malのあっちこっちブログ

山・旅・料理。。。

気ままに、気張らず、、出来ることを、、、

奈良での過ごし方

2016-10-31 12:09:16 | 奈良
今日は2016年10月31日ですが、今朝ベランダに出てみると



鳥が横たわっていました。

ここには、カラス、尾長、ひよどり、スズメなどが飛んでくるのですが、見た目ひよどりでしょうか、、、、、

急に寒くなったせいなのか、病気なのかはわかりませんが可哀想に手助けはできませんでした。




さて、大阪から戻った翌日、いつもは定宿で頂く朝食を今朝は頼まず相方が予定していたところに朝ご飯を食べに行きました。

たまたま、同宿していた福井から来たという方がご一緒させてくれと言うので一緒に出掛けます。


まずは、腹ごしらえ

  

二種類のご飯を頼んだのですが、アタシのは卵付ではなかったので追加注文してお代わり自由のご飯で二杯頂きました。



さあ、腹がいっぱいになったので、いつものコースで散歩に出かけます。

ご飯どころが「ならまち」だったので、奈良ホテル脇から池のほとりを浮見堂に向かい、春日野の飛火野を横切って春日大社へ向かいます。

この日は改修なった春日大社で蹴鞠が行われるとかで、春日野や春日大社でその会場の準備が行われていました。

春日大社から、一言主神社、水谷神社と歩き水谷茶屋脇を流れる沢伝いに4km弱の林道を歩いて若草山まで行きます。

この春日大社の森は太古の昔から人の手が入らない自然林で、その樹林の濃さや深さは中々人を寄せ付けないものがあります。


この日は穏やかな薄曇りで若草山から眺める奈良市内は



とてもきれいでした。

遠く



葛城の山々が霞の向こうに見えています。

入場料150円を払って若草山を下り、三月堂、二月堂をお参りして相方が好きな二月堂前の坂を下って大仏殿の裏手に歩いてゆきます。

そこには、この10年必ず立ち寄る美しい姿のイチョウがあって、そこに寄ってから正倉院脇を通って転害門に向かうのですが、今回は水谷茶屋の近くのキッシュのお店で予約をしてあったので

東大寺脇を通って南大門に向かいました。

奈良に来たら、ここ



と言う東大寺にはご覧のような人だかり、当然中門から南大門に至る参道はその九割が外国人の人、ひと、、人、、、



中門前の池には、遣唐使船の復元模型が浮かんでいました。



春日大社の参道入り口で同行者と別れ、キッシュの店に向かいます。

セットメニューの



スープと



キッシュ



奈良に旨いものはない、とかねがね話していますが、最近は若い人向けのお店が増え続け、中々美味しいものを食べさせる場所も増えていますが、ここもその一つ、もう一度行きたくなる店でした。

この日は大阪で同窓会

2016-10-30 12:04:56 | 
今回は旅行の日程を決めた段階で早々に関西の友人に「遊びませんか?」と声をかけさせてもらいました。

その結果、神戸の友人と大阪のご一家、東京からも二人が加わって総勢9名での集まりとなりましたよ。



奈良から今回の集合場所の天王寺まではJRで一本、それも快速を使えば約30分の距離です。

高野山から、毎年柿を買う三輪駅近くのおばちゃんの店でおまけも含めて50個ほどの柿を仕入れ、総数80個を超えたので今回の柿収集は終了、

奈良の定宿に車を止め荷物とお土産を置いて大阪に向かいます。


早速、谷町筋から千日前通りの北側に入ったところにあるお店を相方に指示され、そこに入って

  

チョコパとチョコのサンデー様のものを注文、堪能してからブラブラと天王寺に戻り

  

折から名月が輝く四天王寺を散策してから集合場所の東京の友人が希望した日本酒飲み放題の店に向かいました。

少し早かったので、入り口とは反対側の階段に座っていた間に全員が店に入っていて結局最後になっちゃいました。


ここから先は、最初はビール、あとは乾杯、獺祭、乾杯、、獺祭、、でもう覚えてはおりません。

ガハハ、グビグビ、、ワハハ、、グイグイ、、、と時は流れ、やがて制限時間となりました。


その後、アタシのたっての願いで、、2011年の11月以来のプリクラに行っていただきました。




ジャーーーン!!!



どうだ!!!!!


