malのあっちこっちブログ

山・旅・料理。。。

気ままに、気張らず、、出来ることを、、、

韓国旅行vol10慶州(石窟庵)

2010-02-28 17:33:05 | 
仏国寺のある吐含山は慶州で一番高い山で、その標高は900mを20~30m超える高さだったと記憶している。

石窟庵はその仏国寺から歩いて2kmほどの上にある。

もちろん歩いても行けるが、観光は時間との勝負、仏国寺~石窟庵間はシャトルバスも運行されているので、それを利用することにした。

最初に乗り込んで運転席の後ろに陣取る。

後から乗り込んで来る人たちが運転手さんにお金を払っている、運転手さんも当然のように受け取っている。

ここへ来る時は慶州から路線バスに乗ってきたのだが、その時の料金は全て料金箱に払い込んだのだが、この運転手さんは全て自分のポケットにしまっている。

ガイドブックにも確かにシャトルバスは無料と書いてあったはず・・・そう信じて疑わない私たちは堂々と最前列に陣取り、バスを降りて石窟庵に向かった。

ここ石窟庵は751年の創建。

花崗岩に本尊仏と天部・菩薩・羅漢・居士・四天王・仁王・八部神衆の各像が掘りこまれている。

山を掘りこんで像を刻み、そこに祠を建てている。




残念ながらガラスで仕切られているので、中は余り良くは見えない。

内部の構造はこんな感じ


下の方から見上げると


こんな感じの場所である。



石窟庵から駐車場に戻ってきて海が見えることに気がついた。


東海・・・日本で言う日本海である。

残念ながら高曇りのこの日は余り良く見えない。

でも、心のきれいな人には見える、、、はず。。。


時間が来てシャトルバスが来た。

また、最初に乗り込む。
後から乗ってくる人たちは、みんな料金を払っている。
運転手さんはそれをポケットにしまう。

やがて、私たちに向かって韓国語で何か言う・・・

何だかわからないけど、お金を払えと言っていることは分かった。

何故か分からないけど、あわてて払った。




後でガイドブックを確認してみた。

シャトルバスがあります、とは書いてあったが、無料です、とは書いてなかったことは言うまでもない。。。


仏国寺前まで降りてきて、こんな道路標識を見かけた。

ハングルは分からないけど、こいつは一目瞭然!


でも、韓国で車の運転は正直自信がない、特にソウルでは・・・

韓国旅行vol9慶州(仏国寺2)

2010-02-26 17:50:14 | 
天王門を通ってまっすぐ進むと、仏の国を表現する仏国寺境内への入場門に突き当たる

正面が釈迦牟尼仏の法華経の彼岸世界に通ずる青雲橋16段と白雲橋17段


下には虹の形に造られた虹門がある。


この青雲・白雲橋の合わせて33段は33天とか、仏の境地に達していない33の階段とか言われいる数字で、京都の三十三間堂や三十三回忌と言った仏教に関連する数字だ。

左側には須弥梵鐘閣があり


右側には蓮華橋、七宝橋を通って


阿弥陀仏の極楽浄土を表す無量寿経の世界、極楽殿に通じる。


青雲・白雲橋を登ったところに、紫霞門(日本で言う中門)があり


この正面に大雄殿がある。


大雄殿の左には釈迦塔


この釈迦塔の周囲には蓮華文様を掘りこんだ石が埋め込まれている。


右には多宝塔がある。


共に石造りのため戦火を免れ、統一新羅時代から1200余年の佇まいを残している。

この大雄殿を囲む基壇部分も1200余年前のまま保存されている。


この上に復元された回廊は




奈良の法隆寺夢殿を囲む回廊と同じ造りのように感じる。


この仏国寺の柱は全てエンタシス形と呼ばれる、中央が太く、上下にすぼめた丸柱で出来ていたが、日本では飛鳥・奈良時代の伽藍に残されているだけで、薬師寺、唐招提寺、法隆寺、法起寺、東大寺等だけに見られる。


薬師寺の復元された東塔や、平城京1300年記念に復元された大極殿、そして10年ぶりの解体復旧工事から完成した唐招提寺金堂などを見ると、創建当時の日本の伽藍もこのような極彩色に彩られていた。


