』という名称を角川側は商標登録して対抗したとも書かれています。その言い分は『蒼き狼』という単語?は「日本人がモンゴルに対して抱く一般的なイメージ」だからだそうです。

ちょっとモンゴルの勉強 其の参

2006-08-16 13:09:07 | 歴史


……最近、モンゴル南部のタバントルゴイ炭鉱で世界有数の未開発石炭資源が確認された。推定埋蔵量1500万トンというオヨートルゴイ銅山の本格生産も数年後に始まる。国境を接する中国やロシアも資源開発の主導権を握ろうと躍起だ。今回の訪問について日本政府関係者は「周辺国への影響力強化をねらう中国への牽制という意味合いがある」と説明する。靖国参拝で首脳外交をストップさせた小泉首相は中国には立ち寄らない。……同記事

■欧米諸国が猛烈な開発利権獲得の競争を繰り広げているのは周知の事実ですが、最後の1行はどうも余計な一言のような印象ですなあ。首都ウランバートルではチャイニーズ食堂が焼き討ちされたりしているほど、モンゴル国ないには反チャイナの悪感情が渦巻いているのですから、北京を飛び越えてモンゴルに飛んで来てくれれば快哉を叫ぶ人達が沢山いるでしょう。


「日本は百方手を尽くしてモンゴルを丸め込もうとしている」。国営新華社通信系の中国紙、国際先駆導報はこのど、こんな見出しで小泉首相の訪問を報じた。日本は対外援助を減らすなかで、モンゴルへの援助は増やしていると分析。それでもモンゴルにとって、最大の貿易・投資パートナーでもある中国との関係は変わらない、と主張する。モンゴルに進出した中国企業は2600社を超えた。……同記事

■もっと露骨に書けば、「日本は対中援助を減らすなかで…」となるのでしょうが、何処の国に対する援助を手厚くするかを決めるのは日本の主権にかかわる重大事ですぞ!大きなお世話どころか、こんな取るに足らない小さな新聞記事を引用するのは見苦しい。


上海国際問題研究所日本研究質の呉寄南主任は「中韓という重要な隣国を迂回したまま、突破口を求めてモンゴルや中央アジアへ出かけても、日本のアジア外交は成立しない」と冷ややかだ。一方、モンゴルのハイサイダイ国際問題研究所長は「中国は、日本がモンゴルを自分の縄張りにしようとしているとみて小泉首相の訪問を快く思っていない」と分析。「ただ、モンゴルにとって、ともに重要な日中両国が冷たい関係にあることは、地域の協力に良くない影響を与えている」と話している。……同記事

■このモンゴル人研究者の発言は、相当に強い政治的配慮を前提にしないと誤解を生みそうです。「中央アジア」とモンゴルを同列に扱っているのは問題ですぞ。中央アジアの主要国は「上海機構」に取り込まれていますが、モンゴルはそんな組織に入りたいような素振りさえ見せていません。そして、米国は上海機構をぐるりと取り囲むように「不安定の弧」に圧力を加える新しい配置を展開中で、既に日本の自衛隊はインド洋とイラクで活動しているのですから、米国の尻馬に乗って上海機構のど真ん中に楔(くさび)を打ち込む尖兵になるかも知れませんからなあ。もっとモンゴルに注目しておかねばなりませんぞ。

■「内モンゴル自治区」を取り込んでいる中華人民共和国は、現モンゴルを「外モンゴル」と呼んで将来的には「全モンゴル自治区」にする心算でいます。それは建国の英雄・毛沢東が予言していたのですから間違いありません。地下資源が続々と見つかっているなどと聞いたら、良からぬ事を考えるに違いありませんぞ。モンゴルの資源と利権は、ごっそりロシアン・マフィアの手に落ちているので、最初は中ロのマフィア同士の抗争事件から始まるのかも知れませんなあ。どちらと結んでもモンゴルは損をしますから、米国が色目を使っているのを利用して日本政府が上手に付き合って行けば、思わぬ国益になる可能性は有ります。但し、地下資源の積み出しには北京を経由した鉄路しか有りませんから、通過料金と港湾使用料を取られますなあ。その辺の「必要経費」を日本が援助してあげると良いかも知れませんぞ。内陸国の泣き所を補って上げると予想外に大きな感謝を受けるでしょう。