酒は人生の潤滑油、、、っすなぁ。。。。。

高野山にて

2016-10-29 08:09:31 | 奈良
夕食が6時、そして朝食が7時、、ここ常喜院の食事時間はそう決められています。

その前の朝6時、朝の観経に参加しました。

この宿坊では希望者のみの参加となり、アタシたちを含めて3組が参加しましたがほかの2組は外国人の方々でした。

一番前に座られていた方は、きちんと正座をこなし背筋も伸びた美しい姿で座っていました。中々日本人でもまねができない神社仏閣に対する思いがある感じがしました。

凡そ40分ほどの読経が終わると、ご住職が前に来られて参加者に対して高野山と常喜院の簡単なレクチャーを英語でされたのには少し感動しました。

60代前半とお見受けしたご住職ですが、素養があったと想像はしますが外国人の訪問者のために学ばれた姿勢は素晴らしいと思ったのです。

その後、ご本尊を近くで拝謁し、そこでも説明があり、その時初めてアタシたちを日本人と認識なさったようです。

その時、しばらくご住職と話す機会があったのですが、最近の高野山は世界遺産と日本への観光客の増加の影響で外国人の宿坊への宿泊者がとても多いのだそうです。

それも、どこよりもヨーロッパからの方が多いと話されました。

ご住職が思うに、ヨーロッパでは一神教徒が多いせいか宗教に対する理解が深いので仏教も受け入れやすいのではないか、と話されていました。

因みに、爆買いのかの国からはほとんど宿泊客はないそうです。彼らが信じるのは「金」なんですかねぇ、、、



さて、そんな宿坊の肉無し魚無しの朝食



これでまた、三杯飯を頂きました。


朝食後、国宝の多宝塔に行きます。



正式には混合三昧院、1223年に北条政子が頼朝を偲んで建立したもので、高野山では最古の建物です。

それなりのお寺にはこの多宝塔がままありますが、この塔は二階建てに見えて実は一階建てなのです。

下に見える庇は裳階(もこし)と呼ばれる飾り屋根です。

薬師寺の五重塔や法隆寺に見られる建築様式です。

内部には須弥壇を中心に阿弥陀如来や四天王が祭られていることが多いようです。

境内には



樹齢数百年の杉の大木が聳え立ち神域となっていました。

山門



晴れた早朝、次の徳川家霊台に向かいます。



家康と秀忠の霊屋が左右対称に立ち並び、日光東照宮を作った家光が創建したものです。

外の        

外の彫刻も見事ですが、見ることのできない内部は金銀蒔絵、極彩色飾金具で飾られた見事なものの様です。

霊台の隣が波切不動尊なのですが、戻ってくと人なれした猫君が



アタシの存在などないかのように身づくろいをしていましたよ、歳をとるとなめられたもんだと、、、、、



さぁてと、気を取り直して今度は高野山霊宝館へ



綺麗に気持ちよく剪定された前庭を通って入館します。

中には想像通り沢山の彫刻がありました。それ以外にも絵画、書跡、工芸品など1200年の歴史が語る見事な展示です。



さあ、これで今回の高野山は目的達成、残るは昨日逃したコレ



みろく石と言う名前で有名な「かさ園」の「やきもち」と「くるみ餅」です。

中々の美味でございましたよ。

夜の金剛峰寺

2016-10-28 07:57:19 | 奈良
今、「こんごうぶじ」と変換すると「金剛峰寺」が最初に変換されますが、現在の「こんごうぶじ」は「金剛峯寺」と書きます。

しかし、昔は「金剛峰寺」だったそうで、なぜ「金剛峯寺」に変えたのかは、聞き漏らしてしまいました。



さて、奥の院から俗世界に戻ったアタシたちは、早速疲れを癒す甘味処に、、、



入りたかったお店で名物の「やきもち」が売り切れだったので違うお店での休憩となりました。



四時過ぎに宿坊に入り、お風呂を頂いてから六時に夕食です。



肉もない、魚もない、、見事な精進料理です。

一人一人のお膳に、別々にお櫃に入ったご飯が付きます。

ご飯の量は茶碗に二杯程度、旅先での茶碗はアタシが普段使うものよりも小さめなので相方からも一杯分を分捕って美味しくいただきましたが、ナニか?



