malのあっちこっちブログ

山・旅・料理。。。

気ままに、気張らず、、出来ることを、、、

砂漠ツアー・・・5 一日目夜

2013-01-31 20:31:15 | 
のんびり過ごせた1時間半が終わり
                
                先を急ぐ

ひたすら走る
      
      
      

途中、トイレ休憩で止まった
             
             
             
             

ここでも橋のない川を生活道路としていた
       
       道路なんだけど
              
              車はあまり走っていない
                         
                         時刻は午後5時

そこから1時間半くらい走って山の中のホテル?に泊まる。
モチロン、ツアー料金に見合ったホテルさ・・・
          
          狭いベッドとメチャメチャ重い毛布。
          アタシより背の高い人はどうすんだろうって心配なベッド。

壊れそうな天井
       

薄暗い電灯の下で食べる上手くない飯
相方曰く、一泊素泊まり300円くらいかなぁ~、、、とか。

もっとも、この場所に素泊まりで止まりに来る客があるとは絶対に思えないけど。。。

ホテルに入った時、他のツアー客がフロントに石鹸くださいなんて言っていたけど、有料だろうなあ。
モチロン、シャンプーもリンスも石鹸も歯ブラシもありません。
こういう旅では、トレペも含めて必携品です。

砂漠ツアー・・・4 ワルザザード

2013-01-30 21:50:19 | 
ヲジサン家の屋上から
          
          裏側の家々
               
               下の道
                  
                  家々

そして、何もない大地
          
          ここに何故カスバを作ったのだろうか?
川が流れているからか?
                  
                  作物は育つ
いろいろ考えながらカスバを後に
           
川を渡る
    
    以外ときれいな水が流れていた
                  
リズム感の乏しい相方は
           
           落ちるか心配したけど大丈夫だった。
もう、ここはサハラの入り口
              
              ラクダもいる。
対岸の現在の街は
        
        こんな感じ
ロバが勝手に歩いてゆく
                
                後からオバサンがおしゃべりしながら着いてゆく
                
                こういう風景は、どこの田舎も一緒だなぁ

カスバを出てワルザザードへ向かう。
ここは1920年代にフランス軍がサハラ砂漠の前線基地として建設した町で、いまでも広大な敷地をモロッコ軍が使用しているのだが、この町を有名にしているのは、実は「映画」なのだ。
それもハリウッド映画なので砂漠の真ん中に広大な屋外セットと撮影所を作り、そこが今でも映画博物館として一般開放されているようだ。

ここで作られた映画は、アタシの好きな「アラビアのロレンス」「グラディエーター」なのだ。
それだけではない、「シェリタリングスカイ」「ソドムとゴモラ」「ナイルの宝石」「ハムナプトラ2」
アタシは今でも「アラビアのロレンス」が生涯のベスト3にランクインするほど好きな映画なので、しばしその思いに浸ってしまった。

そんな街で遅い昼食となった。
              
              おしゃれなレストランだった。
またまたチキンとレモンのTajinと
                
ケバブを頼んだ
        
猫が眠そうにしている
             
             ここの都市はどこへ行ってもレストランに猫が居る。
             しかも丸々肥って
車に乗り続けだった時間から解放されて1時間半、のんびりする。
      
       

5歳児とハイキング・・・20130127

2013-01-30 21:49:52 | ハイク
リハビリ山行 第二弾 5歳児とハイキングPart2 高取山~仏果山
前回の小仏でいい感じ?!‘*+&%$#だったので、今回も参加を表明した。
コースは鎌倉の山友が歩いたコースをトレースすることにした。

8時15分 本厚木集合 8時40分のバスで仏果山登山口下車
折からの冬冷えでちょっと心配したが、この日は気温は低いものの快晴無風、温かい絶好の日和となった。
バスでご一緒の沼津からのご夫婦に先行してもらい、5歳児を遊ばせながらゆっくり高度を稼ぐ。
            
            たまに5歳児がその気になって歩くと、思わず汗ばむアタシがいた。。。。。
なぜか、「松ぼっくりないの?」と言い続ける5歳児と話しながら登ってゆく

              
北側斜面には先日の雪がところどころ残っているが問題ない
        
宮ケ瀬乗越の手前でまとまった積雪だったので、夏道から外れて尾根に乗って稜線にでると、そこはもう雪山だった。

やや仏果山側に出たのだが、高取方面も仏果山側も雪道。
こんなことも予想してアタシはピッケルとお助け紐とガチャを少々、相方は軽アイゼンを持ってきたので5歳児を確保しながら高取山に向かう。
                 
