■異常な親日国だった渤海が存在していなければ、多くの遣唐使が命を落としたり貴重な文物を持ち帰れなかったのです。アジア重視というのなら、日本とアジアとの交流史をしっかりと後世に伝えておかねばなりません。「遣唐使」という名前を辛うじて覚えている程度の教養しか学生に授けられない歴史教育では困りますなあ。北はアムール河流域にまで達していた渤海国が存在しなければ、破れたとは言え、満州国の五族共栄の夢は生まれなかった可能性もあります。契丹に亡ぼされたことになっていますが、白頭山の大噴火による大災害が滅亡の原因ではないか?とも言われる謎の多い渤海国は、東アジアのポンペイだったのかも知れませんぞ。そんな面白い歴史を埋もれさせては勿体無いですなあ。
■朝鮮半島では南北統一の浮かれ話が流行しているそうですが、現代の60年は古代の1000年分くらいの大変化をもたらす世界の現状を考えねばなりません。ベルリンという切り込みを入れておいた東ドイツでさえ、統一までの45年の大穴を埋めるのにまだまだ長い時間が必要なのですからなあ。高句麗の歴史問題が中韓でしか議論にならないというのは今の力関係を如実に表わしていると思われます。高句麗も渤海も北朝鮮のルーツだ!と言いそうなものですが、将軍様もおっかなくてそんな不遜な事は言えないのでしょうなあ。もう少し日韓関係が良好ならば、渤海の石碑を韓国に「一時返還」するのも面白い一手かも知れません。チャイナが南の海で好き放題の線引きをしているのは困りものですが、東に押し出して来ては駄目だぞ!というつっかえ棒の代りに石碑を使えれば、日韓共同で「チャイナ外し」の歴史研究が進められるのですが……。
■2006年6月7日の朝日新聞には、別の歴史遺産の記事が掲載されました。『朝鮮王朝実録』という書物です。今度は宮内庁ではなくて、東京大学が舞台です。
東京大の図書館に収蔵されてきた「朝鮮王朝実録」47冊が、ソウル大へと寄贈されることが決った。「存在そのものがドラマ」(佐藤慎一・副学長)と調査に当たった東大関係者も驚くこの歴史書は、日本と朝鮮との間の長く厳しい歴史の生き証人とでもいうべき存在だ。7月中にも、90年ぶりに祖国へと帰る。
うっかり「祖国へと帰る」などと書いてしまっても良いのでしょうか?北朝鮮から文句が出たら、きちんと反論する準備をしておくべきでしょうなあ。
朝鮮王朝の正史である「実録」は、韓国に鼎足山本(848冊)と太白山本(1181冊)の2セットが残る。東大に保管されていたのは五台山本と呼ばれるセットの一部47冊。日本が植民地にして間もない1910年に、東洋史の大家、白鳥庫吉・東京帝大教授がもたらしたらしい。当初は太白山本と同じ冊数だったと考えられるが、東大図書館は関東大震災で全焼。研究者が借り出していた74冊が焼け残り、そのうち27冊が1932年に当時の京城帝大に移され、ソウル大へと引き継がれている。
■大変な史料が眠っていたものです。しかし、天下の東大でも貴重な史料が集められている図書館に地震対策が施されていなかったのは驚きです。これも大切な歴史の教訓でしょうなあ。今の東大図書館はあちこちに分室を造って史料を分散保存したり、消火設備や耐震構造も採用しているようですから、資料保存に関しては長足の進歩を遂げたと言って良いのでしょうなあ。先日の松山訪問で、正岡子規記念博物館のW学芸員から、現代の複製技術について詳しい説明をして頂きましたが、研究者にとっても不自由の無い現物とまったく同じ物を作れるのに驚嘆したのでした。こういう他国の書物は、どんどん精巧な複製品を作って現物はどしどし返却したら良いでしょう。
朝鮮王朝は1445年、実録を保管するための史庫を国内4箇所に設けた。ところが16世紀末に、豊臣秀吉の侵略によって三つの史庫が消失。残った1セットをもとに1606年に復元し、史庫を5箇所に増やし保管していた。
豊臣秀吉まで引っ張り出されると日本の立場は弱くなります。チャイナ側からの度重なる侵略行為を引き合いに出して、「たった1回の侵略をいつまでも問題にするな」という開き直りも出来ますが、ここは素直に反省しておくべきでしょう。
■文禄の役=壬辰の倭乱(1592~96)と慶長の役=丁酉の倭乱(1597~98)は、巨大な歴史ドラマでした。「北虜南倭」に苦しむ明王朝と日本との関係を中心に据えると、東アジアの再編成という大掛かりな企てたが見えて来るのですが、それは織田信長から豊臣秀吉に引き継がれ、徳川家康が清算して鎖国政策へと向います。その大きな分岐点に位置する重要な侵略戦争なのに、何故か日本では大河ドラマでも扱いは粗略に過ぎるような気がします。韓国では大作のテレビ・ドラマや映画も作られているそうですが、「韓流ブーム」の波には乗らないようですなあ。日本の視聴者にとっては不愉快で視聴率が期待できないからかも知れませんが、韓国併合よりは冷静な議論が可能な歴史的事件ですから、もっと興味を持っても良いのではないでしょうか?
