いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
「スピリチュアル」とは何か?
たくさんのコメントありがとうございました!
なかには、「あの…、僕の話、聞いてくれてます?」というものもちらほら見受けられましたが、いただいた書き込みのひとつひとつに感謝いたします。
で、ですね。
やっぱりこうしていただいたコメントを拝見する限り、やっぱりまだまだ大きな誤解や勘違いがあるのだな、と思いました。
そしてまた同時に、その誤解や勘違いがある背景に、僕もその原因の一端を担ってしまっているのかな、と、反省したりもしました。
こういった思いも踏まえて、再度お話してみたいと思います。
前回のコメント欄を見てもおわかり頂けるとおり、疑問や質問、違和感等のディテール以前に、その背景にある「スピリチュアル」という言葉の意味が、人それぞれ違っているんですよね。
きっと、長らく精神世界を学んできた人であっても、改めて「スピリチュアルって何?」と尋ねられたら、ちょっと戸惑うと思うんです。
「スピリチュアルとは、こういうものだよ」と、明確に答えるのは難しいですよね。
で、答えられたとしても、それもやっぱり人それぞれの解釈の違いが見えると思います。
「好き」と言う人がいれば、「嫌い」と言う人がいる。
「神聖なイメージ」ととる人がいれば、「いかがわしいイメージ」ととる人がいる。
そこにあるメッセージどころか、主題自体が混沌としてるよね。
翻訳家の山川ご夫妻が初めて「スピリチュアル」という単語に出会った時、英語が堪能なお二人でも、やはりその意味がわからず、知り合いの外人さんに尋ねたそうです。
「スピリチュアルって何?」って。
そうしたらね、とても的確な答えだったそうですよ。
「スピリチュアルは……、スピリチュアルよ」って(笑)
ウィキペディアで「スピリチュアル」を調べると、まず先にこう書かれていました。
「スピリチュアリティ」あるいは「スピリチュアリズム」とは異なります。
あ、違うんだ(笑)
そして、「スピリチュアル(英: spiritual)は、宗教的・精神的な物事、教会に関する事柄、または、神の、聖霊の、霊の、魂の、精神の、超自然的な、神聖な、教会の、などを意味し、元々はキリスト教に関する言葉である。『新約聖書』における「霊の歌」(スピリチュアル・ソング)という言葉から、アメリカ民衆の中から生まれた宗教的な歌を指すようになった。音楽のスピリチュアルは、日本語では霊歌と呼ばれる。スピリチュアルには複数の意味があるが、本記事では音楽ジャンルとしてのスピリチュアル(霊歌)についてのみ説明する」と続きます。
やはり、いま僕たちが話題にとりあげようとしている「スピリチュアル」とは違うようです。
なので、次に「スピリチュアリティ」を見てみました。
「スピリチュアリティ、スピリチャリティ(英: spirituality)とは、人間に特有な心理的あるいは精神的活動の総体または任意の部分を指す用語であり、多様な意味を持つ。個人の内面における奥深く、しばしば宗教的な感情および信念と関連があるという認識が広く持たれている」
どうやら、僕たちが普段「スピリチュアル」と言っているものは、こちらのニュアンスに近そうです。
でも、この項でも、やはりその定義は明確にされていません。
上記の説明に続いて、こういう言葉が書かれています。
「スピリチュアリティの意味や、用語として使用する際の理論的および実践的文脈は、分野やテーマによっても相当に異なる。英語のspiritualityに当てはまる日本語はないため、文脈によって霊性、霊的、精神世界、精神性、精神主義、宗教的など様々に訳されるが、意味の限定や誤解を避けるために、カタカナ書きまたは英語で表記されることも多い。
宗教学、社会学、文化人類学、心理学、人の幸せや生活の質(QQL)、医療、ターミナルケア(終末医療)などにおける重要な概念として研究されているが、日本人にはなじみのない概念であり、日本語で明確に説明できないこともあり、日本では一般における認知度はあまり高くない」
「スピリチュアリティという言葉には、共通に認められる定義や意味はない。それぞれが関心に従って機能的な定義を与え、あいまいな部分を切り落とそうと試みるが、各分野における用法は独立したものではなく、相互に影響を与え合っており、それ故に曖昧さが残り続ける」
・意味や用語として使用する際の理論的および実践的文脈は、分野やテーマによっても相当に異なる
・英語のspiritualityに当てはまる日本語はない
・意味の限定や誤解を避けるために、カタカナ書きまたは英語で表記されることも多い