ちょっとモンゴルの勉強 其の弐

2006-08-16 13:08:40 | 歴史


1911年 辛亥革命に乗じて221年間の清朝支配から離脱
1919年 キャフタ条約の期限に乗じて中華民国がモンゴル独立取り消しを画策
1921年 立憲君主国となる
1924年 ソ連の支援を受けて人民共和国成立
1945年 住民投票で独立決定
1949年 中華人民共和国が独立を承認
1990年 一党独裁制度を放棄
1992年 社会主義を放棄

■詳しいモンゴル現代史は後述するとして、概略は以上のような流れになっていました。中ソのどちらにも吸収されない努力を続けたモンゴルの姿が浮かび上がりますなあ。そのためなら社会主義だって採用してしまうのです。自然に全面的に依存する遊牧民が、計画経済などを実行できるはずは無いのに、ソ連は帝政ロシア時代以来の南下政策に従ってチャイナの支配圏を削り取るには手段を選びませんから、モンゴルはこれを上手に利用したのです。別に、いちいちチャイナにお伺いを立てて独立を乞うたわけではありませんぞ!過去モンゴルがチャイナ全土(チベットを除く)を支配したのは歴史的事実ですが、チャイナの王朝がモンゴル全土を併合したり支配したことなどありません。ですから、朝日新聞の記事は乱暴だと言うのです。


…この2箇月で森前総理をはじめ日本の国会議員約80人が訪問している。モンゴルも日本や米国との関係改善に積極的だ。日本の国連安保理常任理事国入りを支持したほか、朝青龍らモンゴル力士の確約もあり、親日感情が強い。05年秋には米国のラムズフェルド国防長官、次いで現職大統領として初めてブッシュ大統領が訪問した。イラク派兵など「対テロ戦」への貢献の見返りに、米国から軍事援助や財政支援を取り付けている。……同記事

■米国がモンゴルに急接近しているのは、05年8月に折角手に入れたウズベキスタンの駐留基地を追い出された事が第一の理由です。おそらくは中ロ国境問題が一応の解決を見て安定した後でもありますから、中ロ国境線が西に延びて二股に分かれてモンゴルを囲んでいるという地政学的な理由も有るでしょう。更に、意気上がる「上海機構」6箇国が巨大な塊(かたまり)を作っているど真ん中に、モンゴルが唯一の空白地帯となっているのですから、放っておけないわけですなあ。小泉プレスリー首相がモンゴルを訪問して、抑留者の慰霊塔に献花したり蒙古弓を3本放ったりしている時に、モンゴル平原では米軍を中心として、インドやバングラデッシュなどが参加して合同軍事演習をやっていたのですぞ!もしかしたら、小泉プレスリー首相も見学に行きたかったかも知れませんが、日本の自衛隊が参加していないのですから、顔を出したら間抜けな話でしょうなあ。

ちょっとモンゴルの勉強 其の壱

2006-08-16 13:08:24 | 歴史
■今年はチンギス汗の即位から丁度800年目に当たります。夏には、大阪万博の仕掛け人だった堺屋太一さんがプロデュースする、モンゴルの大草原を舞台とした蒙古騎馬軍団のイベントが企画されているという報道が有ったのは今年の春の終わりでした。福島県の相馬で開催される神事の「野馬追い」みたいなものかと思っていたら、モンゴル軍の兵隊にチンギス汗時代の武装をさせてパレードをするだけのイベントのようです。それに便乗したような形で、『男たちの大和』で当てた角川さんが、チンギス汗即位800周年記念で『蒼き狼』を現地で映画化するとの続報が有りまして、商魂逞しく観光イベントに便乗するかいなあ?と思っていたら、テレビを中心とするマスメディアをチャーター便で空輸して、反町チンギス汗の即位式の撮影風景を取材させる仕掛けが披露されて7月下旬に各テレビ局がニュースの時間枠内で「芸能トピックス」として放送しました。業界の話では、必要経費を丸抱えで取材陣をモンゴル草原に招待する経費の1億円は、宣伝キャンペーンとしては破格の「安さ」なのだそうです。