                 標高704mのこの山が
     
     こんな状態

でも景色は最高
          
          
          
          
          甲斐駒も彼方の鞍部にくっきりと

仏果山
      
      雪あるね
             
             奥多摩も

パノラマって言うので撮ってみた
                


この雪で子どもは大喜び、一時間も遊びまくって帰るそぶりも見せない。
アタシは散々迷って傾斜の緩やかな高取山からふれあいの村へ降りることにした。
北斜面なのだが、偵察したら新雪部分も締まっていて潜っても20~30cm、軽アイゼンのないアタシは滑るのが嫌なので夏道以外を歩く。
軽アイゼンを付けた相方は5歳児の手を引きながら余裕で遊んでいる。
夏道が滑り台のようになっているので、一生懸命滑ろうと試みるのだがトレースの轍だらけでは滑らない。
それでも子供は遊びの天才、楽しくてたまらない。
そんなこんなで広大なふれあい村へ降りてきた。
水場で洗い物をしていると、5歳児が「カクレンボするから10数えてぇ」と叫ぶ
「わかったぁ」と答え、「イチ、ニイ・・・ジュー」で「どこかなぁ」って言うと
「もういいかい?って聞いて!」と叫んでいる。
「わかりました。もういいかい?」「もういいよ」っでやっとスタート。
見え隠れする5歳児を見えないふりして二人で探す。この努力が大切なのだ。
相変わらず「松ぼっくりないの?」と言い続ける5歳児とのどかな道をバス停に向かう。

          
          ふれあい村の入り口に並んでいるこの見事な樹木、今日は楽しい一日だった。
          汗一つかかない5歳児とタオルで汗をぬぐったアタシ
          あ~ぁ オチタ筋力を取り戻すのは容易ぢゃないね。。。

砂漠ツアー・・・3 カスバ

2013-01-29 20:21:35 | 
いよいよカスバに入って行きます。
ここでもガイドが付くんですが、恐らくチップを要求されるし、どうせ英語でガンガン説明されても分かったり分かんなかったりだし、、、ってことで、自由行動に切り替え。

橋を渡って
     
     カスバ内へ
          
          帰り道で川を渡っている人が沢山見える
父親を置いて橋を先に進む子供についてゆく
                    
カスバが迫ってくる
         
振り返って渡ってきた先を見る
              
              あっちは、観光地。こっちは、、やっぱり観光地。。
坂を上ってゆくと
        
        やっぱり土産物が
                
                沢山の日本人が教えるどうでもいい日本語ばかり覚えていて、
                相手もしたくないし、聞きたくもない。
全く無視して先へ進む
          
至る所が迷路っぽくて簡単には攻められない。
        

この建物は当時のものではない気がする。
               
               このカスバは800年ほど前のものだとか。

古い入り口のドア
        
        味のある格子
              


この手彫りの重厚なドアが開いていたので
                   
                   覗いていたら、ヲジサンが中を見ていいと言う。
それぢゃあ遠慮なく、と中に入る。
内部は入り組んでいて斜面に沿って2段、3段の階段で部屋から部屋へと上がってゆく。
全てが建物と同じ泥壁でできている。
藁を混ぜて強くしたりするところは昔の日本の泥壁と同じだ。
写真に見える建物から突き出ている棒は、あの上に簡単な横桟を通し、その上に竹や木で編んだものを敷いて泥を塗って床や屋根を作る。

キッチンと言っていたが
           
           ・・・マア確かにキッチンだよなぁ、、、
家の中に山羊を飼っていたり
                

サロンと呼ぶお祈りをする場所があったり、実際に住んでいる居住区があったりで面白かった。
どんどん上がってゆくとやがて屋上に出た。
歩くと床がなんとなくユラユラ揺れる。
でも決して崩れることはないのだろう。。。