・一般における認知度はあまり高くない
・共通に認められる定義や意味はない
・各分野における用法は独立したものではなく、相互に影響を与え合っており、それ故に曖昧さが残り続ける
w( ̄▽ ̄;)w なんて解釈難易度の高い事柄なんだ(笑)
意味や定義が定まっていないものを、互いの勝手な解釈を握り締めたまま語り合い、わかり合おうとしたところで、何がわかり合えるってんでしょう。
自分の中での「スピリチュアル」と、相手の中での「スピリチュアル」が違うものを指しているのだったら、話はすれ違っていくばかりです。
違うものを同じ土俵に乗せて話してしまうと、「カレーとラーメンはどちらが旨いのか」みたいになっちゃいますからね。
とりあえずは、この場でのローカルルール的な定義ぐらいは、明確にしておいた方がいいかな、と思いまして、一応の定義を設けてみました。
先日お話させていただいた、山川ご夫妻との対談の中で出てきたものなのですが、それをここでも流用していきたいと思います。
それが、
スピリチュアルとは、<わたし>とは何か?という根源的な気づき。および、その過程における経験。
というものです。
で、この気づきが「本当に必要なのか? 気づきがなくても幸せに生きることはできるのでは?」的なご意見もありましたが、僕的には、そういったニュアンスでは捉えていません。
これは、「必要・不必要」というレベルで語られるものではないと思っています。
今後も詳しくお話していきますが、「気づき」というのは一種のハプニングで、残念ながら、僕たちにはコントロールできません。
「これをしたから」「あれをしなかったから」といったことが一切通用しません。
なので、それを「必要・不必要」という軸で捉えても、どうしようもないと思っています。
どうしようもないと言いつつ話を続けているこの状況にも、矛盾を感じられている方もいらっしゃると思いますが、それについても徐々にお話していこうと思っています。
まずはこの先、「<わたし>とは何か?という根源的な問いに対する気づき」を軸にお話を進めて参ります。
残念なことに、どれほど強く求められても、僕があなたに直接この気づきをもたらすことはできません。そしてまた、あなた自身にもできません。他の誰かにもできません。
でも、この気づきが起きる「きっかけの一つ」として、僕にもお話することができるということがわかりました。
とはいえやはり、そのお話すらも言ってみれば「寝言」です。
僕もあなたも、現象界という夢の中にある存在です。
そして夢が見られている「眠り」という前提において、眠っているのは、僕でもあなたでもありません。
だからこそ、夢から覚めるのは、僕でもあなたでもないのです。
とりあえずは、僕の大好きな池田晶子さんの『残酷人生論』から言葉を借りて、今日のエントリを閉じることにします。
そうだ、寝言だ。なぜなら、我々のこの人生そのものが、宇宙によって見られている夢にほかならないからだ。
宇宙の夢を見ている「自分」とは、宇宙によって夢見られている「自分」にほかならないからだ。
夢を夢と知りつつ吐かれる寝言と、夢を現実と思い込んだままの寝言と、その寝言性においてどちらが正気とあなたは思うか。
まぁ、寝言ですから。
眉間に皺を寄せず、肩の力を抜いてお付き合いください。
【トークライブ・インフォメーション】
ソロトークライブ in 広島
いつぶりでしょう?
本当に久しぶりに広島にお伺いします。
「お久しぶりです!」のあなたも、「はじめまして!」あなたも、ぜひお気軽にご参加ください。
主催は以前同様つばさ整骨院の福田さん。詳細は下記のリンク先をご覧ください。
◎4月18日(土)14:00~ 広島
*****
ブログタイトルは変えてみましたが、これまで通り、平日のお話会「月イチ☆」は継続してまいります。
4月は、24日(金)東京・27日(月)大阪・28日(火)名古屋で開催予定。
お近くのファミリーマートさん、または、下記リンクの「イープラス」よりお申し込みください。
平日のお話会「月イチ☆」(東京三鷹会場)
◎4月24日(金) 19:30スタート [詳細・お申し込み]
平日のお話会「月イチ☆WEST」(大阪本町会場)
◎4月27日(月) 19:30スタート [詳細・お申し込み]
平日のお話会「でら☆月イチ」(名古屋駅前会場)
◎4月28日(火) 19:30スタート [詳細・お申し込み]
*****
先日『宇宙シナリオからのメッセージ』を上梓された賢者テラさん。
売れ行きも絶好調なようで、発売からひと月も経たずに、すでに3刷が決定したそうです。
本当に素敵なメッセージが詰まった一冊なので、ぜひご一読ください!
