■カセム准将は政権に就いていた期間が短かったためか、イラクの貧困層には大変に人気が有ったそうで、ソ連の後ろ盾を得て大きな顔をしていたようですが、クーデターの1年後に、車で移動中に急進的なナショナリスト集団によって白昼、機関銃を乱射されて急死に一生を得る始末でした。まるでアフガニスタンのカルザイ大統領のように……。この過激派の名前を「バース党」と呼びまして、このカセム暗殺チームに22歳の男が参加していました。彼は暗殺に失敗した後盗んだ驢馬でシリアに逃れ、そのままエジプトに亡命して政府の奨学金を貰って「高校生」になります。その後カイロ大学の法学部に入学し従姉妹のサジダと結婚、1963年にイラクから毎晩放送されるカセム将軍の死体の映像を見て祖国に帰ります。法学部の勉強を中断して彼が就いた仕事はバース党の秘密警察直属の「尋問兼拷問官」でした。その男は親族のコネと秘密警察を利用してイラクの最高権力者になるのです。言わずと知れたサダム・フセインの話です。
■親米派と見なされていたイラク王室が転覆されたのですから、イラクがソ連陣営に寝返るのは時間の問題です。そうなればエジプト、シリア、イラクが一丸となってレバノンとヨルダンを標的にするに決っていますから、再び国王打倒の陰謀が心配されたヨルダンのフセイン国王とレバノンのシャムーン大統領はそれぞれ英米に救援の保証を求めます。米国議会では、イラク戦争直前に「大量破壊兵器」と「アルカーイダとの関係」が疑問視されたように、レバノンに対するシリアやエジプトの介入の有無が検証されていました。米国の良心として有名なフルブライト上院議員が健在でしたから、アイゼンハワー大統領は議会の説得に苦労しました。ブッシュ時代とは随分と事情が違っていたのですなあ。
1958年7月15日、米国はヨルダン派兵と同時に作戦を行なって欲しいという英国の意向を無視して海兵隊1個大隊をベイルートに上陸させる。多くの観光客やベイルート市民が見物している中での作戦。
7月16日夜、ヨルダン派兵を討議していた英国内閣はダレス国務長官から「道徳的かつ補給上の支援」の約束を取り付ける。
7月17日、英軍はキプロスに駐留していた空挺部隊2200人をアンマンに空輸開始。イスラエル領空を侵犯して追い返され到着は半日遅れる。イスラエルはヨルダン崩壊を期待していた。
ヨルダンはレバノンに続いて国連安保理でアラブ連合共和国による内政干渉に関して提訴。
7月18日、国連安保理はソ連提案の「アラブ国家の武力内政干渉の停止」「米軍のレバノンとヨルダンからの即時撤退」を否決。スウェーデン提案の「国連監視団の活動停止要請」も否決。米国提案の「事務総長が交渉に乗り出してレバノンの独立と領土保全を確立する」案は全理事国の賛成にもかかわらずソ連の拒否権で否決。日本政府の「国連軍を編成して米英軍の肩代わりをする」提案も同じくソ連の拒否権で否決される。
■この頃の日本政府は、ちゃんと国連安保理に真っ当な提案をする能力を持っていたのですぞ!でも自分が提案している「国連軍」に自衛隊を参加させるつもりだったのでしょうか?もしかしたら、朝鮮戦争で後方支援や秘密作戦参加の実績が有ったのですから、レバノン危機を利用して、国連軍の一員として海外派兵に踏み切るつもりだったのかも知れませんなあ。それはともかく、8月8日の段階で、増強され続けた在レバノン米軍は1万4357人(陸軍8515人、海兵隊5842人)に膨れ上がります。