屋上からの風景
        
        これはカスバではなく山なのだが、上に登りたかったなぁ
        この山の麓を通り川を渡って戻った。

案内してくれたヲジサンには気前よく20dhも払っちゃった。。。

砂漠ツアー・・・2

2013-01-28 20:29:25 | 
旅の楽しみって沢山ある。

景色・食べ物・風俗・習慣・人、等など、、、
砂漠ツアーではそこに至るまでの600kmをとにかく走らないとならない。
海の近い場所から砂漠に至る行程の間には400kmにも亘って横たわる山脈もある。
その景色の変化を記録した。


兎に角こっちに来てから雲が見えない
       
       ひたすら走る車なので写真はこうして撮るしか・・・
                
                荒涼たる景色が多くなる
      
やがてカスバが見えてきた

「カスバ」のイメージは藤純子が唄う「カスバの女」のイメージしかなかったアタシは、
「カスバ」が要塞とか砦とか城とか言う意味だとは今回初めて知った。
写真で見える山のトップにカスバがあり、それを取り巻くように街が形成される。

           
           人が生活する場所なので川が流れている

周りは
       
厳しい世界だ

そんな大地が長い脚の写真を映し出す
                 
撮り方で短い脚になったりする
              


ツアーなので
      
      必ずこういう場所で止まる
同行したスイス人夫妻
           
           旦那は7回目のモロッコ、カミさんは4回目とか。
           2年働いて1年旅をする、そんな生活のために小さなアパートに住んでいる、
           そんな話をしていた。


こんな橋を渡ってカスバに入る
              

帰りは下流の川にある飛び石を伝って帰る
サアいよいよカスバへ
          

一路砂漠へ・・・

2013-01-27 18:54:01 | 
今回の砂漠ツアーはマラケシュから南西にオートアトラスに入り、ワルザザードから東北東、オートアトラスの南側をアトラスに沿ってティネリールに入り、トドラ渓谷に寄ってから戻ってエルフード、メルズーガに行き、そこから砂漠に入る。
凡そ600kmの行程を一日半で走り、砂漠で一泊してからまた戻ることになる。
ツアーはこの二泊三日と砂漠二泊の三泊四日のがある。
メルズーガの先はサハラ砂漠、アルジェリアである。

マラケシュのRiadの朝食は朝7時からなので、前夜Riadの青年にランチボックスか何かに詰めてテイクアウトにしてくれないかと頼むと、自分が朝食の準備すると言ってくれた。
ありがたくお願いしたわけだが、まさか家に帰らずにRiadで止まってまで支度をしてくれるとは思わなかった。
6時40分ごろRiadをアウトするとき、彼の手に気持ちをパーンと伝えたのは言うまでもない。

約束の時間前に待ち合わせ場所に行くと既に車は待っていた。
こういうことって、かなり珍しい。
市内の集合場所まで連れて行かれ今回のメンバーを待つ。

集まった顔ぶれは
スイス―ドイツ語圏の夫婦、カナダペア、アルゼンチン―ベルギーペア、オーストラリア、ブラジルそしてアタシ達と言う国際色豊かな10人。

カナダとアルゼンチンペアはフランス語も英語も話すバイリンガル。
スイスペアは英語はOK。
ブラジルの英語力とアタシ達は行って来い。
アルゼンチンとブラジルはポルトガル語がOKと言う仲間だった。

それぞれの会話が面白かった。
スイスペアは多分スイスードイツ語だと思うけど、今まで聞いたことがないようなイントネーションだった。
カナダペアはフランス語。アルゼンチン―ベルギーペアもフランス語。
単独行のOGとブラジルは英語、アタシ達は宇宙語ってな感じでバラバラ。

宗主国がフランスだったモロッコではフランス語なら大体どこでも通じる。
40数年前に一年間だけやった2歳児程度のフランス語がこんなに役に立つとは思わなかった。

そんなこんなで8時半ごろマラケシュを出発、一路オートアトラスに向かう。

モロッコが意外と緑豊かな土地なのを始めのころに紹介したが、変わりゆく大地をご紹介します。

アトラス山脈として知られているオートアトラスの最高峰はトゥプカル山4165mでマラケシュに一番近いところにある。
      
      雪を抱くアトラスにひたすら向かう
                
  
段々岩肌が目立って来るのだが、川筋には
                
                緑が絶えない
高く高く登る
      
      今回通過した峠は2260mとか
ツアーなので各社決まった場所に止まることになる
               
               ツアーとは、、、、、そういうものなのだ

アトラス山脈
                        

余り語ることもない旅が続くのだが、何しろ写真が多い。
出来るだけ整理をしているのだが、しばしお付き合いくださいませ。

                                   明日に続く

伝統工芸館・・・

2013-01-26 22:43:40 | 
街で出会った関西娘二人連れの情報で、ここで編み上げ籠を作ってもらったと言う情報を仕入れたので、翌朝は一番で向かった。