さて、そんなテラさんの出版記念イベントに、僕もゲストとしてお招きいただきました。
今回は出版記念と言うこともあり、なんと、当日会場に『宇宙シナリオからのメッセージ』をお持ちいただき受付でご提示いただくと、その場で500円キャッシュバックとなります。
ぜひ、書籍ご購入のうえお越しください。
両会場ともに、参加費は3,500円です。
賢者テラ 『宇宙シナリオからのメッセージ』
発売記念トークライブ
【東京会場】5月30日(土)13:30〜 YMCAアジア青少年センター スペースYホール [詳細・お申し込み]
【大阪会場】5月31日(日)13:30〜 新大阪丸ビル別館 4階 4-1号室 [詳細・お申し込み]
*****
4月25日(土)の木内鶴彦さんとのコラボイベント および 4月19日(日)の「阿雲の呼吸」は、満席のため受付を終了させていただきました。
沢山のお申し込み、ありがとうございました!
←夢を夢と知りつつ押されるボタンと、夢を現実と思い込んだままのクリックと、その参加性においてどちらが正気とあなたは思うか。(どっちでもいいから押してください)
なかには、「あの…、僕の話、聞いてくれてます?」というものもちらほら見受けられましたが、いただいた書き込みのひとつひとつに感謝いたします。
で、ですね。
やっぱりこうしていただいたコメントを拝見する限り、やっぱりまだまだ大きな誤解や勘違いがあるのだな、と思いました。
そしてまた同時に、その誤解や勘違いがある背景に、僕もその原因の一端を担ってしまっているのかな、と、反省したりもしました。
こういった思いも踏まえて、再度お話してみたいと思います。
前回のコメント欄を見てもおわかり頂けるとおり、疑問や質問、違和感等のディテール以前に、その背景にある「スピリチュアル」という言葉の意味が、人それぞれ違っているんですよね。
きっと、長らく精神世界を学んできた人であっても、改めて「スピリチュアルって何?」と尋ねられたら、ちょっと戸惑うと思うんです。
「スピリチュアルとは、こういうものだよ」と、明確に答えるのは難しいですよね。
で、答えられたとしても、それもやっぱり人それぞれの解釈の違いが見えると思います。
「好き」と言う人がいれば、「嫌い」と言う人がいる。
「神聖なイメージ」ととる人がいれば、「いかがわしいイメージ」ととる人がいる。
そこにあるメッセージどころか、主題自体が混沌としてるよね。
翻訳家の山川ご夫妻が初めて「スピリチュアル」という単語に出会った時、英語が堪能なお二人でも、やはりその意味がわからず、知り合いの外人さんに尋ねたそうです。
「スピリチュアルって何?」って。
そうしたらね、とても的確な答えだったそうですよ。
「スピリチュアルは……、スピリチュアルよ」って(笑)
ウィキペディアで「スピリチュアル」を調べると、まず先にこう書かれていました。
「スピリチュアリティ」あるいは「スピリチュアリズム」とは異なります。
あ、違うんだ(笑)
そして、「スピリチュアル(英: spiritual)は、宗教的・精神的な物事、教会に関する事柄、または、神の、聖霊の、霊の、魂の、精神の、超自然的な、神聖な、教会の、などを意味し、元々はキリスト教に関する言葉である。『新約聖書』における「霊の歌」(スピリチュアル・ソング)という言葉から、アメリカ民衆の中から生まれた宗教的な歌を指すようになった。音楽のスピリチュアルは、日本語では霊歌と呼ばれる。スピリチュアルには複数の意味があるが、本記事では音楽ジャンルとしてのスピリチュアル(霊歌)についてのみ説明する」と続きます。
やはり、いま僕たちが話題にとりあげようとしている「スピリチュアル」とは違うようです。
なので、次に「スピリチュアリティ」を見てみました。
「スピリチュアリティ、スピリチャリティ(英: spirituality)とは、人間に特有な心理的あるいは精神的活動の総体または任意の部分を指す用語であり、多様な意味を持つ。個人の内面における奥深く、しばしば宗教的な感情および信念と関連があるという認識が広く持たれている」
どうやら、僕たちが普段「スピリチュアル」と言っているものは、こちらのニュアンスに近そうです。
でも、この項でも、やはりその定義は明確にされていません。
上記の説明に続いて、こういう言葉が書かれています。
