malのあっちこっちブログ

山・旅・料理。。。

気ままに、気張らず、、出来ることを、、、

EGYPTへの旅・・・8 (NILE CRUISE)

2010-11-30 21:39:29 | 
ナイルクルーズはASWANとLUXORを基本的に2泊3日で走る。

ASWANを1330に出発してLUXORに1700頃着いた。その日は船に泊まって翌朝チェックアウトする。

船中3泊したい場合は、出港前か到着後の一日を船で泊まると言う事になる。

アタシ達はほとんど滞在した記憶が無いホテルを2泊でチェックアウトして、船に出港前泊を含めて3泊することにした。

チェックイン時間の昼過ぎに乗ると、ランチからが船での滞在時間となる。
ここからがNILE CRUISEなのだ。

まだ先客もまばらなダイニングに入る。マネージャー氏が席を決めて案内してくれる。

この席決めだが、後で考えると、ただ空いている席に案内した訳ではなく、その席で9食食べるので、団体客とは分け、尚且つ、同じ言語圏同士が隣り合ったり、同席するように配慮されて決められたように感じた。

その日乗っている乗客の情報と、いつ誰が来るかも分からない状況の中で、来た客を瞬時に選別してテーブルに案内するこのマネージャー氏はさすがにプロだと感じた。

そういう意味ではアタシ達東洋人は、欧米人に比べて語学力に難があるので、苦労するんだろう。。。

アタシ達はほぼ中央の席に終始二人で座ることができ
                 

静かに食事を楽しむことが出来た。


しかし、メンバーが変わらない船の旅では、誰かと同席して食事するのも楽しいことだったかもしれない。



食事は3食ともバイキングだった。

初日のランチはそれまでの野菜不足を解消するように





                 

で、楽しんだ。。。


んが、、、これだけで終わったわけじゃあない、当然だが・・・



肉を食わない訳が無い。。。


バイキングなんて・・・・・食欲の無い人にはいいかもしれないが、、、

食欲旺盛な人達には、、、

                  

                  こんな笑顔を提供しちゃう。。。





腹が一杯になったんでデッキでくつろぐ

              

見慣れたASWAN NILEだが・・・



この景色とも明日にはお別れだ。



Pはショップのお兄ちゃんと仲良くなって

                  

                  早速写真を撮る。

オリジナルTシャツを作る約束を半分くらいした気がするが、3日も居る間にその気は無くなった。
その代わり、砂漠で日除けに使う綿のマフラーを買った。




船は動いていないが、夜はヌビアン(ヌビア人)ダンスショーがあって、大いに盛り上がった。



                 






因みに、船を決めるために渡り歩いて(文字通り)居た時、乗客が水を大量に購入して帰ってきたので、アタシ達も12Lの水を買い込んだ。
3泊4日でぴったりの量だった。

EGYPTへの旅・・・7 (ASWANの街)

2010-11-29 22:53:38 | 
国内の話ですが、26日の金曜に神戸で関西支部の忘年会があったので参加をしてきました。

写真の取り込みをしようとしたところ、エジプトの写真がまだカメラに残っていたために、今アタシが使用しているPCでは容量が大きすぎて簡単に取り込むことが出来ません。

何度か試みたのですが、結局上手く行かず、今日は諦めました。

っで、エジプトの続きにします。




アブシンベルのロングツアーから戻って、休むまもなく食事と、ナイルクルーズの船の予約に出かけた。

何しろ明日以降の宿も乗り物も何の手配もなされていない。
ASWANの用事は済んだので、次はナイルクルーズ。
何としてでも船を見つけなくてはと、ホテルに近いほうから順番に船に乗り、レセプションに行って、出港日と値段と部屋と船の雰囲気を確認して回った。

歩いている途中で結婚式に出会った。

新郎新婦はまだ現れては居なかったが、車が用意されていた。



どこの国でも、この新婚車両は同じと見える。


何隻目かの船で凡その検討が付いたので、明日の朝決めることにして、昨日入りそびれた店に入った。

                



注文したのは


チキン1/2


                
                マトンのケバブ




コフタ



               
               ライス

こっちのライスは、このようにサフランで色が付いている。

どう考えても一品多かったが、食べきった。




考えてみれば、ASWANに朝の9時頃に着いて、翌朝の2時半起床でアブシンベルに行き、
帰ってきて、シャワーを浴びて船探しをして腹ペコでの飯だっけ・・・

山から下りてくると動物性脂肪が欲しくなるのと同じか。。。





翌朝はこのホテルをチェックアウトして船に移動する。

でもその前にルクソールから紅海沿岸のシャルムエルシェイクへの飛行機を予約しないと。。。


朝、ナイルを眺めながら、移動のためのパッキングを始めた。


大体整理が出来たので、朝飯を食べに行く。

                 

この笑いって・・・・・あきらめた。。。?



