母を連れて丸の内に出掛ける用事があり、序でに東京見物をする事にした。と言っても母も80歳を過ぎそんなに無理は出来ないと思っていた。
母の希望でスカイツリーを見に行くのだけど、どうせなら工事中の根元に行ってみようと思った。
地下鉄を乗り継ぎ押上駅の地上に出た。当然目の前にツリーが有ると思っていたら無いじゃありませんか。そこで、首を右に向けて見たけれどそこにも無い。じゃあ振り返って見たががそこにも無い。一周回っても何処にもない。
そんな馬鹿な。
押上駅周辺も工事中で保護シートの間を通り抜けると、建設中のビルの陰にツリーが有った。後から歩いて来た母に知ったかぶりをしてツリーの方向を教える。
確か橋の上がビューポイントと聞いていたので行ってみると既に数人が眺めていた。
椅子に座った男性が細かい写真の撮り方を指導しているのを聞いて、そっと真似して撮ってみた。
見てしまうとこれと言ってする事も無いので(土産物屋が無い)浅草に移動する事にした。
雷門前の交差点からもスカイツリーが良く見えて必ず観光客は振り返る。
丁度羽子板市と重なって、仲店はいつも通りの大混雑だった。浅草寺の参拝を済ませ、おみくじを引いた愚息は大吉を引き当てご満悦だった。
羽子板市に繰り出すと何処も同じような羽子板で、善し悪しが分からない。
ガガ?
ミタさんだ。
羽子板市が有るとは知らなかったのでちょっと嬉しく成って羽子板を買い求める事にした。
内閣総理大臣賞受賞の羽子板が飾ってある出店で買う事にして羽子板を見ているのだが、価格協定がしてあるみたいで、お手頃な羽子板は他の店と同じである事に気が付いた。
そうなると違いは着物と顔立ち。そう思って比べ始めると同じように見えていた羽子板が少しずつ違う。もしかしたら同じ物はないんじゃないだろうかと思えて来た。
確かに顔は手書きだから同じ物が出来るはずも無かった。
可愛らしい羽子板を買い求め、扱いを訪ねると、「一年中飾って居ても良い」と言う。そこで羽子板納めをするのか尋ねると「熊手と違うのそんな事はしませんよ」と言う。
そうなんだと納得し家人のお土産にした。
「良い正月が来ますよ」と声を掛けられ、これから毎年良い正月が来るって事なんだと思い心温まる。
山形出身の母を連れて上野駅に行ってみた。
当時帰省する時に乗り換えをした13番から19番線を見せ、あの辺りで冷凍ミカンを買ったとかこっちで並んだとか懐かしく話し出した。
今は山形新幹線を利用する様にって上野駅は通過駅になってしまった。
「ああ、上野駅」って歌も化石に成って仕舞ったけれど、子供の頃の記憶は深く残っている。
(懐かしのメロディーはみんな化石に成っていると思う)
第一目的の丸ビルの36階レストランから見た東京駅。
食後母を連れ立って二重橋を見に行く。もちろん島倉千代子。
履きなれない皮靴のお陰で足が痛く成り、一番元気が良いのは母だった。
最近の年寄りは侮れない。
記念写真を撮って居るとお節介な外人が流暢な英語で何やらシャッターを切ってくれる様な事を言っている様だったが、日本に来たら日本語を使えと心で思いながら「ノー」と言った。(笑)
母の希望でスカイツリーを見に行くのだけど、どうせなら工事中の根元に行ってみようと思った。
地下鉄を乗り継ぎ押上駅の地上に出た。当然目の前にツリーが有ると思っていたら無いじゃありませんか。そこで、首を右に向けて見たけれどそこにも無い。じゃあ振り返って見たががそこにも無い。一周回っても何処にもない。
そんな馬鹿な。
押上駅周辺も工事中で保護シートの間を通り抜けると、建設中のビルの陰にツリーが有った。後から歩いて来た母に知ったかぶりをしてツリーの方向を教える。
確か橋の上がビューポイントと聞いていたので行ってみると既に数人が眺めていた。
椅子に座った男性が細かい写真の撮り方を指導しているのを聞いて、そっと真似して撮ってみた。
見てしまうとこれと言ってする事も無いので(土産物屋が無い)浅草に移動する事にした。
雷門前の交差点からもスカイツリーが良く見えて必ず観光客は振り返る。
丁度羽子板市と重なって、仲店はいつも通りの大混雑だった。浅草寺の参拝を済ませ、おみくじを引いた愚息は大吉を引き当てご満悦だった。
羽子板市に繰り出すと何処も同じような羽子板で、善し悪しが分からない。
ガガ?
ミタさんだ。
羽子板市が有るとは知らなかったのでちょっと嬉しく成って羽子板を買い求める事にした。
内閣総理大臣賞受賞の羽子板が飾ってある出店で買う事にして羽子板を見ているのだが、価格協定がしてあるみたいで、お手頃な羽子板は他の店と同じである事に気が付いた。
そうなると違いは着物と顔立ち。そう思って比べ始めると同じように見えていた羽子板が少しずつ違う。もしかしたら同じ物はないんじゃないだろうかと思えて来た。
確かに顔は手書きだから同じ物が出来るはずも無かった。
可愛らしい羽子板を買い求め、扱いを訪ねると、「一年中飾って居ても良い」と言う。そこで羽子板納めをするのか尋ねると「熊手と違うのそんな事はしませんよ」と言う。
そうなんだと納得し家人のお土産にした。
「良い正月が来ますよ」と声を掛けられ、これから毎年良い正月が来るって事なんだと思い心温まる。
山形出身の母を連れて上野駅に行ってみた。
当時帰省する時に乗り換えをした13番から19番線を見せ、あの辺りで冷凍ミカンを買ったとかこっちで並んだとか懐かしく話し出した。
今は山形新幹線を利用する様にって上野駅は通過駅になってしまった。
「ああ、上野駅」って歌も化石に成って仕舞ったけれど、子供の頃の記憶は深く残っている。
(懐かしのメロディーはみんな化石に成っていると思う)
第一目的の丸ビルの36階レストランから見た東京駅。
食後母を連れ立って二重橋を見に行く。もちろん島倉千代子。
履きなれない皮靴のお陰で足が痛く成り、一番元気が良いのは母だった。
最近の年寄りは侮れない。
記念写真を撮って居るとお節介な外人が流暢な英語で何やらシャッターを切ってくれる様な事を言っている様だったが、日本に来たら日本語を使えと心で思いながら「ノー」と言った。(笑)