私のなべ四器(規矩準縄)

今、自分の周りで起きていること。ご近所のトマソンもそんなに、気にしてない。深めにかぶった帽子で、年内不定休営業中。

清水快走

2011-11-06 06:16:04 | ぶらり仕事旅
清水の街を走る仕事も今日が最終日となり、残り半日程度で終わると思うと自転車のペダルも軽い。今日は押切から下野、高橋辺りを走る。清水に住んで居ながら縁遠い地区なのだ。

山原の中継所が大きく見え、此処らまで来ると意外と高い所に有るんだと思ったりもする。何故なら住んでいる辺りから見る中継所は山の中腹辺りに立っている様に見えるからなのだ。

清水にある中学は一から八までは番号が名付けられている。第一中学校、第二中学校、…。
家人と中学の場所の話に成り、(最近愚息のサッカー部の練習試合に他校へ遠征に行く)五中は三保だし、七中は南幹線をちょっと上がった所だし、八中は追分の大沢川を入ったとこだ。さて、六中が分からない。二人とも行った事が無かったのだ。



仕事の地図に六中と有り、ちょっと回り道をする事にしたのだが思った所に正門がない。脇道に正門を作ると車の交通量が少ないから先生の心配事が一つ少なくなるのだろうか。(三中の正門は正門前の道幅が広くなり先生の見回りが欠かせない。)

六中だからと勝手に六角形の校章を想像していたのだけど星の様な模様だった。四中は四だから四つのペン先だと思って居たのだが、どうやら数字と校章は関係が無いらしい。
調べてみると五中は三保中学からの改称なので校章は当時の三保から「ホ」が三つ中の周りにあり三角形なのだ。そうなると六中の校章の星が意味する物なんだろうか。(不詳)

一中から五中までは昭和22年4月に一斉に改称している。
そしてこの六中だけど、昭和33年に当時の飯田中学と高部中学を統合して六中にして居る。

七中は昭和30年に有度村が清水市と合併し一旦は清水市立有度中学に成るのだが、昭和35年に七中に改称している。

八中は、二中の大規模化解消のために昭和36年に開校している。初めから八中なのだ。

番号以外の中学(興津、庵原、小島、両河内、袖師)はそれぞれ当時の町村が清水市と合併する時(昭和36年)に清水市立○○中学に改称している。地元の人にしたら、番号の校名にするのは余りにも味気なかったはずだ。

その後昭和56年に六中のマンモス化の解消のために飯田中学を開校しているが、昔から清水の地の中学だから九中にするべきだと思うがちょっと言い難いし時代に合わない。
飯田中学は統合されたり新設されたりして忙しい。それだけ清水市の人口の移り変わりが見て取れる。



「してがわこみち」山原川の支流の捨川に沿った道の事で北街道の富士見橋からそれははじまる。富士見橋と言っても富士山が見える訳ではない。



川と言ってもコンクリートで固められた水路に成っている。
飯田東小学校の脇を通って行くのだが何処まで小道と言われているのか分からない。ただ、捨川は飯田中学の方から流れて来ている。



駅前銀座の「小台湾」でランチを食べる事にした。仕事が早く終わったので陶芸教室に顔を出そうと思ったのだ。リビングハウスこまつにも近いので便利だし、町を元気にするって事は町でお金を使うって事かなと思ったりもしている。

少しずつ色々な料理が食べられて満足。次回は麺類を食べてみたい。
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清水町走り

2011-11-04 05:48:46 | ぶらり仕事旅
11/3 早朝読み聞かせが有ると聞き7時30分開始に間に合わせようと一生懸命自転車のペダルを蹴ったのだが間に合いそうになかった。ここで焦っても仕方ないからと言い聞かせ15分遅れで現場に到着。
さてその現場はと言うと「あれれ~」と思わず言ってしまうほど暢気だった。そう、まだ始まって居ないのだ。と言うより聞きに来ている人が居ないのだ。
なるほど。ゲリラ読み聞かせって人集めに辛い所がるんだなと思い、来て良かったと思いつつ来た事だけで満足していた。「まあ、一杯」と暖かい珈琲を頂き、パンを一切れ頬張ると気持ちも落ち着き聞く体制が整った。

細かい事を気にしてはいけないと以前教わった格言を思い起こし話に聞き入る。聞き終わった後は、ラジオ体操をした後の様な爽快感があった。

今日も市内を走り回るぞ。読み聞かせる人とその友人と別れペダルを蹴り始めた。



巴川に沿って走って居るとコスモスを見つけた。秋はコスモスが似合うよなと思って見たが、もう11月だ。残暑(日中の気温23度)の様に暑くなる今は果たして秋なんだろうか。



コスモスの真ん中には星が有る。



出合橋。この名前が印象的で覚えている。
平成22年10月に竣工されていた。



出合橋の上流にある「能島橋」。昭和9年二月竣功とあり喜寿を迎えている。
狭くて交通量の多い橋なのだが、この近くを新しい道がっ取る計画に成っているので、掛け替えはもっと先に成りそうだ。新しい橋の工事はまだ始まって居ない。
この老橋も、もう暫く現役で頑張ってもらいたい。



能島橋から見た富士山。
高い建物が無いので綺麗に見える。



体中が筋肉痛の様に疲れて、家路に着く。今日は祝日で早仕舞いなのだ。
慶雲寺の前を通ると心に浸みるお言葉が有った。
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記憶の電柱

