malのあっちこっちブログ

山・旅・料理。。。

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奈良・山の辺の道(天理から)前半

2010-04-19 10:43:20 | 
山の辺の道は古代の奈良の主要な街道でもあった。

この道には、いたるところに古墳があり、また万葉集、特に柿本人麻呂が詠んだ歌が多いことから、

万葉の道などとも言われている。

この道は三年ほど前、柳本から大神神社までは歩いていたので、今回は天理から柳本までを歩く事にした。



近鉄電車に乗って天理に着く



新しくは無いが整然とした駅で、駅特有の騒然さが無い。




駅に置いてある、山の辺の道の案内図を持って出発する。

山の辺の道は、ここ天理を挟んで山の辺の道南と北に分かれるのだが、その南の前半分を繋げるべく

案内図に沿ってアーケード街を歩いてゆく。

駅前では教団の若者が掃き掃除をしていた。

道行く商店街の3軒に一軒は教団に関係する商いで成り立っているような感じがする。

やがて、教団本部前に出た。







沢山の神社仏閣を見てきたアタシだが、ここはそういう意味では異質な感じがした。

なんて言ったら言いのだろうか・・・怖さ、そう、、怖さみたいなものを感じた。



しばらく歩くと、山の辺交番があった。



山の辺の道への取り付きにあるからだろうが、ネーミングがいい。



駅から20分ほどで石上神宮(いそのかみ)に着いた。



神を祀る神宮はどこも同じような雰囲気を持っている、、、と思って歩いていたら、、、

「コッコッコッコ コッケッコッケ」

「コッケッコ コッケッコ コケコッコオ~」

とけたたましい泣き声が聞こえてくる。





この連中だ。

放し飼いにされていて、自由にエサをついばんでいたが、うるさいこと・・・この上ない。

どうやらこの石上神宮は動物の神様でもあるらしい。



道しるべに従って神宮内を抜け歩いてゆくと、やがて永久寺に着く。

永久年間(1113~7)に鳥羽天皇の受戒の師と言われる亮恵上人によって開かれたと言われている。



調査ではこのような大伽藍を持っていたらしいが、その後寺勢が衰え明治の廃物毀釈によって廃棄された。

歴史って残酷なものだが、明治の廃仏毀釈は世紀の悪法だったと思っている。

いまでは、池を残しているだけだ。





その池に咲く桜は、とても美しかった。



この永久寺辺りから市街地を離れて山の辺(ふち)の道になる。



お地蔵さんや



畑や



桜などを愛でながら歩いてゆくと、特産の柿畑が頻繁に現れるようになる。



私は奈良の柿が大好きだ。。。同じ富有柿でも奈良でなければならない。。。

ここの柿の木は貫禄が違う。近寄りがたい気品が漂う。。。

遠くに「柿の木古墳」が見えた。



断っておくが、そんな古墳は見たことも聞いたことも無い。勝手にそう名づけたのだ。。。




やがて、夜都伎神社に着く。



特に沢山の由緒を持つ神社ではなかったが、名前にはひきつけられる魅力がある。



奈良で神社と言うと春日大社が一番に思い出される。

故に、その造作も春日流造りという建築様式が多い。大社ゆえに摂社、末社も多い。

灯篭なども春日灯篭として名高い。

ここ夜都伎神社も春日大社の一神を祀るが、その拝殿は萱葺きで珍しい。




暖かな春の日、山の辺の道を行く




つづく・・・