■本格的な米軍の介入を受けて、当時者達は目まぐるしく動き回ります。1人だけ、レバノンのシャムーン大統領だけは69日間も暗殺に怯えて某所に潜んでやつれていたそうですが……。ナセルはモスクワにすっ飛んで行ってフルシチョフに助っ人を頼みます。しかし、本気で第3次世界大戦が始まりはせぬかと気が気ではなかったフルシチョフは、米国との軍事衝突に直結する介入は断ります。ナセルを追い返したフルシチョフは、ジュネーブで米英仏ソにインドを加えた首脳会談を開催してハマーショルド国連事務総長に仕切って貰う計画を立てます。8月3日に北京に飛んで毛沢東に説明をするのですが、既にスターリン批判をした後ですから毛沢東はフルシチョフが大嫌いになっていて、ぜんぜん相手になってくれません。
1958年8月7日、フルシチョフの提案で国連緊急特別総会の開催が全会一致で決る。
8月21日、アラブ10箇国が統一決議案(内政不干渉・外国軍隊の早期撤収)が特別総会に提案され満場一致で採択される。
9月23日、シェハブ将軍が合法的にレバノン大統領に就任し、翌日には前首相で反乱軍の指導者だったラシド・カラミを首相に任命。
10月25日、ベイルートから米軍海兵隊の撤収完了。
11月2日、ヨルダンから英軍撤退。
■今も昔も石油利権をイデオロギーで包み隠した悪い奴らが、中東特有のアラブ商人のハッタリと値切り、そして恥も外聞も無い裏切りと変心に翻弄されているという事なのでしょうなあ。時は流れて、ソ連をアフガニスタンから追い出す為に、世界最高のスパイ技術とテロ技術をムジャヒディーン達に教え込んだ米国は、彼らに大艦隊も大戦車軍団も不用の極めて安上がりのテロ戦争が可能だという事を知らせてしまったのです。国連に議席も持たず、領土も国境さえ持たないテロリストを相手に、ブッシュ政権は終りなき戦争を仕掛けています。今度は国家内国家というややこしい姿のヒズボラを相手に、僅かな兵員さえも送れない米国の姿を晒してしまいました。
■ヒズボラが戦った場所で、シリアや海から入り込むテロリストが勝手に戦争を始めたら、イスラエルは攻撃すべき標的さえ見つけられなくなります。ヒズボラ戦争の停戦が決るのを見越したかのように、それは単なる偶然ではありますが、大掛かりな対米テロの計画が露見しましたなあ。アラブとイランから石油が無くなるか、文明が一滴の石油も必要としなくなるまで、中東紛争は手を変え品を変えて世界の人々を驚かせ心配させ続けるのでしょう。困ったことです。
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雲来末・風来末(うんらいまつふうらいまつ) テツガク的旅行記
五劫の切れ端(ごこうのきれはし)仏教の支流と源流のつまみ食い
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■親米派と見なされていたイラク王室が転覆されたのですから、イラクがソ連陣営に寝返るのは時間の問題です。そうなればエジプト、シリア、イラクが一丸となってレバノンとヨルダンを標的にするに決っていますから、再び国王打倒の陰謀が心配されたヨルダンのフセイン国王とレバノンのシャムーン大統領はそれぞれ英米に救援の保証を求めます。米国議会では、イラク戦争直前に「大量破壊兵器」と「アルカーイダとの関係」が疑問視されたように、レバノンに対するシリアやエジプトの介入の有無が検証されていました。米国の良心として有名なフルブライト上院議員が健在でしたから、アイゼンハワー大統領は議会の説得に苦労しました。ブッシュ時代とは随分と事情が違っていたのですなあ。
1958年7月15日、米国はヨルダン派兵と同時に作戦を行なって欲しいという英国の意向を無視して海兵隊1個大隊をベイルートに上陸させる。多くの観光客やベイルート市民が見物している中での作戦。
7月16日夜、ヨルダン派兵を討議していた英国内閣はダレス国務長官から「道徳的かつ補給上の支援」の約束を取り付ける。
7月17日、英軍はキプロスに駐留していた空挺部隊2200人をアンマンに空輸開始。イスラエル領空を侵犯して追い返され到着は半日遅れる。イスラエルはヨルダン崩壊を期待していた。