「スピリチュアリティの意味や、用語として使用する際の理論的および実践的文脈は、分野やテーマによっても相当に異なる。英語のspiritualityに当てはまる日本語はないため、文脈によって霊性、霊的、精神世界、精神性、精神主義、宗教的など様々に訳されるが、意味の限定や誤解を避けるために、カタカナ書きまたは英語で表記されることも多い。
宗教学、社会学、文化人類学、心理学、人の幸せや生活の質(QQL)、医療、ターミナルケア(終末医療)などにおける重要な概念として研究されているが、日本人にはなじみのない概念であり、日本語で明確に説明できないこともあり、日本では一般における認知度はあまり高くない」
「スピリチュアリティという言葉には、共通に認められる定義や意味はない。それぞれが関心に従って機能的な定義を与え、あいまいな部分を切り落とそうと試みるが、各分野における用法は独立したものではなく、相互に影響を与え合っており、それ故に曖昧さが残り続ける」
・意味や用語として使用する際の理論的および実践的文脈は、分野やテーマによっても相当に異なる
・英語のspiritualityに当てはまる日本語はない
・意味の限定や誤解を避けるために、カタカナ書きまたは英語で表記されることも多い
・一般における認知度はあまり高くない
・共通に認められる定義や意味はない
・各分野における用法は独立したものではなく、相互に影響を与え合っており、それ故に曖昧さが残り続ける
w( ̄▽ ̄;)w なんて解釈難易度の高い事柄なんだ(笑)
意味や定義が定まっていないものを、互いの勝手な解釈を握り締めたまま語り合い、わかり合おうとしたところで、何がわかり合えるってんでしょう。
自分の中での「スピリチュアル」と、相手の中での「スピリチュアル」が違うものを指しているのだったら、話はすれ違っていくばかりです。
違うものを同じ土俵に乗せて話してしまうと、「カレーとラーメンはどちらが旨いのか」みたいになっちゃいますからね。
とりあえずは、この場でのローカルルール的な定義ぐらいは、明確にしておいた方がいいかな、と思いまして、一応の定義を設けてみました。
先日お話させていただいた、山川ご夫妻との対談の中で出てきたものなのですが、それをここでも流用していきたいと思います。
それが、
スピリチュアルとは、<わたし>とは何か?という根源的な気づき。および、その過程における経験。
というものです。
で、この気づきが「本当に必要なのか? 気づきがなくても幸せに生きることはできるのでは?」的なご意見もありましたが、僕的には、そういったニュアンスでは捉えていません。
これは、「必要・不必要」というレベルで語られるものではないと思っています。
今後も詳しくお話していきますが、「気づき」というのは一種のハプニングで、残念ながら、僕たちにはコントロールできません。
「これをしたから」「あれをしなかったから」といったことが一切通用しません。
なので、それを「必要・不必要」という軸で捉えても、どうしようもないと思っています。
どうしようもないと言いつつ話を続けているこの状況にも、矛盾を感じられている方もいらっしゃると思いますが、それについても徐々にお話していこうと思っています。
まずはこの先、「<わたし>とは何か?という根源的な問いに対する気づき」を軸にお話を進めて参ります。
残念なことに、どれほど強く求められても、僕があなたに直接この気づきをもたらすことはできません。そしてまた、あなた自身にもできません。他の誰かにもできません。
でも、この気づきが起きる「きっかけの一つ」として、僕にもお話することができるということがわかりました。
とはいえやはり、そのお話すらも言ってみれば「寝言」です。
僕もあなたも、現象界という夢の中にある存在です。
そして夢が見られている「眠り」という前提において、眠っているのは、僕でもあなたでもありません。
だからこそ、夢から覚めるのは、僕でもあなたでもないのです。
とりあえずは、僕の大好きな池田晶子さんの『残酷人生論』から言葉を借りて、今日のエントリを閉じることにします。
そうだ、寝言だ。なぜなら、我々のこの人生そのものが、宇宙によって見られている夢にほかならないからだ。
宇宙の夢を見ている「自分」とは、宇宙によって夢見られている「自分」にほかならないからだ。
夢を夢と知りつつ吐かれる寝言と、夢を現実と思い込んだままの寝言と、その寝言性においてどちらが正気とあなたは思うか。
まぁ、寝言ですから。
眉間に皺を寄せず、肩の力を抜いてお付き合いください。
【トークライブ・インフォメーション】
ソロトークライブ in 広島
いつぶりでしょう?