この二人連れ、メディナの中のバブーシュを作っている小さな小さな工房で見つけた。
何してるのかと訊いたらオーダーで作ってもらっていて、その日が仮縫い?だったらしい。
中一日で作ってくれるらしいが、アタシ達にはもうその時間がなく断念した。

伝統工芸館は名の通りその土地の伝統工芸品の製作や展示即売をしている場所だ。
自分の物を増やす事にあまり興味が無くなったアタシはサラっと見歩いて終わっちゃうけど、
物に興味津々の相方は一軒ずつくまなく見て回る。

当初の目的だったバブーシュを買いあさり、部屋用の鏡を購入したのだが、こちらで使い始めて3日目に貼ってあったモザイクの石が剥がれ落ちた。

昨日ご紹介したクトゥビアはここと目の鼻の先にある。
伝統工芸館を出てフナ広場に向かう。
昼頃のフナ広場はまだ人影もまばら
                

夜に備えて屋台の組み立てが始まっていた


                そんな広場でどこかでご飯でも食べようかって話になってレストランに
                入ったのだが、コース料理のみのワンメニュー。
                こんな観光客用のメニューが堂々とまかり通る店がいっぱいある。


うろついて、PIZZAって言う看板に惹かれてそこに入った。
この広場に面したすべてのレストランはお茶を飲みながら、あるいは食事をしながらみんな飽きることなく広場を行き交う人々を眺めている。

でもね、PIZZAも
          
          パスタも
              
              アタシの方が上手いかも・・・

それ以前にPIZZAのカットを見てくださいな、、、いい加減。
観光に特化しすぎちゃダメっすよ、みなさん!!!

上から広場を眺め
        
        人を眺め
            
            レストランの中も眺め
                      

Riadに向かって戻る
         

                
                          

今晩がマラケシュの最終日。
明日は砂漠に向かって出発する。
そんなRiadの朝食をご紹介
            
            こんなラウンジの反対側にダイニングテーブルがあってそこで食べた。
            パティオでもいいし、ラウンジでもいい。

出発の日の朝6時、前夜から泊まり込んでいてくれた青年が支度してくれた。


                   
マンダリンの生ジュースとパンにジャムとコーヒーだけなのだが、豊かで満足できた朝食だった。

この前夜、マラケシュ最後の晩餐をRiadで摂ることにしてお願いをしておいた。
当地で初めてワインを飲んだ。
              
              宗教上お酒を飲まない彼らなので、お酒とは当然縁遠くなっていたのだが、
              このワインはモロッコ産である。

サラダが2品
      
      モロカンサラダと
              
              豆のサラダ

久し振りのワインで酔いが回り、サラダで腹が一杯になったころ
特大のTajinがやってきた
             
             直径30cmはあろうかという鍋にチキンとポテトとオリーブが一杯
             チキンとオリーブは定番なのだがポテトは初めて。
             これがまた旨かった。。。のだが、食べられない。
             半分以上を残してしまった。

っで、っで、仕上げに歓声が上がった。
                  
                  デザートのイチゴ
                  日本でいう1パック全部使ったんぢゃないの、って言うくらいの量
                  その上、こちらのイチゴはコリコリしていて不思議な触感で旨い。
                  腹いっぱい、とか言いながら完食。
                  成長させてもらってます。。。

明日からいよいよ砂漠。
北端のサハラ砂漠ですが、お楽しみに。
            

写真美術館・・・

2013-01-24 21:46:37 | 
マドラサを出て右に行き、すぐの角を右折して50mほどの左側に写真美術館がある。
入館料は20dh。
19世紀の中頃から1950年代にかけてのマラケシュやモロッコの写真が、セピアの写真が展示してある。

風景もいいけど、やはり人物の写真がいい。
メディナの至る所で絵ハガキ大のセピア色の写真を売っているが、元ネガはこの美術館にあるものが多い。
もっとも、メディナも街外れも場所とタイミングを選べば、今とその当時の変化はないと思う。
だから、セピアで現像したら外国人には分からないかもしれない。