ヨルダンはレバノンに続いて国連安保理でアラブ連合共和国による内政干渉に関して提訴。
7月18日、国連安保理はソ連提案の「アラブ国家の武力内政干渉の停止」「米軍のレバノンとヨルダンからの即時撤退」を否決。スウェーデン提案の「国連監視団の活動停止要請」も否決。米国提案の「事務総長が交渉に乗り出してレバノンの独立と領土保全を確立する」案は全理事国の賛成にもかかわらずソ連の拒否権で否決。日本政府の「国連軍を編成して米英軍の肩代わりをする」提案も同じくソ連の拒否権で否決される。
■この頃の日本政府は、ちゃんと国連安保理に真っ当な提案をする能力を持っていたのですぞ!でも自分が提案している「国連軍」に自衛隊を参加させるつもりだったのでしょうか?もしかしたら、朝鮮戦争で後方支援や秘密作戦参加の実績が有ったのですから、レバノン危機を利用して、国連軍の一員として海外派兵に踏み切るつもりだったのかも知れませんなあ。それはともかく、8月8日の段階で、増強され続けた在レバノン米軍は1万4357人(陸軍8515人、海兵隊5842人)に膨れ上がります。
■本格的な米軍の介入を受けて、当時者達は目まぐるしく動き回ります。1人だけ、レバノンのシャムーン大統領だけは69日間も暗殺に怯えて某所に潜んでやつれていたそうですが……。ナセルはモスクワにすっ飛んで行ってフルシチョフに助っ人を頼みます。しかし、本気で第3次世界大戦が始まりはせぬかと気が気ではなかったフルシチョフは、米国との軍事衝突に直結する介入は断ります。ナセルを追い返したフルシチョフは、ジュネーブで米英仏ソにインドを加えた首脳会談を開催してハマーショルド国連事務総長に仕切って貰う計画を立てます。8月3日に北京に飛んで毛沢東に説明をするのですが、既にスターリン批判をした後ですから毛沢東はフルシチョフが大嫌いになっていて、ぜんぜん相手になってくれません。
1958年8月7日、フルシチョフの提案で国連緊急特別総会の開催が全会一致で決る。
8月21日、アラブ10箇国が統一決議案(内政不干渉・外国軍隊の早期撤収)が特別総会に提案され満場一致で採択される。
9月23日、シェハブ将軍が合法的にレバノン大統領に就任し、翌日には前首相で反乱軍の指導者だったラシド・カラミを首相に任命。
10月25日、ベイルートから米軍海兵隊の撤収完了。
11月2日、ヨルダンから英軍撤退。
■今も昔も石油利権をイデオロギーで包み隠した悪い奴らが、中東特有のアラブ商人のハッタリと値切り、そして恥も外聞も無い裏切りと変心に翻弄されているという事なのでしょうなあ。時は流れて、ソ連をアフガニスタンから追い出す為に、世界最高のスパイ技術とテロ技術をムジャヒディーン達に教え込んだ米国は、彼らに大艦隊も大戦車軍団も不用の極めて安上がりのテロ戦争が可能だという事を知らせてしまったのです。国連に議席も持たず、領土も国境さえ持たないテロリストを相手に、ブッシュ政権は終りなき戦争を仕掛けています。今度は国家内国家というややこしい姿のヒズボラを相手に、僅かな兵員さえも送れない米国の姿を晒してしまいました。
■ヒズボラが戦った場所で、シリアや海から入り込むテロリストが勝手に戦争を始めたら、イスラエルは攻撃すべき標的さえ見つけられなくなります。ヒズボラ戦争の停戦が決るのを見越したかのように、それは単なる偶然ではありますが、大掛かりな対米テロの計画が露見しましたなあ。アラブとイランから石油が無くなるか、文明が一滴の石油も必要としなくなるまで、中東紛争は手を変え品を変えて世界の人々を驚かせ心配させ続けるのでしょう。困ったことです。
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