本当に久しぶりに広島にお伺いします。
「お久しぶりです!」のあなたも、「はじめまして!」あなたも、ぜひお気軽にご参加ください。
主催は以前同様つばさ整骨院の福田さん。詳細は下記のリンク先をご覧ください。
◎4月18日(土)14:00~ 広島
*****
ブログタイトルは変えてみましたが、これまで通り、平日のお話会「月イチ☆」は継続してまいります。
4月は、24日(金)東京・27日(月)大阪・28日(火)名古屋で開催予定。
お近くのファミリーマートさん、または、下記リンクの「イープラス」よりお申し込みください。
平日のお話会「月イチ☆」(東京三鷹会場)
◎4月24日(金) 19:30スタート [詳細・お申し込み]
平日のお話会「月イチ☆WEST」(大阪本町会場)
◎4月27日(月) 19:30スタート [詳細・お申し込み]
平日のお話会「でら☆月イチ」(名古屋駅前会場)
◎4月28日(火) 19:30スタート [詳細・お申し込み]
*****
先日『宇宙シナリオからのメッセージ』を上梓された賢者テラさん。
売れ行きも絶好調なようで、発売からひと月も経たずに、すでに3刷が決定したそうです。
本当に素敵なメッセージが詰まった一冊なので、ぜひご一読ください!
さて、そんなテラさんの出版記念イベントに、僕もゲストとしてお招きいただきました。
今回は出版記念と言うこともあり、なんと、当日会場に『宇宙シナリオからのメッセージ』をお持ちいただき受付でご提示いただくと、その場で500円キャッシュバックとなります。
ぜひ、書籍ご購入のうえお越しください。
両会場ともに、参加費は3,500円です。
賢者テラ 『宇宙シナリオからのメッセージ』
発売記念トークライブ
【東京会場】5月30日(土)13:30〜 YMCAアジア青少年センター スペースYホール [詳細・お申し込み]
【大阪会場】5月31日(日)13:30〜 新大阪丸ビル別館 4階 4-1号室 [詳細・お申し込み]
*****
4月25日(土)の木内鶴彦さんとのコラボイベント および 4月19日(日)の「阿雲の呼吸」は、満席のため受付を終了させていただきました。
沢山のお申し込み、ありがとうございました!
←夢を夢と知りつつ押されるボタンと、夢を現実と思い込んだままのクリックと、その参加性においてどちらが正気とあなたは思うか。(どっちでもいいから押してください)
コメント ( 34 ) | Trackback ( )
« 皆さんの声を... | 胡蝶の夢 » |
自分と呼んでいる場所
そこから思考はパターンを決める
思考パターン=人生とも言える
思考パターンは
わたしとは何か?か決めている
わたしは
ぐにゅんを解除する光
すー を呼び込む光
人という枠を持った光
寝言で思い出したのですが、昔子供たちが小さかった頃、娘が一人で延々と寝言を話してました。「起きてたの?」と思って翌朝聞いてみたら、全く起きなかったそうです。ずーっと喋ってましたよ、何十分も(笑)。
私達が日頃話していることも、自己完結してるんでしょうかねぇ・・・
人生が夢でも夢でなくとも、正直どうでもいいです。(笑)
自分(意識)が人生(夢)を楽しめればいいと思っています。思うようにいかないことも、ある時点で振り返って「あれが(も)あったから、今の自分があるのよね」と前向きに思えれば、それでいいです。つまりは、どんな経験も活かせることが前提になりますね。
へい、精進します。
更新、楽しみにしています。
色々読みましたが
この本は読んでいなかったので
早速注文しちゃいました。
普通の主婦の私が
いつから(わたしとは?)に
興味を持ち
引き寄せられてきたのかわかりませんが
体験できるならしてみたい!
これが本音です。
わたしはわたしである。
私もスピや悟りについて「こうである」とブログに書いていること自体が無意味なのではないかと思う時があります。
その人の内なる声が違うと感じれば違いますしね。
定義付けだけはしたくないと思っています。
自分にハッとします。
それでいいんです。
ありがとうございます。
色々な使い方があるものですね。
嬉しいです、私にも
この考えを軸にさせてください
小学生にも伝わりますよーに
改めてメモメモ…
↓
スピリチュアルとは、<わたし>とは何か?という根源的な気づき。および、その過程における経験。
楽しい…w
過程における経験さえもハブニングでコントロールできない?
根本的な気づき=悟ること?
んー!わかんない アホですんません
f^_^;
だって人生が夢なら人を殺しても自殺してもいいじゃないですか。実際、ぼくも夢の中で人を殺したことありますし。でも、夢の中だったから何の実害もありませんでしたよ。
でも、スピリチュアルの世界では、人を殺したり自殺したりしてはいけないということになってますよね?黒澤さんも殺人や自殺には絶対反対でしょ?