■「建国800年祭」と銘打って、日本からの観光客を誘致しようと、今年はビザ無しで入国できるようになっているそうです。これで、ちょっとしたモンゴル・ブームになるのでしょうか?流行に敏感な小泉プレスリー首相も8月10日からモンゴルを親善訪問するとの話も有りますが、角川春樹さんと体質が似ているような気もする小泉さんまでしゃしゃり出ると、逆効果になりはしまいか?と聊(いささ)か心配にもなりますなあ。日本とモンゴルとの関係を示す基礎データをまとめて置きますと、以下のようになります。


面積は156.7万平方キロで日本の4倍。
人口は京都府と同じくらいの250万人。
日本は最大の援助国で04年度までのODAの累計は1300億円。
現地の日本大使館の調査では、国民の73%が親日感情を持つ。
日本の角界には朝青龍・白鵬など30人以上の力士が在籍。

金や銅などの地下資源に恵まれ開発が進んでいるが、海外資本による収奪を懸念する国民の声が多い。
伝統的な牧畜業は所得が低く、過放牧による砂漠化も深刻。
人口の3割が1日当り1㌦以下の所得しかない貧困層。
首都にはスラムが増え、議員や役人の汚職と一部の富裕層の腐敗が顕在化しつつある。

■つまり、モンゴルは歴史的な節目に当たっている事が分かります。地下資源の開発利権の争奪戦で日本企業は若干出遅れているようですが、それは中東石油利権と同じで政府の外交力がお粗末だからです。もしも、日本企業が遅れを取り戻そうと強引な事を仕掛ければ、国会議員がしゃしゃり出て来て怪しげな取引が始まるでしょうなあ。一部の富裕層と不自然に親密度を上げると、多くの国民から憎まれる事になりますから、ご用心、ご用心。

■小泉プレスリー首相は8月9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で献花してとんぼ返り、その翌日に1泊2日のモンゴル訪問に出掛けました。


91年に海部首相が、99年に小渕首相が、……小泉首相は97年の厚相当時もモンゴルを訪れていて、政府関係者は「小泉さんにとって思い入れがある国」と語る。モンゴルは第2次世界大戦後に中国から独立し、冷戦終結を受け、92年に社会主義を放棄した。日本政府は90年の民主化以降、第1の援助国として支援。政府の途上国援助(ODA)の05年度までの累計は1884億円にのぼる。……2006年8月10日朝日新聞

■「第2次世界大戦後に中国から独立…」とは、天下の朝日新聞がこんな乱暴な記事を書いても良いのでしょうか?また朝日嫌いの人々から突っ込まれますぞ!

サミットも国連も無力 其の弐

2006-07-15 16:39:07 | 歴史


インドのマンモハン・シン首相は14日、事件後初めて現地を訪問、負傷者を見舞った。その後、ムンバイ市内で記者会見し「越境した者たちが支援した。そうでなければこのような効果的な攻撃はできない」と述べ、パキスタンを拠点とするイスラム過激派が関与したとの認識を示した。共同通信 - 7月15日

特定の宗教やイデオロギーとは無関係にテロを請け負う物騒な人物も居るが、武装集団を構成して維持訓練するには一定の組織が必要となり、その支援組織が国家と明確な関係を結んでいない場合に現在の国際ルールでは対応不可能なのである。日本の周辺で起こっている稚拙な恫喝は、その点、非常に扱い易いのだけれど、それさえも日本には打つ手が無い。


米国務省は14日、ライス国務長官が24日から29日まで、日本や中国、韓国、マレーシア、ベトナムを歴訪すると発表した。各国との2国間関係のほか、北朝鮮の弾道ミサイル発射問題などを協議する。中国を中心とする対北朝鮮説得工作は難航しており、一連の協議では対応を改めて検討するとみられる。 
時事通信 - 7月15日

■ライスさんが歴訪する国の名前が列挙されると、日本だけは一方的な通達作業で済む事が分かる。相当に問題を多く含んだイラク戦争に率先して参加した以上、日本は米国の世界戦略に完全に組み込まれている。ここから抜け出すのはほぼ不可能である。たとえ政権が変わろうとも、掌(てのひら)を返して見せるだけの「言葉」も「策」も無いのだから……。