EGYPT Airに行く。

シャルムエルシェイクへの直行便は満席だ。
ビジネスが空いていたが高すぎて手が出ない。
以前にも書いたが、この国の航空券は時間と日にちで価格が違う。

船中3泊するので4日後の2355のカイロ行きを取った。
ルクソールは王家の谷やハトシェプスト女王葬祭殿、ルクソール神殿やカルナック神殿など見所満載で時間はタップリあったほうがいいだろう。



10時、ホテルのレセプションに行く。
チェックアウトと前日、ホテルにも頼んでおいた船を見に行くためだ。
出発前、値段を確認すると50$/人/日と言う。
アタシ達が直接船で確認して回った値段と変わらない。あとはどんな船か興味があったが、つれて行かれた船は前夜アタシ達が目星をつけていた船と偶然にも同じ船だった。

あとは彼らの取り分分配の話し合いだ、好きなだけすればいい。

予定の部屋を見せてもらう。昨日確認したのと同じだ。フロアーがレセプションと同じだったので、アッパーデッキの部屋は無いか?と聞くと、あるが10$増しと言う。
日本で考えていたよりも低予算で済んだので、ここは10$奮発してアッパーデッキの部屋にした。




12時過ぎ、船にチェックイン。

お土産を探しに、、、と言うより、昨日壊れたサングラスを買いにスークに向かう。

スペアーのサングラスは持っているので困らないのだが、サングラスマニアのアタシはこの機会に新しいものをゲットすべく、積極的に探し回るが、、、


どこの店でも同じようなものばかりが置いてあって気に入らない。

気に入らない以前に、顔に全然Fitしない。
どこの国でも合うモノはあったのだが、この国にはひとつも無かった。

追いかけてきてまで、「コレはどうか?」なんて持ってきてくれたオヂチャンも居たんだけど・・・

EGYPTへの旅・・・6 (アスワンハイダムとイシス神殿)

2010-11-25 06:07:53 | 
アブシンベルへのツアーはロングコースと呼ばれるアブシンベル~アスワンハイダム~イシス神殿~オベリスクと回るコースとショートコースと言うアブシンベルだけのツアーと2種類あるのだが今回はロングコースを選択した。



ASUWAN HIGH DAMは1970年に当時のソ連とドイツの協力によって完成した。
全長3600m、高さ111m。それによって出来たナセル湖はスーダンに達し、面積は琵琶湖の7.5倍と言う。


              

説明板もしっかりあった。

発電方法は落下型ではなく、流水方法によって行われているようだ。


下流側は今も何やら工事らしい状況でダンプが稼動していた。





上流のナセル湖側は全長500kmにも及ぶ人造湖だ。
           


黙って車で走っていたらダムとは気づかないかもしれない。







ハイダムの後でイシス(フィラエ)神殿に向かった。
この神殿はアスワンダムとハイダムの間にあったのだが、やはりハイダムの完成で水没することになったので、フィラエ島から現在のアギルキア島へドイツの協力で移築し1980年に完成した。

ここへ渡るためには当然船で行くわけなのだが、ツアーのガイドもドライバーも地元の人間は誰も交渉はしない。
ここも全て渡りたい人達が勝手に交渉することになる。




膨大な船の中から適当なのを見つけて、出来るだけ正直そうな奴と交渉する。

マイクロから降りて、真っ先に船着場に行ったとき先着していたフランスかドイツ人と韓国人のグループが既に交渉中だったので、その中に加わった。

その内、別の日本人が数名来てなんだかんだやってるうちに交渉が纏って乗り込んだ。

本では1艘45£E(675円)、7人以上で一人4.5£Eと書いてあったのだが、今回の旅行で唯一、本通りの5£E(75円)で乗ることが出来た。





船に乗って神殿に行くなんて、中々良い。

                   