境内には講堂


華厳経の毘蘆遮那仏が祀られている毘蘆遮那法堂




観世音祀堂などがそれぞれの世界を構成している。


まだ未再建の基壇跡もある。


そして、一度は日本に持ち去られたが、その後再建された歴史を持つ舎利塔などがある。


伽藍の配置構成は
南大門に当たる天王門から、中門に当たる紫霞門をはいると正面に金堂の大雄殿、左に釈迦塔(五重塔に当たる)、右に多宝塔(同)、金堂の後ろに講堂となっていて、法隆寺や薬師寺と配置は基本的に同じだった。

蕎麦宴会その3

2010-02-25 23:54:00 | 
蕎麦宴会も滞りなく終わり、山友宅を辞して三島にある「クレマチスの丘」に向かいます。

目的はここに併設されている「ベルナール ビュッフェ美術館」です。

1965年の夏、新宿東口にある「Dig」というJazz喫茶でそれと出会いました。
「それ」とは、ビュッフェの描いた「エラ フィッツジェラルド」です。
この顔がDigのマッチだったのです。
DigにはJazzを聞くためと、このマッチが欲しくて通いました。

三島に着くと無料シャトルバスは出たばかり、次まで1時間、路線バスの運転手さんにバスルートで行けないかと聞いてみました。
親切にも無線で問い合わせをしてくれて、返ってきた返事が「15時40分発ならあります」って・・・・・それって、あぁた、、、、、
その時、私の時計は10時50分を指していました。


喫茶店で時間をつぶし、シャトルバスに乗ってクレマチスの丘へ、20分で到着。

まずはクレマチスの丘に行きました。


入るとすぐに

こんな絶望を抱えた人や


こんな風に写真を撮っている人


こんな恰好で覗き込んでいる人

その人の後姿


こんなに涙を流し続けている人


ちょっとテーマが重たいのばっかりなのと、時期外れのため花も咲いていないので早々に美術館に向かいます。


少し歩くと、住宅地から沢を横断する、こんな吊り橋が2本掛かっていました。

重量制限があるので順番を待ちます。


そして目指す「ベルナール ビュッフェ美術館」です。



中に入るとすぐに早足で目的の絵を探しましたが、残念ながらこの美術館には展示されていませんでした。


でも、アナベルの絵は良かったです。彼の妻ですが、アナベルをモデルに沢山の絵を描いています。


中でも「青い闘牛士」と「アナベル」が並んでいました。



気が済むとお腹が空きます。

戻ってレストランでパスタとピッツアを食べ





一路東京に向かって家路につきました。

蕎麦宴会その2

2010-02-24 09:52:46 | 
そんなこんなで、電車~歩き~電車~歩き・・・で山友の家に到着

あとは、説明いらず、飲んで、飲んで、たまに食べて、飲んで、飲んで、たまに食べて、飲んで、飲んで、飲んで・・・10時間。。。

みなさま、いつものことながらホントに楽しゅうございました。

フッフッフ・・・美女に囲まれニヤける


フッフッフッフ


「オレ内緒で牛丼食べる計画なんて、してないって・・」
「ウソ言うんじゃありません。年と身体のこと考えなさい!!」
「まあまあ・・・・」
「お酒・・・飲めばぁ~」


「オレ今日機嫌いいからさぁ・・・踊っていい?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「調子いいから、やっちゃおうっと、、、シェエエエ~~~。。。」


「長男よ、とーちゃん連れて帰ってくれよな・・・おねがい


一夜明けて・・・

「とと、オジチャン、、、ぼくも飲みすぎだぁ。。。」


みなさま、おあとが宜しいようで・・・お次は花見で、、、ネ。。。

蕎麦宴会その1

2010-02-22 14:33:45 | 
蕎麦宴会初日、0644発の電車で出発。

田園都市線~横浜線~小田急線~東海道線と乗りついで湯河原に停車、ふとホームを見ると
ベンチに全て座布団が置いてある。


これって、その駅だけのサービスなのだろうけど、この時期だけに何となく暖かな気持ちになれた。


0943由比着。


賢パパblogでお馴染みの商店街アーチの上に早速富士山がお出迎え・・・いい感じ。


さった峠はこっちへ向かう


国道を横切り


旧東海道に入ると、あっちこっちに表示やら案内板が






途中には昭和5年に造られた、こんな時計台もあってレトロな気分を盛り上げてくれる。


ほどなくこのあたりの名主だった小池邸がある。


そういえば、このあたりは小池さんばかりがやけに多かった記憶がある。全ての小池さんのDNAは親族を示す規則正しい配列を示すのだろうか・・・

やがて、街並みから離れて峠道に入る




左は崖、道路を隔てて駿河湾が拡がる。
目の前に西伊豆の顎の大瀬崎が手の届くところに見える。
右は一面の夏ミカン・・・。大好きなアタシは未練タラタラで歩く。。。マーマレードが食べたいなあ