こういうところがスピリチュアルのもやもやしたところなんですよね。
( ̄▽ ̄)
ちょうど迷ってて何をどうやったらいいのかわからなくなっていたとこだったので、私的にはすごくいいタイミングです。
なんだかマトリックスを想像してしまいましたが・・・。
これからのこのブログがとても楽しみです。
よろしくお願いします。
FXでも難易度の高い国家試験でも、勝てる人間は、皆シンプルなことしかやっていません。
一方、負け続けている人間は、知識オタク。ノウハウコレクターです。
具体的には、
1、勝ち続けているトレーダーは難しいことをやっているのではないかという妄想。
そしてもう一つの理由として、
2、自分がFXをすごく勉強してるのではないかという錯覚がほしかったということです。
(道通さんもFXやってますね)
加えて、難易度の高い国家試験も同じことが言えます。
1、合格する人は、きっと難しいことを勉強しているのだろうという妄想。
2、自分は高度な勉強を人一倍勉強しているのだという錯覚が欲しいことです。
つまり、的外れな勉強ばかりしているから、いつまで経っても合格できないのです。
で、何が言いたいかと言うと。
スピを難しく複雑に考えすぎなんです。多くの人が。
これでは、黒斎さんも大変です。
スピは、極楽飯店と宇宙シナリオに集約されています。
本当に本当にシンプルなのです。
この世もあの世も。
覚醒体験は、したくてなれるものじゃありません。
人生に四苦八苦して、極限を味合わないと訪れませんよ。人並みの生活して、収入はあって、ただ覚醒したい、悟りたいじゃ覚醒は起こりません。もちろん、厳しい寺で修行してもです。覚醒すれば、悟れば人生が変わるなんて夢物語です。何も変わりません。少し、物の見方が変わるだけで、あとはこの世をゲームとして楽しむことぐらいです。源を絶対的に信じれば、思考・恐れは無にはなりませんが激減し、寛げます。運命の流れを信頼し、決まっている運命を楽しむ。これが幸せではないでしょうか。
心機一転、一樹さん、よろしくお願いします。
私自身、大変なことがあって、こちらのブログですごく励まされました。とても感謝しています。
ただ、こちらの内容を「スピリチュアル」としては見ていなかったので、新しいタイトルにまだ少し違和感です。
よく聞く「スピリチュアル」にはあまり興味がなく…なので、あ!ここってスピリチュアルだったの!?という印象です。
結局、悪いことも辛いことも、自分という自我の中でしか起こっていないのですよね。
ひとつ気付けた後も、日々の生活の中に呑まれてしまいそうになります。呑み込まれないように気を付けないと、と思います。
元々ノホホンと、人を嫌いと思ったことが無かった子供時代だったのに、いろんな周りの感情や言葉に傷付いて、同じようになるしか無かったことが、今思えば辛かったです。
たくさんあったコンプレックスも、受け入れられるようになりました。コンプレックスを感じる必要もなかったです。
まだ傷付いた心が元通り、とまではいきません。
でも子供の頃の心が、少しずつ戻ってきていて嬉しいです。だから大丈夫なのだと思います。
そして、こうやって気付いていくのも、きっかけは一樹さんですが、最終的に気付くのは自分で、なんですよね。
私事を長々とすみません。
これからも応援しています!
そのあたりなら、哲学の歴史上でいくらでも語られています。
ということは、過去の名だたる哲学者達は、発見や気づきにいたったとき、覚醒していた、ということになるのかな。
哲学とスピの違いが知りたかったなぁ。。
現象世界(物質世界)は分離しないと存在できない?
宇宙よ夢など一切見ずに眠れ!