陸上自衛隊の撤収が大詰めを迎えるイラク南部サマワで14日、イスラム教シーア派の反米指導者サドル師派の支持者約700人が、イスラエルのレバノン攻撃拡大に抗議するデモを行った。一部の支持者は武装しており、警察が警戒に当たった。デモはモスク(礼拝所)での金曜礼拝の後に行われ、市中心部でサドル派支持者が「米国とイスラエルに死を」などと叫び行進した。また、一部の参加者は「占領軍の多国籍軍はイラクから出て行け」とサマワの英・豪軍の駐留を非難した。サマワでは13日に、多国籍軍からイラク治安部隊への治安権限移譲が行われたばかり。デモによる大きな混乱はなかった。時事通信 - 7月15日

■こうした騒ぎの中で、日本が名指しされないのを外交の手柄と考えるのは聊(いささ)か素朴に過ぎる。一切の治安活動を他国に任せて武装復興団という世にも奇妙な組織として送り込まれた日本の自衛隊は、なおざりの「感謝」の挨拶を受けて帰国する。しかし、その感謝には誰も保証していない莫大な「経済援助」や資本投下を本気で期待する下心が有る。それが裏切られた時、何が起こるかは誰にも分からない。はっきりしているのは、中東と言う場所でもっとも嫌われるのが優柔不断の「八方美人」の態度だという事だけである。


イランのアフマディネジャド大統領は13日、イスラエルのレバノン攻撃に関し「イスラエルが次にシリアを攻撃すれば、イスラム世界全体への攻撃とみなす。イスラエルは激しい反撃に直面するだろう」と警告した。アフマディネジャド大統領はシリアとの結束を確認した上でイスラム諸国に共同戦線の構築を呼び掛けたという。
毎日新聞 - 7月15日

■威勢の良い反米演説と貧困層への無茶なばらまき政策だけで延命している今のイラン政権が、イスラエルの攻勢に黙っているはずはない。ただ、イランが掲げるシーア派の旗の下に全イスラム諸国が結集する事だけは起こり得ない。イランが叫ぶシリアとの連携も、その間にイラクという巨大な楔(くさび)が打ち込まれているから身動きが取れまい。そうなれば北朝鮮から買った長距離弾道ミサイルの出番となる。こうした演説の後であれば、発射準備の情報を得たイスラエルは先制攻撃を躊躇しない。中東は何度も「口は禍(わざわい)の元」だと痛い目を見ているが、何も学習しない。「言うのはタダだ」と暢気に思い込んでいる。街角での盛大な口喧嘩と国際関係との区別が付かない。

第4次世界大戦? 其の参

2006-07-13 23:32:35 | 歴史
■レバノンに侵攻したという事は、その裏側にいるシリアも射程に入れたという事でしょう。ガザでの小競り合いと兵士の拉致事件が問題だった頃はエジプトが仲介する動きを見せましたが、事が北に移ったらエジプトの出る幕は無くなります。ちょっと構図はズレますが、新たな「イラン・コントラ」事件を米国は画策しなければならなくなるのではないでしょうか?サミット開催期間にそんな危なっかしい事はしたくないでしょうから、しばらくは傍観……。ニューヨークを攻撃したアルカーイダは捕捉できない無様な後追い作戦を続けるばかりのブッシュ政権は、イラクでも大恥を掻き、どんどん依怙地になっていますから、もう世界の平和も民主化も、どうでも良くなっているのでしょうなあ。

イスラエル軍は13日、レバノンの首都ベイルートなど各地で空爆作戦を拡大し、地元住民ら少なくとも36人が死亡、数十人が負傷した。ベイルートにある国際空港の滑走路3本に空爆を加え、同空港は航空機の離着陸ができない状態に陥った。また、海上封鎖を行うためイスラエルの艦艇がレバノン領海に侵入した。 
時事通信 - 7月13日

■世界最強の軍隊に命令を下すし最高司令官、それが米国大統領だという理屈は誰もが知っている事ですが、それがあのブッシュ一家の長男坊で本当に良かったのか?その問題の多い大統領を補佐するスタッフにも、能力に疑問が多い変な人物がうようよしています。