2011-11-03 05:27:04 | ぶらり仕事旅
市内を自転車で走り回っていると思い掛けない物に出会ったりする。仕事なんだけど、どこかお気楽な気分は抜けないのは、屋外を走り回る事で気分が良いからなんだと思う。知らない街を歩くと脳に刺激を与えるので、気分転換には良いらしい。秋の好天と重なってペダルを蹴る(踏む)力も軽くなる。



昭和36年に設立された県立清水工業高等学校と大正7年に設立された県立静岡工業高等学校が平成20年に県立科学技術高等学校に再編整備されこの地を去った。

ホームページを見ると平成12年から産業教育審議会が立ち上がり再編計画が進んで居た事を知った。この先に清水工業高校が有った事なんか電柱位しか覚えて居ないんだろうなと思いながら道を進んでいく。

途中の幼稚園では園児の叩く太鼓に元気付けられ、もう直ぐ見えてくる景色に向かって行く。



解体工事をしている時以来なので完成した「静岡県立清水特別支援学校」見るのは初めてだった。綺麗だ。
昔は錆びだらけのネットフェンスだった事を思い出す。



近所の清水小学校にあった養護学校も此処に統合されて、障害のある子を見無くなった。
同じ敷地内で学校生活する事は健常者と障害者にも良い事だと思っていたのだけど、偉い人が考える事は時々分からなくなる。



学校の敷地を一周しなければならない仕事(何の仕事?)なのでゆっくりと回って居ると隣接する公園の小高い丘に見覚えのある校章が有った。
登ってみると石碑に校歌と卒業生の人数が刻まれていた。

ただ、電子機械科Aと環境工学科Kは知らない学科だった。



石碑の裏には(或いはこっちが表かも)

 昔日の夕日に映えし
 白亜の校舎
 眼下の地に残せし
 わが青春の日々
 我等ここに集いて
 清工に乾杯

石碑から見た景色。かつてはここに野球グランドが有った。

 

リクエストに応えて校歌の写真と卒業生の人数の写真を追加しました。



解体前の校門の写真とその頃の記事はこちら。校門の写真校舎の写真
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清水迷走

2011-11-02 06:21:27 | ぶらり仕事旅
震災の影響だと思うんだけど、仕事が全く無くて「何でもやります」と看板を掲げたら市内を走り回る仕事が舞い込んで来た。断る理由も無いので快く引き受け、日頃貯めておいたメタボエネルギーを一機に使い切る事にした。

まず手始めに巴川沿いに北上し清水駅に行く。
大和屋跡に建設中のビルも高くなり西友が見えなく成って居た。それに駅前の土産物屋前の歩道には屋根の様な物が出来ていて、雨の日の送迎を便利にしている様だ。傘を持たない人には便利になったのだ。
ちょっと心配な事に、何人かはあの柱に頭をぶつけるんじゃないかと思われる所に設置してい有り、携帯電話を見ながらでは可なり危険な歩道になったのではないだろうか。


清水橋近くに共同住宅(マンション)を建設している。
知らない間に古い建物が壊され、新しい建物に成っていそうだ。



清水港の冷蔵庫が並んでいる辺りまで行く事に成り、反対側から清水を眺めるのは久しぶりだ。
清水の街よりもまず富士山を見たくなる。山頂にちょっと有った雪も消えてまた夏富士に戻って居る。この季節は綺麗に見えて好きな富士の一つだ。



清水の駅の方を見ると建設中の建物が背を伸ばしている。竜爪山を越えて稜線が崩れそうだ。
釣り人は丁度昼御飯の様で、釣り竿だけが留守番をしている。港の近くに住みながら釣りの趣味が無く釣人の気持ちは分からないけどなんだか楽しそうに見えるのは、自分のやって居る事が楽しくないからなのかも知れない。

もう少し楽しそうに自転車のペダルを蹴る。



日本平も遠くに見え、テレビ塔の他に建設中の日本平ホテルの形も見えて来た。



浜田の踏切で遮断機が下りた。撮鉄ではないけれど真似て撮ってみた。
夕焼けに向かう東海道本線下り。



近所のスーパーから見た日本平はこんな夕焼けだった。


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出不で~す

2011-11-01 05:57:18 | 気儘に散策
ブログの更新をしないで居ると、更新する事に疑問を持ち「何のために」を何度も何度も繰り返し考えて、それでも答えが出ないまま何日も過ごしていた。
じゃあ答えが出たのかと言うとそうじゃない。バイオリニストの高島何某の先生が「止めるまで練習しなさい」と言って居た事に習って、止めるまで書く事にした。書き始めるきっかけが無かったのかもしれない。

久しぶりに外を歩いて見ると花みずきに赤い実が付き、まだ鳥たちの餌食になっていなかった。此処は赤と白が交互に植栽されていたはずなんだけど、付いている実は全部赤で、実の段階では赤白の区別が無いのかなと思った。

植物は動物よりも生命力が強いから、どんどん子孫を増やすんだろうなと思いながら足元を見ると見事に散らばっている。そんな中から一塊りを拾い持ち帰って鉢に植えてみる事にした。



花みずきは高木になる。育てるには我が家の前庭は余りにも狭すぎた。既にロウバイも持て余しているのに、何処に植えようかと要らぬ心配をして苦笑いをする。

余り芽が出ないと何を植えたか忘れそうでもあり、まあ、小生が生きている間に高木に成る事はないだろうと思うと、此処で種を蒔く意味を見失いそうだ。そこで、目的をタネまきに定め果たして芽が出るのかを楽しみにする。



此処に何が有ったか思い出せないほどの見事な更地。(三光町病院跡)
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