米軍の仁川上陸作戦に応じて北朝鮮国境に15個師団を密かに集結させながら、北朝鮮軍が総崩れで敗走する戦況を見ていた中国共産党は、9月23日に「中国人民は常に朝鮮民族の側に立って戦う」との宣言を出し、ソウル奪回直前の25日には人民軍総参謀長代理の聶栄臻(じょうえいしん)大将はインド大使のパニッカーに「米軍の38度線越境を黙過せず」と警告を発する。しかし、如何なる外交上の深謀遠慮なのかは不明だが、インド大使はこの第三次世界大戦に直結する危機的メッセージを米国に伝えなかった。
■米国とのパイプを持っていなかった北京政府がインドを通じて重大なメッセージを発したのでしたが、これをパニッカー大使が握り潰したのは、既に始まっていた「チベット解放戦争」によって自国の北側に急速に増大した中国軍の圧力に対して、米軍を本気で怒らせて中国軍をコテンパンに打ち負かして欲しいというどす黒い欲望が隠されていたのかも知れません。チベットを見捨てたばかりか、北朝鮮も韓国も、否、下手をすると世界を見捨てることになり兼ねない危険な思いつきだったかも知れません。この時のインドの仕打ちを深く怨んで北朝鮮が、インドの宿敵であるパキスタンと手に手を取って核弾頭ミサイルの開発をしていたとしたら、何とも恐ろしい因果を感じてしまいます。
9月末日、マッカーサーはワシントンに「朝鮮全域での作戦許可」を求める電報を送るが、ワシントンは38度線を越える事を躊躇(ちゅうちょ)する。マッカーサーは北進停止を承知するが、李承晩大統領は断固越境北進!半島武力統一!を主張。総兵力44万を率い、戦死者5千500人、戦傷者1万6000人に抑えられたマッカーサーは勝利を確信して、10月1日、北朝鮮軍総司令部に向けて降伏勧告を放送。同時に韓国語のビラ250万枚を、命からがら逃げ帰った2万5000人の敗残兵が呻いていた北朝鮮の空に散布。この日は、中華人民共和国の国慶節に当たり、建国一周年記念祝賀会の席で周恩来首相は「北朝鮮軍の最後の勝利を確信する」「帝国主義者が隣人の領土に侵入するのを傍観しない」との反米演説。その記念式典の会場となった天安門広場で、米陸軍のバレット大佐と日本の謀略機関の一つ日高機関が、105ミリ迫撃砲で中国共産党要人達の列を狙った暗殺未遂事件が発生。北朝鮮からの2度目の参戦要請に応じて、毛沢東は翌2日の政治局会議で参戦を内定し、即日スターリンに打電。
■米国としては北朝鮮の後ろに控える中国が邪魔で、北朝鮮としては韓国を保護している米軍が何としても邪魔。この構図の半分は、1972年2月21日のニクソン訪中から消え始めて、同年9月29日の日中国交正常化、1992年8月24日の中韓国交正常化によって完全に消滅してしています。しかし、朝鮮戦争の休戦状態が続く限り、北朝鮮にとって「米国が邪魔」の状態がずっと続いているというわけです。
10月3日に周恩来から「国連軍が38度線を越える場合は介入する」との警告を聞いたインド大使のパニッカーは、今回は本国に伝えて職責を果たす。この重大な警告は英国経由でワシントンに達した。朝鮮戦争に国連軍として参加していた英国も、医療隊を派遣しながら分離独立したばかりのパキスタンとのカシュミール紛争に神経を尖らせていたインドも、朝鮮半島での米ソ直接衝突の危機を注視していた。
■インドとパキスタンの両国は、後に核保有国となって核軍縮が夢でしかない現実を世界に示すことになります。住民の圧倒多数がイスラム教徒で支配層がヒンズー教徒という大英帝国が遺した歪(いびつ)な人口構成が、分離独立後の両国にとっては絶対に譲れない問題となって紛争が繰り返されています。何時の間にやら、カシュミールの北東部には「中国領」が出来てしまい、三つ巴の領土争いになっていますが、関係3国全部が核保有国と言う珍しくも危険な場所になっています。第三の核兵器はカシュミールで使用されるという噂が絶えません。