中国訪問中のヒル米国務次官補は12日、北朝鮮のミサイル発射問題をめぐって武大偉中国外務次官と北朝鮮側が続ける平壌での協議について、「北朝鮮は同盟国・中国の外交努力に対しても積極的な反応を示していない」と述べ、北朝鮮が中国の説得に応じず、協議に進展がないことを明らかにした。ヒル次官補は12日午前、北京で中国の李肇星外相と会談し、中朝間の協議の進ちょく状況について説明を受けた後、宿泊先のホテルで記者団の質問に答えた。北朝鮮の姿勢に対してヒル次官補は「中国は努力している。誰もが努力している。努力していないのは北朝鮮だけだ。北朝鮮から6カ国協議のプロセスを重視しようという意思表示はない」と強い口調で非難したうえで「率直に言って、北朝鮮が積極姿勢を見せていないことに少し失望した」と語った。

■これが世界最強の軍事力を持つ国の国務次官補の言う事でしょうか?北京の高級ホテルに居座って、暢気に買い物をしている間抜けな姿が世界に配信されてしまいましたぞ!中国が何を頑張っているのか?その内容は語らないヒルさんですが、中国が頑張っている方向は日本政府が(珍しく)頑張っている方向とはまったく違っている事は素人にも分かる事です。ホテルで中国からの連絡を待つだけの米国代表、その連絡を待っている日本代表……。嗚呼


また、ヒル氏は中国の外交努力に対して「期限を設定するつもりはない」と述べ、国連安保理で日本などが提案した制裁決議案の審議に時間的拘束を加える考えのないことを明らかにした。ヒル氏が安保理決議の採決を急がない姿勢を示唆したことで、採決がずれ込む可能性が出てきた。ヒル氏は同日午後、北京で、日本の宮本雄二中国大使や韓国の金夏中(キムハジュン)中国大使と非公式に会談した。ヒル氏が李外相との協議の結果について両大使に説明した後、ミサイル発射問題について3者間で意見を交換した。ヒル氏は13日、北京を離れる予定。

■始めから誰も期待していなかったヒルさんの派遣でしたが、これほど見事に中国便りの無策を世界に示すのは、これからのサミットでも米国の立場を弱くしてしまうでしょうなあ。


ミサイル発射問題をめぐっては、武次官は11日に北朝鮮の金桂冠(キムゲグァン)外務次官と会談し、ミサイル発射凍結の再確認や核問題をめぐる6カ国協議への復帰を促している。15日まで予定されている滞在期間中、北朝鮮側と協議を継続する。北朝鮮側は中国に対し、金融制裁解除を米国に働きかけるよう要請しているものとみられる。毎日新聞 - 7月12日

全ては「時間切れ」の言い訳を使える状況を作るためだけに動いているようです。外交がこれをやり始めると、次の幕が上がると舞台にはフル装備の軍隊が勢ぞろいしているものです。北朝鮮のめちゃくちゃな言い分が通れば、米国の面子は丸潰れで、その権威の失墜はイラクに飛び火し、それがイランとレバノン、シリアに飛び、パキスタンも米国を愚弄してインドに核戦争を仕掛ける覚悟を固めさせるかも知れません。第三次世界大戦の敗者だったロシアと、バブル時代を経験するほどの勝者になった日本が、その立場を入れ替えようとしています。

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第4次世界大戦? 其の弐

2006-07-13 23:32:05 | 歴史
■タイマー付きの時限爆弾となれば、不審物に対する疑心暗鬼が広がって、日本ではオウム真理教のサリン・テロ直後の緊迫した空気を思い出しますが、爆弾が使えなくなれば毒ガスを利用するテロの可能性も高まりそうですなあ。

ムンバイの鉄道施設連続爆破テロで、地元マハラシュトラ州の幹部は12日、死者が200人、負傷者は714人になったことを明らかにした。また、列車が大破したことから、内務省当局者は破壊力の強い「高性能爆発物を使った計画的犯行」と指摘。地元警察は同日、パキスタン側カシミールを拠点とするイスラム過激組織「ラシュカレトイバ」や地元ムンバイの「インド学生イスラム運動」(SIMI)などによる組織的テロとの見方を強め、本格的な捜査を始めた。
毎日新聞 - 7月13日

■イスラエルで起こっている事態と似た構図になり始めているようです。インド政府はテロ組織の裏側に居るパキスタン政府の存在を意識しなければならなくなりますから、国家間の戦争を構え始めるでしょう。パキスタンが何処まで知らぬ存ぜぬを通せるか、米国が双方を納得させて事態の沈静化を計れるか?しかし、米国にはそんな余力は無いでしょう。ブッシュ政権の単細胞戦略では細やかな交渉事をまとめるのは無理なのです。