やがてイシス神殿が真横に見えてきた。



やがて船着場に船は着いた。





この神殿は古代エジプトの末期王朝からローマ支配時代、そしてコプト教と様々な時代に使われてきた経緯を持つ。





                 




塔門もかなり大きなものだが、その後の異教徒によってかなりの部分が削り取られていた。





この状況はエジプトの他の遺跡でも同様だった。

この世界で一番残酷なのは、宗教観の違いだと常々感じていたが・・・


レリーフも素晴らしい





が、削られている。



柱にもコプト十字が・・・



                 

床には祭壇と壁にはニッチも穿ってあった。





EGYPTへの旅・・・5 (ABU-SIMBEL)

2010-11-24 06:19:50 | 
アブシンベル神殿(ABU SIMBEL TEMPLE)

たんにABU SIMBELとか、

チケットにはABU SIMBIL TOW TEMPLESと書かれている。

-(ハイフォン)があったりなかったり・・・いかにもエジプトらしい。。。




今回の旅のアタシの目的の一つでもある。


0230起床、0330ピックアップ。

アチラコチラのホテルを回ってマイクロバスの補助シートまで使って客を詰め込む。
まだ夜明け前の街外れの集結場所に行く。

ABU SIMBELへ行くためにはコンヴォイを組んで行かなくてはならないらしい。
聞いたところでは前後を警察車両が護衛して走る、というような話だったが、現実は集結した車両のナンバーを無線で各チェックポイントに送って、そこを通過するたびに確認してゆく、というやり方だった。

何年か前に、ハトシェプスト女王葬祭殿でテロがあって以来、各地での検問が厳しくなったんだそうな。


話はチョット逸れるが、とにかく至る所に警官が居る。
公共施設と観光地は全て、それ以外に銀行、ガーマ(モスクはエジプトではこう言う)、あらゆる道路にいる。

何でも警官にもランク(階級ではなく)があって、銀行とかガーマとか街角とかに居る人達の給料はかなり安く、そのためにバクシーシと呼ばれるチップを要求するんだそうな・・・

アタシはこの地に来て、混沌・喧騒・無秩序を感じた。
そして産業の無い国とも感じた。
そのために政府は雇用促進の意味合いから大量の警官を雇用したんだろうと考えた。
しかし、その給料の資源は簡単には生み出せない。都合の良いことにこの国には、バクシーシと呼ばれる持てる人が持たざる人々に分け与える喜捨の習慣がある。よってその習慣を利用して足らない給料を稼ぎ出せばいい・・・そう考えているんじゃないかと思ってしまった。

この国以外の世界では、警官に金銭を渡せば、基本的に収賄となるはずだ。
それが悪いことではない、というこの習慣で犯罪の摘発って出来るんだろうか?
この国が5000年前の栄光を取り戻せない理由が、そんなところにあるんじゃないのか・・・そんなことを考えてしまった。



夜明け前の街を抜けて砂漠に入ると、そこにある明かりは車のライトだけ。
対向車もほとんどない砂漠の道を100kmを超えるスピードでマイクロバスはぶっ飛ばす。


やがて東の空から夜が明け始めて陽が昇ってきた。

                  




視界が利くようになると砂漠も平坦ではないことに気づいた。


何でもここエジプトの砂漠は砂砂漠は少なくて、岩やガラ、石などの砂漠なんだそうだ。

砂漠のアチラコチラに岩山っぽいのが見えてきた。
かなり遠方から見えているので、大きな山かな、高い山かな・・なんて思っていたが、実際近くでみると数メートルから精々20メートル程度しかないことが分かった。

やっぱり平らなんだよ、基本的に砂漠は。



数ヶ所のチェック関門を通って、やがてコンヴォイはABU SIMBELの駐車場に着いた。
イメージしていなかったのだが、そこは湖の側だった。
                   

アスワンハイダムの建設に因って水没してしまう遺跡を移築したことは知っていたが、その移築場所が元の場所の真上60mだったとは今回初めて知った。
であれば、間際に水があっても不思議ではない。