ほどなくさった峠の道標が


そして、さった峠に到着、梅も満開




そして、目当ては賢パパのいつものさった峠のカメラアングル・・・

こっちかなぁ


あっちかなぁ


そして、やっと見つけた


でも、もう富士山は雲の中、、顔を見せてくれてありがとう。


沢山のハイカー(この人たちは富士山は見られなかったんだろうな・・・)とすれ違いながら
下り電車を見送って、興津駅に向かって歩いてゆくと・・・


え、えええっ・・・・・???


そうです、「女体の森 宗像神社」?


しかも、その脇には小学校の表示まで


由比に着いてから「宗像神社」の名前は何ヶ所かで見た記憶はあったけど、まさかご神体が女体ってことはないよねえ・・・?
この鳥居をくぐって進む先に見える森の中では、まさか、、夜な夜な、、、○体盛り、、、
なんて宴会は、、、、やってないやってない、、、、、ね、賢パパ。

韓国旅行vol8慶州(仏国寺1)

2010-02-19 19:54:34 | 
慶州2日目。
ここはその昔,金城(クムソン)と呼ばれていた。
その金城で栄え、滅び、復興された世界遺産の佛国寺(ブルグッサ)に行ってきました。

吐含山の麓にあり、新羅第35代景徳王10年(751年)に時の宰相 金大成によって設計・創建された。
最盛期の8世紀には60余棟の伽藍があったという。

1592年、朝鮮で言う「壬辰倭乱」、日本では「文禄の役」と「慶長の役」と呼ばれ二度来襲している。
このときに、この佛国寺は焼け落ちている。
残念ながら日本側にはこのときの資料はない。

慶長の役では、秀吉軍はかなりの苦戦を強いられた。諸大名はこの理由のない侵略戦争を倦み、戦意が無かったという。
もう一つの理由に、新羅軍には強大な明軍が加わっていた。
明軍は慶長2年、この地慶州に大集結した。
このとき、この佛国寺はすでに焼け落ちていたのか、それとも新羅時代の伽藍を留めていたのか・・・は、誰にもわからない。
ただ、今の韓国では、この戦いのときに加藤清正によって焼かれてしまった、と言い伝えられている。
元々、李氏朝鮮は儒教を国教とし、仏教を弾圧したので仏寺はほとんど残っていない。
しかし、この佛国寺はよほど大事にされたのか高麗・朝鮮時代に王命によって補修復元をされ、その後の改修と相まって今日に至っている。

寺内は大きく三つの区画に分かれていて、「法華経」「無量寿経」「華厳経」の世界が表されている。

朝9時過ぎ佛国寺に着いた。
平日でもあり、冬でもあるせいかバスから降りたのは私たちだけ。
入場料(4000w)を払い入場門から入る。



この門が当時から存在していたかは疑問だが、ここの門前にも売り込みする人たちがいた。

ちょうど少人数の日本人を引率してきたガイドさんがいて説明を始めた。この後も要所要所でそのガイドさんの説明が聞こえてきた。
このガイドさんも佛国寺は清正に焼かれたと説明していた。

入場門をくぐって進んでゆくと池があった。凍結していた。
凍っている池や水たまりを見ると人は訳もなく石を投げてみたくなるらしい。
ここでも例外なく沢山の石が氷の上に転がっていた。中でも写真の中で一番大きく見える石は、枕ほどもあるもので、何もここまで大きな石を投げなくても、、、と思ってしまった。


この池の先に天王門がある。
オチャメな四天王が迎えてくれた。



迎えられて喜んでいる人もいた。。。

韓国旅行vol7慶州(古墳群)