インド西部ムンバイの列車同時爆弾テロで米CNNテレビは12日、約20分間で相次いで爆弾が爆発したと伝えた。地元メディアによると、それぞれの爆弾はバッグなどに入れて客車に置かれていたとみられ、捜査当局は過去に同様の手口を使っているラシュカレトイバなどイスラム過激派組織の計画的な犯行とみている。CNNと提携する地元テレビによると、最初の爆発は7カ所の爆発現場の中間に位置するジョゲシワリ駅付近を低速で走行していた列車内で11日午後6時20分(日本時間同9時50分)ごろに発生。5回の爆発はその後約10分間であり、最後の爆発は同40分ごろ、最北部のミラロード駅付近で起きた。共同通信 - 7月12日

■だんだんと明らかになる事件の真相は、これがそこら辺から引っ張って来たニイちゃんに爆弾を巻き付けて仕掛けたような粗雑な攻撃ではない事を示しています。これは立派な軍隊、特殊工作部隊の仕事です。爆弾を仕掛ける部隊と誤作動の無い高性能の時限爆弾を作る支援部隊が居て、それらを統括する司令部が必ず存在します。


インド最大の経済都市ムンバイを襲った列車同時爆弾テロで、捜査当局は12日、パキスタンに拠点を置くイスラム過激派による犯行との見方を強めた。インド側で相次ぐテロに、信頼醸成を進めてきた両国政府の対話が失速、政府間だけでなく、ヒンズー教徒とイスラム教徒の住民同士の対立が高まる懸念も広がっている。インド有力紙タイムズ・オブ・インディア(電子版)によると、インド情報当局は、テロはカシミール地方の分離独立を目指すイスラム過激派組織、ラシュカレトイバの犯行との見方をほぼ固めている。
共同通信 - 7月12日

■ユーゴスラビアはソ連の崩壊からイデオロギーによる「束ね」を失って民族浄化戦争を始めました。インドがヒンズー純血主義を掲げれば、反イスラムの内戦が始まります。かつてはイスラム帝国だったムガール帝国の時代に、美しいタージ・マハルを残した歴史も有りながら、イスラムを排除しようとする気分が高まれば、人も物もイスラムを思い出すものは全て抹殺しようとする過激な動きが出るでしょうなあ。

■インドではパキスタンに対する憤怒がまだ形になって出て来ていませんが、イスラエルでは何年も続いた平和外交の中で溜まりに溜まったフラストレーションが一気に解放されています。


イスラエル軍は12日、レバノン南部への侵攻を開始した。レバノン領内への地上部隊投入は、2000年に同軍が撤退してから初めて。レバノンのイスラム教シーア派武装組織ヒズボラが同日拉致したイスラエル兵2人の救出が目的。ヒズボラはイスラエル北部の対レバノン国境地帯に展開していた軍部隊などをロケット弾や迫撃弾で攻撃し、兵士2人を拉致した。この攻撃により、兵士3人が死亡、兵士と住民十数人が負傷した。侵攻後もイスラエル軍戦車が攻撃され、兵士4人が死亡した。これを受け、イスラエル軍は兵士の救出作戦を開始した。地上部隊を投入したほか、拉致された兵士の身柄移送を防ぐために発電所や道路、橋などに空爆を加え、住民少なくとも2人が死亡した。時事通信 - 7月13日

第4次世界大戦? 其の壱

2006-07-13 23:31:35 | 歴史
■欧州列強による世界分割競争が行き着いた先が第一次欧州大戦でした。主戦場は欧州地域でしたが、取り合ったのは世界中の植民地でしたから、弾が飛んで来ない地球の裏側に居た日本も、日英同盟の関係で参戦し、地中海での海上作戦を支援に出向きました。その御褒美でドイツ帝国が持っていた南太平洋の島々や中華民国の都市を日本は受け継ぎました。最初の世界大戦だったので、その後始末は稚拙を極めてドイツには深い復讐心が芽生えてしまいます。第一次欧州大戦のやり直しを始めたドイツの真意に気付かなかった戦勝国側だった欧州諸国は一方的に攻め込まれ、苦し紛れに米国を欧州に引っ張り込みます。