チケット売り場に向かうと、入場ゲートはチケットを買う必要の無いツアー客が並んでいた。


個人旅行者はこうして並んで切符を買う。
                   

この施設のある周辺はオアシスのようになっていた。


そういえば、来る途中でも一部緑化されているところがあった。
日本のODAかもしれないなあ・・ってボンヤリ眠い頭で考えたのを思い出した。
乾燥している土地なので、気温がかなり高くても日陰があれば涼しい。
一面砂色の砂漠の中にある緑は美しい。生命を感じさせる。



岩山を回りこんで緩やかなくだりに差し掛かると、前方にネフェルトアリの小神殿が見えた。


と言う事は、回り込んだ岩山がラムセス二世の大神殿、ABU SIMBELと言う事だ。
入り口の角度が偏角なために見えない。

下りきるとABU SIMBEL大神殿があった。


この人
             

ラメセス二世が約3300年前に作ったんだそうな。
サッカーラにも15mを超えるこの方の像があったし、顕示欲の強い方だったようで・・

それにしてもハンサムですよね。。。

正面に

4体の高さ20mを超える本人像がある。

こんなレリーフや

ホルス神の象徴であるハヤブサ


ラムセス像の上には日の出を喜ぶ22体のヒヒが居るんだけど・・・

見えない。

レリーフも素晴らしい


シリア人の捕虜


こちらはヌビア人の捕虜。顔も体つきも違う。




大神殿を出て小神殿に向かう





小神殿ったってデカイ。

正面にラメセスとネフェルトアリが2体づつ、そして足元には彼らの子供が居る。
            


この神殿には大きな木の扉が設置されているが、その鍵が古代エジプトのレリーフに出てくる鍵を模したものになっている。
観光客がその鍵を珍しがると、持たせてくれる。写真を撮ったりもしてくれる。すべてバクシーシに通じる。


そんなABU SINMBELではあったが、素晴らしいものだった。



そして、この移築事業を遂行したユネスコを賞賛せざるを得ない。
遺跡は岩山ごと大小1500を超えるピースに切断され、運び出され再構築された。

この遺跡が発見されたのが1813年とのことだが、この神殿の至る所に発見者やそれに従事した関係者の名前が無数に刻まれていたのには大いにがっかりした。


EGYPTへの旅・・・4 (ASWANでフルーカに乗る)

2010-11-23 09:39:59 | 
ナイルで船と言えばナイル クルージングかフルーカ。



このヨットのような船で風任せ、移動手段や漁などをやっていたらしいが、今ではもっぱら観光客相手の商売のようだ。



今度の旅行では、旅の思い出にと日記をつけていたのだが、このフルーカには


たったこれだけの記述しかない。



曰く「一時間100£Eだったが最終50£Eに」

「キャプテン イサーク」

「おしゃべり さわり魔」

「息子ムハンマド ○ンコした!!」





このフルーカは出発前からPが大いなる希望を抱いていた乗り物だ・・・

動力を持たないこの船に揺られてナイルのサンセットを見に行く。。。。

う~ん、ロマンチックな響きだねぇ・・・

しかし、このイサークの奴、サービス精神からか、そのうるさいこと夥しい。。。



とにかく、交渉成立して出帆した。



泊まっているホテルが見えてきた



これがムハンマド


古代エジプトやローマ支配時代の貴族たちの墓群

岩窟墳墓群と言う


西岸の聖シメオン修道院とアガ・ハーン廟が見える



アガ・ハーン廟

イスマーイール派の最高権力者で第48代イマームで1959年没


海上バスというかフェリーと言うか、、民間用ボート

対岸を結んでいて一人7.5円から15円。




風に揺られて、のんびりナイルに浮かぶ島を巡る










製作途中のこんなものや



ナイル川には欠かせないナイロメーターが見える





ナイルサンセット










言葉にならない。。。




すばらしい2時間だった。

うるさかったけど・・・・・






裏話:途中、ムハンマドが○ンコしました。
もちろん、イサークにしたいと伝えて、自然のトイレに放流したのであります。
ここまでは、まあ日常の出来事。

直後、ムハンマドは脇に手を添えられて腰から下をナイルの水の中にポチャン!