2010-02-19 03:40:58 | 
さて、寝る場所が決まったので次は食べ物です。

ここには「ヘジャン」という牛の首辺りの肉と野菜を煮込んだ料理が名物らしい・・・

二日酔いで食べると効果があるとか書いてある、さしずめ工○長向きというところか・・



アジュマが二人でやっている感じだ、日本語が通じないので持っていた本の写真を見せると黙ってその食べ物が出てきた。

壁に貼ってあった写真を指さすので良く見てみると、どうやらテレビに出たこともあるらしい。

それほど辛くはなく土地っこの食べ物ってこんな感じなんだろうなって黙々と食べていると、入口でアジュマが練炭でパジョンを焼きだした。

思わず食べたくなって



注文、ハサミを出してきたので切って食べた。

いざ勘定になっても言葉は全く通じない。

今回の韓国旅行で唯一お金を出して相手に取ってもらう支払い方法となった。

でも、正直なアジュマだから心配はしなかったよ。



このお店に向かう途中の道の両側に古墳がそれこそ山ほどあった。

右側は大陵苑で有料の施設なのだが左側は公園のようになっていて、誰でも入っていける。
だから、そこを通った。







大きさが大体わかりますよね、比較しているPも大きいですが、なにか?



二コブは男女が埋葬されているらしい・・・



道路の向こうに大陵苑が見える。

こういう丘というか山というか斜面を見ると登りたくなるのは、たぶん皆さんも同じ気持ちだろうと思うけど、さすがにお墓なので、それはできない。


残念なような気持ちでここを歩いて行った。


韓国旅行vol6慶州(オンドル)

2010-02-17 11:18:09 | 
「新羅国の歴史は、九百九十二年つづく。

 その始祖王といわれる王の在世が、紀元前一世紀、ヨーロッパではシーザー(カエサル)が活躍しているころだからじつにふるい。

 新羅は、高句麗、百済とともに併立して栄えたが、やがて他の二国をぬきん出るようになり、第二十九代武烈王のときに名宰相金庚信(キムユシン)が出て百済の討滅をはかり、唐と連合してそれを実現した。七世紀の半ば、日本の斉明・天智帝のときである。

日本は百済を応援して、白村江(ハクスキノエ)において唐・新羅連合軍の水軍とたたかい、大いに敗れた。おろかなことをした。

以来、天智帝一代をつらぬいている政治的心情は、国境環境についての恐怖心であった。」


                ―司馬遼太郎「街道をゆく2 韓のくに紀行」より




今回の慶州行きでは宿は現地調達と決めていた。情報誌を見ても沢山のホテルがあると書かれていたし、心配もしていなかった。

高速バスターミナルに着き、早速のお決まり客引きを無視してその裏手の方へ歩いてゆくと、あることあること向こう三軒両隣すべてホテル・・・

ただ、そのほとんどが「MOTEL」という表示。その佇まいも、、、いわば日本のラブホテル風。

なんとなく入る勇気も起きないまま街をなんとなく一回り、なんだかんだと言いながら「i」(インフォメーションセンター)へ。そこで紹介してもらったホテルに決めた。

ただ、「i」の話では、その怪しげな「MOTEL」全てが宿泊施設らしい。


さて、今回の目的の一つが「オンドル」の部屋。

幸いにも一部屋あいていて「オンドルスイート」63000wとのこと。



写真の手前にD Bedがあるので「スイート?」なんでしょうかねぇ・・・

部屋の置いてあるものは、冷蔵庫のポットの水に至るまですべて有料、うっかり手は出せません。

デスクトップのPCがあり、電源ランプも点灯していたのですが起動する気配なし。

窓は二重サッシですが、この部屋、夜になるほど部屋の温度が上がり寝てなんかいられない。

床の下から、ジワリジワリと空炒りされているような・・・いやぁ~な気分。そとは-10℃以下だと言うのに窓を開けて寝ました。

韓国旅行vol5慶州へ(高速道路)