■日独伊の三国同盟が日本もこの第一次欧州大戦のやり直しに参加させる流れになってしまいますが、争いの核心を見誤った大日本帝国はずるずると米国と真正面から対決する立場に自らを追い込んで、準備不足のままに大東亜戦争が太平洋戦争に変質して行く流れに乗ってほぼ無傷の陸軍を残したまま、艦船と飛行機のほとんどを失って敗北しました。欧州側のドイツは第一大戦後よりも更に領土を切り分けられ、日本は太平洋からも大陸からも切り離されて戦後復興の時代に入りますが、それは「東西冷戦」とも呼ばれる実質的には第三次世界大戦の時代です。第二次大戦の戦勝国側、つまり連合国は国際連合を結成して恒久平和を夢見ますが、始めから米国に敵対心を持っていたソ連を抱きこめるはずもなく、人類を何度も破滅させられるほどの熱核兵器が出現してしまったので、あちこちで代理戦争が勃発、米軍が敗退したヴェトナムの取り合いがそのクライマックスで、フィナーレを飾ったのはアフガニスタンでのソ連の敗退です。

■ソ連がぼろぼろになって終わった第三次世界大戦は、西側諸国内に限って言えば、熾烈な「経済戦争」でした。冷戦時代を勝ち抜いた米国は、国家財政が破綻寸前になるほどの大赤字を抱えている一方で、日本には巨大な黒字が計上されていたのでした。1980年代末にソ連が崩壊すると、第三次世界大戦(冷戦)の本当の勝者は日本だ!という苛立ちの声が米国から上がります。日本は米国の軍事費をどんどん肩代わりし、恒常的に米国の財政赤字の穴埋めをする仕組みも作りました。米国が注文していた「構造改革」の総仕上げとなる行政改革を劇的に進め、米軍との一体化を後戻り出来ないところまで推し進めた小泉政権の出現は、第三次大戦の総決算みたいなものです。

■こうして見ると、各世界大戦は前回の戦争に参加出来なかったり、参加しても不本意な結果に終わった国で火種が生まれて、次の大戦が始まる仕組みになっているのが分かります。二つの大戦を通して、埋蔵されている石油資源の故に勝手に国境線を引かれてずたずたにされた中東や、不完全燃焼のままに冷戦構造の力学によって独立した国々には、次の大戦を起こすエネルギーが溜まっていたようです。冷戦が終わった!と喜んだ国々の中に日本は含まれているので、次の大戦を見通せる世界観は共有できないのは当然の事でしょうが、皮肉なことに、第二次大戦後、つまり第三次大戦の真っ最中に多くの日本人がぼんやりと憧れた社会主義体制を採った国々や、60年代に独立した第三世界の国々が、次の戦争の主要メンバーになりつつあるように見えます。もしかすると、これから始まるロシアでのサミットは第四次世界大戦の始まりを確認する儀式になるかも知れませんぞ!


インドの商業都市ムンバイで11日起きた鉄道同時爆弾テロで、インド捜査当局は12日、本格的な捜査を始めた。当局は、パキスタンを拠点とするイスラム過激組織と、インド国内の非合法イスラム組織の連携によってテロが行われた可能性が高いとみて調べている。
 ムンバイを抱えるマハラシュトラ州のパティル州副首相は12日の州議会で、死者が200人、負傷者は714人に達したことを明らかにした。爆破されたのはいずれも、走行中か停車していた一等客車の車両で、高性能爆薬が使われたもよう。被害車両は路線から撤去され、鉄道網は12日、満員の通勤客を乗せて運行が再開された。 
(時事通信) - 7月13日

■ガンジーは今のインド・パキスタン・バングラデシュを包摂した大インドを構想して熱狂的なヒンズー教徒に暗殺されましたが、巨大なインドには多くのイスラム教徒が残っていますし、カシミールという鬼っ子が住む場所も残りました。ムンバイが標的になったというのは、ニューヨークが狙われた理屈と同じ、経済活動を邪魔する意味が有るでしょう。単なる反抗の意志を示し、自らの組織の存在を誇示する目的のテロではなく、経済破壊を目的とする戦争です。


