近所の蕎麦屋に出掛ける。
此処は鴨セイロが無いので毎回何を食べようか迷ってしまう。
毎回、蕎麦とご飯の定食を頼んでいたけれど、食べた事が無い物を食べる事にした。それと言うのも此処の天婦羅に納得がいかないのだった。
何度食べても衣が硬いのだ。サクッではなくガリッなのだ。天婦羅屋の衣とは全く違って独特なのだった。そこで一つの仮説を立てた。この揚げ方は汁に入ると美味しく成るのでは無いか。
そこで初めて「天南蕎麦」を注文する事にした。「セット」にするとご飯とおしんこが付くらしいのだがちょっと食べられそうにないので止めた。最近小食なのだ。
いつもの看板娘に天南蕎麦と告げると「セットにしなくて良いですね」と念を押された。もちろんセットにしなくて良いです。何度も頭の中で反芻した結果ですから。
看板娘が注文を厨房に通すと厨房の息子から「セットにするか聞いてくれましたか。若い人にはお知らせしてくださいね」と言って居る。看板娘は「聞きました」と素直に応えているのだが、この掛け合いがなんだか可笑しい。だって、看板娘の方が経験が長いと思われるからだ。
何年ホールを任されてると思ってんだ。と言ったかも知れない、私なら。
天南蕎麦が運ばれてきて、ガリガリの衣が有る程度柔らかく成って其れなりに美味しくなっている。温かい蕎麦は殆ど食べた事が無かったのだけど、柔らかい蕎麦は食べ易くて芯から温まった。
隣のテーブルに座っていた老女二人が病院の工事を話題にしていたので聞き耳を立てると、病院が近く成るから良かったなどと言う事を言って居る。
完成まで元気で居てくださいねと思いながら蕎麦を啜って居ると、若女将が出て来た。
「伯母さん最近見なかったけど元気だった?」と声を掛けている。何でも体調が悪かったそうでやっと外に出れる様になったそうだ。そうしたら年の話に成り「家のおばあちゃん(看板娘)も、89歳に成ります」と言うじゃありませんか。元気だなあ。店に出るのもボケ防止の一手みたいだ。
今から蕎麦屋見習いも無いのでボケ防止にはどうするかなどとぼんやり考えている。
此処は鴨セイロが無いので毎回何を食べようか迷ってしまう。
毎回、蕎麦とご飯の定食を頼んでいたけれど、食べた事が無い物を食べる事にした。それと言うのも此処の天婦羅に納得がいかないのだった。
何度食べても衣が硬いのだ。サクッではなくガリッなのだ。天婦羅屋の衣とは全く違って独特なのだった。そこで一つの仮説を立てた。この揚げ方は汁に入ると美味しく成るのでは無いか。
そこで初めて「天南蕎麦」を注文する事にした。「セット」にするとご飯とおしんこが付くらしいのだがちょっと食べられそうにないので止めた。最近小食なのだ。
いつもの看板娘に天南蕎麦と告げると「セットにしなくて良いですね」と念を押された。もちろんセットにしなくて良いです。何度も頭の中で反芻した結果ですから。
看板娘が注文を厨房に通すと厨房の息子から「セットにするか聞いてくれましたか。若い人にはお知らせしてくださいね」と言って居る。看板娘は「聞きました」と素直に応えているのだが、この掛け合いがなんだか可笑しい。だって、看板娘の方が経験が長いと思われるからだ。
何年ホールを任されてると思ってんだ。と言ったかも知れない、私なら。
天南蕎麦が運ばれてきて、ガリガリの衣が有る程度柔らかく成って其れなりに美味しくなっている。温かい蕎麦は殆ど食べた事が無かったのだけど、柔らかい蕎麦は食べ易くて芯から温まった。
隣のテーブルに座っていた老女二人が病院の工事を話題にしていたので聞き耳を立てると、病院が近く成るから良かったなどと言う事を言って居る。
完成まで元気で居てくださいねと思いながら蕎麦を啜って居ると、若女将が出て来た。
「伯母さん最近見なかったけど元気だった?」と声を掛けている。何でも体調が悪かったそうでやっと外に出れる様になったそうだ。そうしたら年の話に成り「家のおばあちゃん(看板娘)も、89歳に成ります」と言うじゃありませんか。元気だなあ。店に出るのもボケ防止の一手みたいだ。
今から蕎麦屋見習いも無いのでボケ防止にはどうするかなどとぼんやり考えている。