さ~て、腹もいっぱいになったし、時間も早いので散歩に外へ出ます。



折から空には満月が、、、、、なのですが、雲が邪魔してもその美しさは見事なもの・・・





この夜、金剛峰寺では夜間のお庭の鑑賞ができると知り早速向かいました。



静けさが何かを期待させる廊下を通ってお庭に着くと



先ほどから流れていた尺八とシンセサイザーの音楽がテープではなく尺八だけが生演奏で行われていました。

スピーカーを通して流れてくるその演奏の見事さに圧倒されました。

    

演奏が終わって、少ない観客や演者、その関係者が去り、誰もいなくなったお庭でしばし佇み、その余韻を堪能しました。

去り際に外国人を含む数人の観光客が入ってきたのでベストタイミングでの鑑賞ができました。

入ってきたのと同じ廊下を



今度は戻ってゆきます。

冒頭の金剛峰寺のお話を含めたいろんなお話を、金剛峰寺に30年おられるという方とゆっくりお話ができたのも夜ならではの「おまけ」なのかも知れません。



すでに拝観が終わった金剛峰寺の正面を通りながら、



宿坊の脇道を通って、檀上伽藍に向かいます。

人気のない檀上伽藍で



昭和59年に再建された東塔や


広目天  


増長天

などを眺めてきました。

昼の高野山より、夜の高野山の方が数段奥ゆかしいのは静けさのせいでしょうか。

高野山奥の院

2016-10-27 07:29:25 | 奈良
10月14日、この10年ほぼ恒例となっている奈良へ行ってきた。

この三年ほど奈良へ行くたびに、高野山へ行こうと話していたのだが、行けば行ったで何かと予定があったりして行くことができなかったのだが今年は東京から真っ直ぐ高野山へ入ることにした。

そういうわけで念願かなって金剛峯寺の山門脇にある常喜院に宿坊を取ることができた。

金剛峰寺から奥の院まではおよそ2.5km、土産物店や塔頭が並ぶ通りをしばらく歩くとやがて聖域に入る。

うっそうと茂る杉林の両側に庶民から歴史上の人物に至るまでの慰霊塔がずらりと並んでいた。

  
奥州伊達家


加賀前田家


薩摩嶋津家


山口毛利家

歴史上の大名家が並ぶ。

その慰霊塔の形式は全て同じ、大小の差異はあっても高野山真言宗の形なのだろうか。




町石道

この石塔は道しるべとして一町(108m)毎に立っているらしいが、九度山の慈尊院から高野山にかけて180基もあるらしい。


竹田信玄・勝頼親子


高野山の杉

高野山にはうっそうと茂る大木の杉が無数にあるが、そのほとんどが植林で奥の院の中の橋の脇にあるものは樹齢700~750年ほどもあるらしい。

自然木では


恐らくこの木が樹齢950年ほどもあると教えていただいた。




井伊掃部頭の御廟


石田三成


徳川秀忠夫人お江


法然上人


織田信長


明智光秀

とても面白いと思ったのは、歴史上の相対した関係者の慰霊塔がすぐ近くにあることだった。

高野山には金剛峰寺の塔頭が117寺ある。

それぞれがいずれかの菩提寺や関係寺であり、その塔頭それぞれが弘法大師が眠る奥の院までの参道脇に慰霊塔を祭る土地を持って供養しているらしい。

しかしながら、墓ではなく慰霊塔のために関係者による手入れはほとんどなされているようには見えない。

石塔だけに朽ちることなく現存しているが、木造の廟などは数百年の時を経て、傾き、荒れ果て、朽ち落ちてゆくように見えた。


アタシは、高野山は祈りの街のように感じた。

しかしながら、現実は真田丸ブームであったり、紅葉の観光であったり、海外からの世界遺産客であったりして祈りが遠のいているようで少し寂しく感じた。

同窓会

2016-10-26 15:04:26 | 日々のこと
先週末、久しぶりに高校の同級会に出てきました。

と言うのは、二週間ほど前のある日、6~7年ぶりで同級生Wから電話があり「お前の夢を見た。元気か?」「お前が若かったぞ・・・」なんて話でした。

その時は、帰ってきたときは連絡くれ、と言う話で終わったのですが、その二、三日後に別の同級生Kから今度は同級会の連絡でした。

この友人がパーキンソン病を患っていて元気がないという話は中学時代の友人から知らされていたので、そのKからの電話では断れないと出席を約束して電話を切りました。

しかしながら、人の生活は様々で友人WもIも同級会には出ないという、では仕方ない土曜は同級会、日曜は同級生と約束し、せっかくそっちに行くのだからと帰りに静岡の友人宅に寄りたいと連絡すると、

電話口に出たママから快諾をもらい、こうして土日月の飲み歩きミニツアーの計画が出来上がりました。

静岡の友人は14年も連れ添った飼い犬に先立たれだいぶ落ち込んでいることは知っていたのですが、中々行く機会がなく不義理をしていたのですが、今回お邪魔することができて本当に良かったと思っています。