そんな写真美術館の屋上テラスに行ってみたらお客さんで満員。
美術館の中はあまり人が居なかったけど、此処は一杯。
みんな喧騒を逃れて見晴らしのいい場所でゆっくりしたいのだろう。

アタシ達も朝から砂漠ツアーのエージェント、マジョレル庭園、博物館、マドラサ、美術館と歩きっぱなしの観っぱなしでいささかお疲れ。
幸いにも空いた席に迷わず座り込んで午後の休憩を取ることに。


               
               遠く雪をかぶったアトラス山脈が見える


小腹がすいていたのでtajinのチキンレモンを注文した。
タジンは最近の日本でもブームだったがここが本場、特にチキンにレモンを入れて作るタジンが美味しいが中でもここのは旨かった。
            
            専門店ぢゃない美術館のが旨いなんて、、意外性があって楽しかった。


空は青く、遠くアトラスが霞み、、パラボラだらけのマラケシュの屋根が見えるテラスでのんびりタジンとパンとミントティを楽しんだ。
                


らせん階段を下りて
          
          メディナの中を歩く
                   
                   こっちで写真を撮るのはかなり気を使う。

自分が撮られていると思うとチップを要求されたり、撮られるのを嫌う人たちが多いからだ。
だから、目立たない様に
              
              撮る

目立たない様に
       
       撮る

誰もいないところで
            
            撮る

一杯いるところで
          
          撮る

遠くを撮る振りして
            
            撮る

腰だめに構えて
       
       撮る

商品を撮る振りして
                
                撮る



そんなことをしながらフナ広場に来た
                    
                    遠くに見えるミナレットはクトゥビアと言う77mの塔だ

         
         旧市街を見下ろすように建っている

Medersa Ben Youssef(ベン・ユセフ・マドラサ)・・・

2013-01-23 21:40:20 | 
マドラサとはイスラムの神学校のことだ。
博物館でチケットを買うと、このマドラサと前にある遺跡の入場券がセットになっている。

この神学校は1956年まで使用されていた。
かなり規模も大きく、一時期には900人もの学生が居たと言う。

建築的にも傑作と言われ、元宮殿の博物館のような華美さはないが、質素で剛健な感じがした。
ただ宿坊と言うか学生たちの小部屋は6畳ほどの大きさで130ほどもあるそうだが、
900人を130で割って、朝から夜まで学び続け、なおかつラマダンと言う1か月間の断食もあり、
厳しい宗教の戒律と規律の中で修業を重ねてゆく生活を思うと、つい現代との比較もあって複雑な気持ちになった。

因みに、ここモロッコでは朝4時、午後1時、3時、6時、7時半と5回お祈りをする。
30分くらい前に各モスクのスピーカーから「お祈りが始まるら集まって、、、」と
呼びかけが始まる。
ラマダンは月齢での1か月なので、季節は少しずつ巡る。
夏季など日の出が4時台、日の入りが9時10時で日中は50度にもなる土地、外や車で仕事
している人たちは大変だと言っていた。


薄暗い1階の通路を通って行くとパティオに出る。
                       

             
             
                そのパティオを取り囲むように学生たちの小部屋が並ぶ
                

                        

      各小部屋へは
      
      こんな廊下で繋がっている。

部屋内の天井


      窓
      

             窓越しに向かいの部屋が見える
             

こんな部屋が130もあって、そこで900人からの学生が修行していたことを考える。



建物は

華美ではないがガチっとした天井や

                
                イスラミックモザイクの通路

入り口


   階段
   

     吹き抜けを飾るドーム
     
     どれも華美さはないが重厚な感じを受ける。
     やはり学び舎として建てられたからだろう。。。

      



建物外に出ると、Koubba Ba'Adiyuと呼ばれる12世紀ムラビト朝の遺跡がある。

見てお分かりのように、当時の道は今よりも5mほど下にあった。
この一角だけが発掘されているのだが、あいにくこの日は休みで入れなかった。
900年間に5m・・・土の文化だけに積もる量がすごい。

奈良で聞いた話によると45cm掘れば平安時代、60cmで飛鳥時代とか・・・
木の文化と土・石の文化の違いなのだろう。