夢を夢と分かって吐く寝言、夢を現実と思い込んでの寝言と、どちらが正気と思うのか…以前は私もそう思ってましたが、覚めてても覚めてなくても、自分に自分でかけた幻術でまだ生きてる限り、大儀的には一緒なのかもと思ってます。
私の場合は眠気眼でありながら、覚めてる分冷めちゃってて(苦笑)、夢を現実と思い込んでいる方が一生懸命生きている姿が生命として煌びやかにみえたりします。
コメントとして、ズレていたらスミマセン。
答は本当にシンプルですよね。
悟りたいって言ってる人は痩せたいって言ってる人と似ている気がします。
痩せたいって言ってるのにお菓子食べて運動もしないで、テレビに出てるモデル羨ましがってる。
着るだけで、飲むだけで、この運動器具で簡単に痩せるって言うのに飛び付いてTVショッピングで購入してる。
痩せてる人はシンプルにしかも地道に何かをやっているし痩せる事が自分の為だってわかっている
スピリチュアルも自分の為だって本当にわかったら少しずつだけど変わっていけるんじゃないかしら
10U+338F突然痩せた!なんて人いないですよ。
みんな1グラムずつ痩せてってるよ
たぶん黒さんも「ひゃっはーーーー!」って
突然悟れたように書いてあるけど、うつ病っていう長くて深い助走があったから気づけたんだと思います。
心と体の減量に自分の出来ることをコツコツと始めてみませんか?
「宇宙が誰かの脳だったらどうすんの?」と言うのを聞いて
言えて妙だなぁ・・・と思った事がありました、なんとなくですが。
>雲 黒斎 @un_kokusai · 12月20日
>神が、この現象界を創りだした理由の一つが見つかった様な気がする。
>神が出来ないことの一つ「完了」を経験したかったんだ。
これも、さすが、言い得て妙。
ただ、「完了」ではなく「終了」のような気がするんです。
「みんな救われている。皆がブッダだキリストだ。
神だ仏だワンネスだ
すべてが空、君たちこそがサムシンググレートだ。
だから!
後は君たちでよろしくね!
バッイッバァ~イ~!」
格差社会の(ピラミッドの)頂点を敢えて作り
その他大勢には苦労苦難を担当させスピを与え神もどきを量産。
本当に大切な事から心をそらさせるために。
そう考えてみると
スピの中に答えを探して深みにはまること、はないんじゃなかと思います。
黒斎さんのコメント欄だから、こんなこと書けるんですけどね。
初期からの読者の一人です。
なーんだ、そうなんですね。
コントロールできないなら、「悟りを促す瞑想」も「徳を積むこと」も、そこへ近付くための努力としては的外れなんですね。
でも、やっぱり早く体験したい思いは変わりませんが、気軽にその時を待てそうです。
苦しみ で 無くなる
悟りとはそれに気づくこと
『ソフィーの世界』みたい。
救われる云々はどうでもいい。
こういうアプローチに興味があったんです。ずっと。
楽しみ~♬
私とはという内容を拝見させていただき、日頃からわからないことがあります。私は仕事上いつも身体障害の方と接しています。自我があって生活せれている方がほとんどですが、中には自我がコントロールするものではない感情だけの方がいらっしゃいます。その方々は私とか他人などの壁はないように感じられます。先程から最低な言葉のように聞こえるかもしれませんが、私はその方々に真剣に接しています。
自我がなく魂と肉体だけの人間って悟っている状態なのでしょうか?違う次元で認識しているのでしょうか?
すみません、前回のように内容がよくわからなくなってしまいました。
魂は存在から生えている
魂はむしろ植物に似ている
消失するのではなく融解するのである
融解して混交して永遠に経巡るのである
《リマーク》から抜粋
我が我がの、なんとおかしきこと。
と、夢の中でコイツが笑う。
スピリチャル=儲かる
覚者=儲かる
だと昨年まで思っていましたが、最近はそうでもないらしいことが分かってまいりました(一部の人を除き)。
今後もどうぞ世のため人のために頑張って下さい。
応援しております。
黒澤さんは、スピリチュアルを抜いても、文章や内容がとても面白いので、今やスピリチュアル本を全く買わなくなった私でも、黒澤さんの本なら買います!
4年ほど前からブログを読ませていただいています。
私は、黒斎さんのおかげで池田晶子さんのことを知り、
池田さんの本を読んでホンモノの哲学を知り、
自分が哲学に向いていることに気づき、
楽しすぎて浮かれている間に、
「わたしとは何か」を知ってしまった者です(笑)
「わかっちゃった」と気づいたのも、数日経ってからのことでした。
どれだけ浮かれていたのでしょうか(笑)
黒斎さんや阿部さんのおっしゃっていることが急にわかるようになって、びっくりしたんです。
「あれ?どうしよう!わかる!なんでわかるの?え~?えええ~!?」という感じでした(笑)
ただ、「わかっちゃった」と言っても、
「何もかもわからない」ということが、わかっただけです。
それは、別にすごいことでも何でもなくて、
あまりにも当たり前なことですよね(笑)
これは「さとり」とは違うのかもしれませんが、
違っていてもかまいません。
「スピリチュアル」と言うと、
私はどうしてもモヤモヤしたイメージがありました。
それはなぜかと言うと、「体験ありき」だからでした。
「体験してみないと本当のところがわからない」というのが、何となくイヤだったのです。
だからずっと、「私も早く体験して、わかりたい!」と思っていました。
ものすごい勘違いだったようですが(笑)
ところで、黒澤さんが伝えようとされていることは、
ホンモノの哲学ではないのですか?