インド西部ムンバイの列車同時爆弾テロで、PTI通信は12日、テロに使われた7つの爆弾は、市南部のターミナル駅、チャーチゲート駅発の各列車に同駅で積み込まれ、タイマーでほぼ同時に爆発するよう仕掛けられていたとみられることが、当局の調べで分かったと伝えた。複数の容疑者は直後の停車駅で降車したとみている。地元メディアによると、それぞれの爆弾はバッグなどに入れて客車に置かれていたとみられ、捜査当局は過去に同様の手口を使っているラシュカレトイバなどイスラム過激派組織の計画的な犯行とみている。
(共同通信) - 7月12日

歴史的遺産の利用法 其の四

2006-06-20 22:17:37 | 歴史
韓国に残る2セットは国宝で世界記録遺産にも登録。一方、東大の47冊は研究者には知られていたが、大学トップが存在を知ったのは今年3月だった。五台山の僧らが組織した市民団体・実録還収委員会から返還の要求が届いたからだ。……文化財の不法な輸出入を禁止するユネスコの条約。適用は1970年以前にさかのぼらない仕組みだが、小宮山宏・学長が「ソウル大のものと一体とすることが学術の発展と交流の推進に望ましい」と決断したという。

■五台山のお坊さん達が動いているというのは怪しいものを感じる話ですなあ。この点だけは注意しておかねばなりません。この種の運動が市民レベルから盛り上がるようなことは絶対に無い体制ですからなあ。先の渤海の石碑も、大連市の政治協商会議が口火を切っているので、裏には北京政府の意向が動いているのは明らかでしょう。ですから、本当は相手がやいのやいのと言って来る前に先手を取って善い事をしてしまった方が良いのです。相手から言われたら後手に回って悪者にされてしまいますからなあ。


……東大が5月31日に行なった記者会見でも、韓国の報道陣から、東大は「寄贈」と言うが「返還」ではないのか、東大が財産として台帳に載せた根拠は何か、といった質問が浴びせられた。

これは韓国側の方に部が有る話ですから、東大側は相手を論破するのは困難だったでしょうなあ。


東大には、中国や朝鮮で戦前に集めた文化財がほかにも多数眠っているといわれる。昨秋、ソウルにオープンした国立中央博物館にも貸し出し多数展示されているが、東大は「今回の実録のケースを一般化はできない」(佐藤・副学長)という姿勢を見せる。だが、隣国の国宝が書庫に眠っているというような状態は健全とはいえないだろう。過去を清算するために東大は率先してさらに知恵を絞るべきではないか。

■以上が朝日新聞の記事です。最後は「過去を清算」「知恵を絞る」という決まり文句のつるべ打ちなのはご愛嬌です。「隣国の国宝が書庫に眠っている」という状態は決して不健全ではありません。こんな理屈が通るのなら、他国の博物館や資料館の目録を漁って、目ぼしい物をどんどん国宝に指定して返還を要求する大混乱が起こりますぞ。各地の博物館や美術館に収蔵されている品物には、それぞれの入手した経緯と事情が有るのですから、それを十把一絡げに扱うのは乱暴です。まして、過去の文化財に対して所有権を主張する現在の国が本当に後継国としてふさわしいのかどうかも判断できない場合が多いのですからなあ。

■現地ではゴミ同然に放置されていた文化財を他国の探検隊や調査隊が発見して持ち帰り、慎重に調査研究しながら丁重に保管しているような場合は、うっかり返還したら「高松塚古墳の壁画」みたいにぼろぼろになってしまう事も有り得るのですから、何でも返せば良いというわけには行きません。文化的交流の基盤は飽くまでも外交関係ですから、国益に適う「寄贈」や「返還」を行なうべきでしょうなあ。それとは別に、東大に限らず自分の所に収蔵保管している資料の詳細を知らないというのは職務怠慢ですぞ!相手から返還を要求されて調べて見たら有りました、というのでは、間抜けな泥棒みたいではないですか?!収蔵品を知らないという事は、その文化財を入手した経緯も知らないという事ですから、相手に格好の攻撃材料を与えてしまう危険性が高いと言えますなあ。

■日本には「正倉院」という世界最古の博物館と呼べるような施設と伝統が有るのですから、大学や博物館にはしっかりと仕事をして欲しいものであります。

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