2010-02-16 12:05:12 | 
三日目は慶州(Gyeongju)へ出発です。


新羅の古都、日本で言う奈良です。今回の目的でもあります。

日本は鉄道網が発達していますが、海外では鉄道よりもバスが発達している所が多いように思いますが、ここ韓国もバスが便利です。

高速バスを使って慶州まで4時間、あと1時間弱乗れば釜山に着いてしまうところです。

高速バスは一般(イルバン4席並列)と優等(ウドン3席並列)があります。

料金は優等が一般の1.6倍ほど高いのですが、それでもソウル~慶州で27800w(2200円くらい)です。



高速道路は日本と決定的に違うのはSA・PAが全くないことでした。

慶州までのちょうど中間ほどのところに一つだけあって、そこで15分間休憩します。

ちょうど昼時だったので、テクアウトでサンドイッチを買いました。




韓国風の具で中味の名前は覚えていませんが、結構イケてましたネ

最近はこういうものにお国柄が出ていますよねェ・・・


ずいぶん昔になりますが、シンガポールでKFCを食べたとき、スパイシーだったのでビックリしましたけど、今では普通なんでしょうね。。。


高速道路を走っていて気付いたことは、韓国の山には樹林帯と呼べるような樹木の繫りが殆ど見られなかったことです。

韓国文化では日本と同じように瓦を使ったり、宮殿のような木造の大建築もあるわけですから、森が無いはずはないのでしょうけど、、、不思議でした。

地質が岩盤のために育たないのか、また日本のような植林の文化が無いのか・・・?

瓦を焼くためには大量の木材が必要だし、もちろん宮殿建設には大木が使われているのに・・・。


もう一つはお墓でした。

ありとあらゆる山の斜面の良い条件の場所に、あの可愛らしい「土饅頭」のお墓が沢山ありました。

これから向かう慶州にも時の大王たちの大きな「土饅頭」があります。

日本では前方後円墳(権力者だけですが)が今日の墓石へと形を変えてきましたが、韓国では基本的に庶民にいたるまでその形を変えずに今日に至っているのは、とても面白いことだなぁ・・・って感じました。

韓国旅行vol4(明洞~東大門)

2010-02-14 18:44:21 | 
二日目は予てからの希望だったらしい民族衣装を着ての写真撮影のお付き合いです。


この趣味、男の私にはとんと理解できませんが、楽しみのようなんですねぇ・・・

2時間近くで撮影は終了するのですが、最後に「サービスです」と断りがついて手持ちのデジカメで写真を撮ってくれます。

それがこれ



無理やり笑顔を造ったので顔が引きつっちゃいました。。。


で、念願かなった後はお昼ごはん

明洞(Myeongdong)で撮影したので、近くのワインで漬けてあるというサムギョプサルを食べに行きました。



しかし、焼き肉は「鶴橋」には負けますなぁ・・・

冷麺が食べたくなったので注文



こいつは旨い。

冷麺は日本であまり美味しい物を食べた記憶がないので、つい敬遠してしまうけど、こちらで食べたものはいままで全て当たりです。



さて、腹が一杯になったので御用達の化粧品店へ。

立川に住んでいたという若いお姉さんの接客が上手くて大量の買い付け



お肌の曲がり角が過ぎると、いろいろ大変なんですなぁ・・・


この重量を背負って再度、東大門に向かいます。

昨日は月曜で休館していた建物に目指す店があるので、そちらに・・・・

その店とはネイルショップ。

私の爪は縦に細かい皺がたくさん入っています。年齢からくるものも沢山原因の中にはあるのでしょうが、爪が割れて仕方ありません。

特に冬山では必ずと言っていいほど痛めるので、出来るだけ爪を切らずに手入れ出来る道具と、保護のためのマットのエナメルを求めにです。


商売人が買いに来る店なので、その量と種類に圧倒されました。とりあえず必要なヤスリ系は見つかったんですが、エナメルはマットのものはありませんでした、残念。

腹ごなしを兼ねて、あっちの店こっちの店とキョロキョロしながら歩いて広蔵市場へ。

ここの屋台が連なる交差点にビビンパの専門店があります。

店頭に10数種類の野菜が並んでいて、それをご飯の上にどんどんのっけてくれます。



肉も魚も入っていません。

ベジタリアン用のご飯ですな・・・

これにあちらの方々は青唐辛子と辛子味噌をドドーーンと入れて食べるのです。

私も青唐辛子を齧ってみたのですが、、、、、

ヒィエェーーーって感じで、汗が、汗が、、汗が、、、止まりません。


ご機嫌で飲んでいた隣のアジャッシが焼酎を勧めてくれました。