そう言ったら、嫌がられるかもしれませんが(笑)、私はとてもわくわくしています!
例えるなら
阿部さんのブログはいつも変わらない味の肉じゃがを出してくれてほつこり出来る実家みたいです。心が折れそうな時実家に帰って肉じゃがを食べてまた明日から仕事に頑張ろうって思えるんです
さとうみつろうさんのブログは気のおけない友達の家に行く感じです。だから友達の家に遊びに来てる人同士はみんな友達になれてばか言って大笑いして"すつきり" します。
黒さんのブログはちょっとインテリジェンスなお兄さんに数学を習いに行く塾と言った感じでしょうか。ある程度 脳内断捨離が出来てエゴを捨てて知的なお話を聞きたいと思って訪れる塾なのに、黒さんは同じ教室で算数も教えてるんです。
でもインテリジェンスな塾の先生だから
XとかYとか難しく説明しようとするんです
「XとかYとか言われてもわかんないよ!
ミカンとりんごで例えてよーー!」
そう言われると黒さんは
どうやったらXとYをミカンとりんごに代えられるか一生懸命考えるんです。数学を習いに来てる人はおいてけぼりです。
同じ教室で算数と数学を教えるのは無理ですって!どちらかを選ばないと!黒さんは数学の先生なのだから算数の生徒は切り離していかないと、数学の生徒はみんなやめていきますよ。優しすぎるから駆け込み寺か よろず相談所になってます
方針、信念のある毅然とした学校の先生には、モンスターペアレントは文句に行かないそうですよ。黒さん優しすぎ!
阿部さんはブログの中で
「わかる人だけついてきてください」って言ってます。
数々の失礼お許し下さい。でも数学習いたい人のことも考えてね。まだまだ黒さんから教わりたいことたくさんあるから、お願いします。
このコメントは公開しないでください。というお題でしたが、公開されてしまいましたね・・・^^
黒さん、公開してくれてありがとうございます。
友達もそうですが、自分の状況により周りの環境が変わってゆくことが良くあります。以前はこの人と良く遊びに行っていたのに、最近会わなくなったなぁ・・・とか
その時々で必要としているものが変わったり、考え方が変わったり、色々な要因があると思うのですが、私の場合、基本楽しければいいよね~という感じです。
黒さんに苦言さんがコメントしていた他の方のブログも楽しそうですね。見てみよっ!そして、はまるかもしれないし、全く受け付けないかもしれない。それは私の自由☆今の時代に存在している自分ってすごく恵まれているなぁ。でも考えようによっては沢山ありすぎて大変なのかもですね・・・
丁寧なご説明ありがとうございます。
寝言なんてことは忘れ、
つい眉間にシワが寄る私ですが(笑)
応援してま~す。
で思うのですが、仮に、全ての夢の中の人が、寝言で苦しんでいて、つまり夢を現実と思い込んでいて、思い余った挙句、自殺してしまいました・・・その夢の世界は滅びてしまいました・・・
・・・となっても、「その夢を見ている人」は何か困るんですかね?夢から覚めて「あぁ、怖かった・・・」とか思うくらいで、何も困らないと思ってますが。まさか、こんなエゴそのものな私みたいに、夢がトラウマになったりなんてしないでしょうし。
すみません、今そんな気分なので(笑)その気分のうちに、今までも何度も思っていた、率直な疑問を書かせて頂きました。
「現代版ご利益信仰」
あるいは
「現実逃避しながらの現世利益の追求」
という意味合いになってしまっていると思います。
残念ながら
「スピリチュアルとは、<わたし>とは何か?という根源的な気づき。および、その過程における経験。」
という意味合いは、日本の今の「スピリチュアル」には含まれていないように見受けられます。
その真理は「こんな言葉にムキになってどうすんの?」
それが解らない人間からはお金を取れるし、解った人間には「そうです。それが答えです(ニンマリ)」
馬鹿からは搾取が出来、詐欺がバレれば「貴方は悟ったんですよ。ほらね?」と逃げ切れる。
)
真似する部分、しちゃいけない部分を学ばせていただきました(笑)