其の六に続く
■米国とのパイプを持っていなかった北京政府がインドを通じて重大なメッセージを発したのでしたが、これをパニッカー大使が握り潰したのは、既に始まっていた「チベット解放戦争」によって自国の北側に急速に増大した中国軍の圧力に対して、米軍を本気で怒らせて中国軍をコテンパンに打ち負かして欲しいというどす黒い欲望が隠されていたのかも知れません。チベットを見捨てたばかりか、北朝鮮も韓国も、否、下手をすると世界を見捨てることになり兼ねない危険な思いつきだったかも知れません。この時のインドの仕打ちを深く怨んで北朝鮮が、インドの宿敵であるパキスタンと手に手を取って核弾頭ミサイルの開発をしていたとしたら、何とも恐ろしい因果を感じてしまいます。
9月末日、マッカーサーはワシントンに「朝鮮全域での作戦許可」を求める電報を送るが、ワシントンは38度線を越える事を躊躇(ちゅうちょ)する。マッカーサーは北進停止を承知するが、李承晩大統領は断固越境北進!半島武力統一!を主張。総兵力44万を率い、戦死者5千500人、戦傷者1万6000人に抑えられたマッカーサーは勝利を確信して、10月1日、北朝鮮軍総司令部に向けて降伏勧告を放送。同時に韓国語のビラ250万枚を、命からがら逃げ帰った2万5000人の敗残兵が呻いていた北朝鮮の空に散布。この日は、中華人民共和国の国慶節に当たり、建国一周年記念祝賀会の席で周恩来首相は「北朝鮮軍の最後の勝利を確信する」「帝国主義者が隣人の領土に侵入するのを傍観しない」との反米演説。その記念式典の会場となった天安門広場で、米陸軍のバレット大佐と日本の謀略機関の一つ日高機関が、105ミリ迫撃砲で中国共産党要人達の列を狙った暗殺未遂事件が発生。北朝鮮からの2度目の参戦要請に応じて、毛沢東は翌2日の政治局会議で参戦を内定し、即日スターリンに打電。
■米国としては北朝鮮の後ろに控える中国が邪魔で、北朝鮮としては韓国を保護している米軍が何としても邪魔。この構図の半分は、1972年2月21日のニクソン訪中から消え始めて、同年9月29日の日中国交正常化、1992年8月24日の中韓国交正常化によって完全に消滅してしています。しかし、朝鮮戦争の休戦状態が続く限り、北朝鮮にとって「米国が邪魔」の状態がずっと続いているというわけです。
10月3日に周恩来から「国連軍が38度線を越える場合は介入する」との警告を聞いたインド大使のパニッカーは、今回は本国に伝えて職責を果たす。この重大な警告は英国経由でワシントンに達した。朝鮮戦争に国連軍として参加していた英国も、医療隊を派遣しながら分離独立したばかりのパキスタンとのカシュミール紛争に神経を尖らせていたインドも、朝鮮半島での米ソ直接衝突の危機を注視していた。
■インドとパキスタンの両国は、後に核保有国となって核軍縮が夢でしかない現実を世界に示すことになります。住民の圧倒多数がイスラム教徒で支配層がヒンズー教徒という大英帝国が遺した歪(いびつ)な人口構成が、分離独立後の両国にとっては絶対に譲れない問題となって紛争が繰り返されています。何時の間にやら、カシュミールの北東部には「中国領」が出来てしまい、三つ巴の領土争いになっていますが、関係3国全部が核保有国と言う珍しくも危険な場所になっています。第三の核兵器はカシュミールで使用されるという噂が絶えません。
其の六に続く