さて、定刻に同級会の会場に入ったアタシは、先着していた同級生の中で分かるものには声掛けし、分からない人は遠巻きに見ながら「あいつ誰?」なんて感じで少しづつ旧交を温めることができましたよ。

アタシ達の同級生は確か357名、内、女子は19名でしたが、既に物故者が50数名に及んでいることも今回知りました。

その物故者も、高校時代や若い時代に威勢の良かった者が多く、その人生の皮肉に少しならず悲しい思いがしました。

まずは電話をくれたKと



もしものことがあったら、使う写真にすると数枚の写真を撮ってもらいました。

当日の出席者は50名弱



全員、「じいじ」と「ばあば」です。

その後、二次会、三次会と続いたのですが、最後までKが一緒にいてくれ、日ごろは引きこもりでデイサービスを受けるときだけが外出日らしいのですが、

こうして無理やりでも友人たちが引っ張り出す方が本人にとっても薬になるんじゃないかと感じましたよ。




翌日、WとIに会う時間は5時だったので、前日約束した友人宅に出かけてきました。



そうなんです、その友人とは曹洞宗の寺の住職です。

この友人は三年のときに同じクラスだったのですが、同級の2、3割が教職課程に進む中で教職をとるか別の道に進むか迷っていたときアタシに相談したんだそうです。

既にアタシは覚えていませんが、その時にアタシが「これからは建築だ」と言ったとか言わなかったとか、、、、、

その後、彼は建築科に進み卒業後、帰ってきて市の建築指導課で定年まで勤めあげ、途中、27歳の時に父親の先代住職が亡くなったので、その後の住職としての務めも果たしてきました。

現在は息子が副住職として同じ道を歩いているので、先代住職の50回忌を機に息子に譲りたいと話していました。

10年ほど前に総額4億円ほどかけて再建したこの寺は、友人Fが22代目の住職ですから、相当の歴史がある寺です。

自慢の寺の中から外まで積もる話を交えながらタップリ堪能させてもらいました。


5時からのWとI



アタシが東京に出て行った当初、このIと半年ほど一緒に住んでいました。

大学受験で自信がなく、発表を見に行く気持にもならなかったとき、WとIが見に行ってくれ「受かってたぞ」なんて教えてくれたこともありました。

家にもよく遊びに来ていた二人を知る姉も加わり、懐かしい昔話に花が咲きましたよ。

写真でアタシが怒っているように写っているのは、一眼レフなんて使ったことのない姉がピント合わせのための半押しが理解できずにガシャガシャシャッターを押すことに

抗議をしているんですな・・・

ま、良くも悪くも楽しかったっす。。。




明けて月曜、静岡の友人からは11時頃においでと言われていたので、その時間に着くように電車に乗り、駅まで迎えに出てくれました。

友人宅には月初めに死んだ「賢クン」の遺影と分骨されたお骨が安置されていました。

早速お線香をたてて冥福を祈りました。

さあて、ママは仕事中ですから、男二人飲るっきゃ有りません。

友人ができる二つ三つの調理の内、メインの肉を焼くことと、アタシのために買っておいてくれたというポテトサラダをつまみに赤ワインの紙パック1.8L入りで乾杯からコップでグイ飲みっす。

途中、休憩で二人で温泉に行き、戻って再開、ママが仕事から戻ってきたと同時に1.8Lは空になりました。

次に白の760CCが出てきてほとんど空になるころ、時間切れで友人は就寝、その後ママと世間話をしながらアタシも10時に布団に入りました。

翌朝、友人が6時半に仕事で出かける音で目覚めたアタシは、昨日、読みかけで落ちてしまった「岳 14巻」を読み終えて階下に降り朝ご飯を頂いた直後に、出かけるママと入れ違うように友人が仕事から戻ってきました。

折角来たのだからと、色々、計画があったらしいのですが、朝の内は快晴だった空も10時ころには雲に覆われていたし、男二人では場ももてあまし気味で「飲む?」なんて話も出てき始めて、

ここで飲んだら、絶対帰れないと、立ち上がって「帰ります!」と伝え、外に出ると雨が落ちてきました。

またまた駅まで送ってもらい、楽しかった友人との夕べを思い出しながら、再会を約束して帰途につきました。


思えば、日ごろから晩酌をしないアタシにとって、この三日間で飲んだ酒の量はひょっとすると人生最大かもしれない、そんな面白くも楽しいミニツアーでしたよ。