■朝鮮半島では南北統一の浮かれ話が流行しているそうですが、現代の60年は古代の1000年分くらいの大変化をもたらす世界の現状を考えねばなりません。ベルリンという切り込みを入れておいた東ドイツでさえ、統一までの45年の大穴を埋めるのにまだまだ長い時間が必要なのですからなあ。高句麗の歴史問題が中韓でしか議論にならないというのは今の力関係を如実に表わしていると思われます。高句麗も渤海も北朝鮮のルーツだ!と言いそうなものですが、将軍様もおっかなくてそんな不遜な事は言えないのでしょうなあ。もう少し日韓関係が良好ならば、渤海の石碑を韓国に「一時返還」するのも面白い一手かも知れません。チャイナが南の海で好き放題の線引きをしているのは困りものですが、東に押し出して来ては駄目だぞ!というつっかえ棒の代りに石碑を使えれば、日韓共同で「チャイナ外し」の歴史研究が進められるのですが……。
■2006年6月7日の朝日新聞には、別の歴史遺産の記事が掲載されました。『朝鮮王朝実録』という書物です。今度は宮内庁ではなくて、東京大学が舞台です。
東京大の図書館に収蔵されてきた「朝鮮王朝実録」47冊が、ソウル大へと寄贈されることが決った。「存在そのものがドラマ」(佐藤慎一・副学長)と調査に当たった東大関係者も驚くこの歴史書は、日本と朝鮮との間の長く厳しい歴史の生き証人とでもいうべき存在だ。7月中にも、90年ぶりに祖国へと帰る。
うっかり「祖国へと帰る」などと書いてしまっても良いのでしょうか?北朝鮮から文句が出たら、きちんと反論する準備をしておくべきでしょうなあ。
朝鮮王朝の正史である「実録」は、韓国に鼎足山本(848冊)と太白山本(1181冊)の2セットが残る。東大に保管されていたのは五台山本と呼ばれるセットの一部47冊。日本が植民地にして間もない1910年に、東洋史の大家、白鳥庫吉・東京帝大教授がもたらしたらしい。当初は太白山本と同じ冊数だったと考えられるが、東大図書館は関東大震災で全焼。研究者が借り出していた74冊が焼け残り、そのうち27冊が1932年に当時の京城帝大に移され、ソウル大へと引き継がれている。
■大変な史料が眠っていたものです。しかし、天下の東大でも貴重な史料が集められている図書館に地震対策が施されていなかったのは驚きです。これも大切な歴史の教訓でしょうなあ。今の東大図書館はあちこちに分室を造って史料を分散保存したり、消火設備や耐震構造も採用しているようですから、資料保存に関しては長足の進歩を遂げたと言って良いのでしょうなあ。先日の松山訪問で、正岡子規記念博物館のW学芸員から、現代の複製技術について詳しい説明をして頂きましたが、研究者にとっても不自由の無い現物とまったく同じ物を作れるのに驚嘆したのでした。こういう他国の書物は、どんどん精巧な複製品を作って現物はどしどし返却したら良いでしょう。
朝鮮王朝は1445年、実録を保管するための史庫を国内4箇所に設けた。ところが16世紀末に、豊臣秀吉の侵略によって三つの史庫が消失。残った1セットをもとに1606年に復元し、史庫を5箇所に増やし保管していた。
豊臣秀吉まで引っ張り出されると日本の立場は弱くなります。チャイナ側からの度重なる侵略行為を引き合いに出して、「たった1回の侵略をいつまでも問題にするな」という開き直りも出来ますが、ここは素直に反省しておくべきでしょう。
■文禄の役=壬辰の倭乱(1592~96)と慶長の役=丁酉の倭乱(1597~98)は、巨大な歴史ドラマでした。「北虜南倭」に苦しむ明王朝と日本との関係を中心に据えると、東アジアの再編成という大掛かりな企てたが見えて来るのですが、それは織田信長から豊臣秀吉に引き継がれ、徳川家康が清算して鎖国政策へと向います。その大きな分岐点に位置する重要な侵略戦争なのに、何故か日本では大河ドラマでも扱いは粗略に過ぎるような気がします。韓国では大作のテレビ・ドラマや映画も作られているそうですが、「韓流ブーム」の波には乗らないようですなあ。日本の視聴者にとっては不愉快で視聴率が期待できないからかも知れませんが、韓国併合よりは冷静な議論が可能な歴史的事件ですから、もっと興味を持っても良いのではないでしょうか?