ナイルの水は思っている以上に冷たいんです。

ムハンマド、ベソかいてました。








EGYPTへの旅・・・3 (ASWAN)

2010-11-22 07:47:17 | 
ASWANの中心部はナイル川に沿って走るコルニーシュ通りと言うメインと、それと平行してスーク通りと言う商店街が



およそ1.5kmほどの長さで通っている。


そのスーク通りの南端に近いところに最初に当たりをつけた「Phirae」というホテルがあるので、タクシーはそこにつけてもらった。

入るとフロントに、らしくないお嬢さんがいた。
「Hello!」と声をかけて入ってゆくと恥ずかしそうにマネージャーっぽい30代前半と思しき男性を呼びに行った。
話の中で、このお嬢さんがこのマネージャー氏の娘さんだと言う・・・う~ん、勘定が難しいけど、、、まっいいか。。。

部屋は70$と言う。部屋を見せてもらったがたいしたことは無い。高いから他をと言うと30$の部屋を見せてくれた。

本によると、このホテルの相場は150£E(2250円)程度。もう他を探そうかと話していると向こうから50$でどうかと言ってきた。
飛行機を乗り継ぐこと16時間、空港で6時間、そして再度飛行機で1時間15分、タクシーで揉めてやっとたどり着いて50$(4250円)。もういいかって感じで決めた。

ところがここでもエジプト問題が・・・

下見の時に出なかったお湯(絶対ダイジョウブと自信を持ってマネージャー氏は言っていたが・・・)がルームメイク後も出ない。
朝食を食べながら待っていたのに、、、である。

ここで、さすがにPちゃんが怒って荷物を持ってフロントに降り、「約束が違うからキャンセルする」と言うと、マネージャー氏以下、ルームサービスの女性陣総出でああだの、こうだのやった挙句、「出ました!」と言ってきた。こういうときの彼らは自信顔で言ってくるが何故だろう・・・

気力の萎えたアタシを残してPがチェックに行くと、熱いお湯が出ているらしい。

そんなこんなでホテルに着いて2時間後、やっと便座に座ることが出来た。


やっと落ち着いた部屋からPが水を求めにフロントに降りてゆくと、
ルームサービスの女性が「What's Happening?」と聞いてきたんだそうな・・・

俺達って、、、トラブルメーカー?



シャワー後、フルーカ(地元のヨット)に乗りに行ったが、この話は別項で。。。


フルーカの後、ASWAN駅の側までフルーカをつけてもらって駅のほうへ歩いて行った。

駅からナイル川を振り返ると


キレイに見えるけど・・・キレイじゃあ、、、ナイ。。。


目的の店は何となくまだ営業前って感じだったので、面倒くささが先に立って駅前のオヤジの呼び込みの激しい、気の進まない店に入った。

エジプトで最初の食事で頼んだ料理は



ケバブと呼ばれる羊の串焼きと


コシャリと言う庶民の味

レンズ豆とヒヨコ豆、米とパスタ、それに揚げた玉ねぎが入っていて酢と辛味ソースとトマトソースをかけた物。

街角で、店の中で、至る所で、このプラスチックの入れ物に入ったコシャリも彼らは食べていたけど、オイラはどうにも馴染めなかった。

コフタと言うミートボール

ひき肉を練って串に刺して焼いたもの

トルシーと呼ばれるピクルス

なんだけど・・・塩っ辛いだけで、旨くない。。。


そして主食のアエーシと言うパン。
旨いものもあれば、不味いものもある。
誇りだらけの街角で膝より下に並べて売っていても、、、食べたくないよね。。。



っで・・・



エジプト旅行の目的の一つ
ナイル川でのフルーカの話は、ア・ト・デ。。。

EGYPTへの旅・・・2

2010-11-20 21:03:48 | 
Terminal3に着いて2階の出発ロビーに上がるとEGYPT Airのオフィスが開いていた。
フライトスケジュールを見ると24時、25時、26時、28時と出発便がある。
眠らない空港だ。
オフィスでコンファームもできたので安心して3時間ぶりに椅子に座る。


今回は成田~カイロ、カイロ~アスワン、カイロ~成田の航空券だけ予約をし、途中の飛行機、船、列車、バス、宿と全て現地調達で出発した。

待合ロビーには寝ている人もいたので、とりあえず横になって仮眠した。

すぐ寝息を立てるPを横目に繊細なアタシはウトウトしかできない。

やがて搭乗手続きが開始されたのでセキュリティ ゲートに向かった。
スキャンで引っかかる。

コレは何か?とスキャンデータを見せられて聞かれるが、なんだか分からない。
中のものを全部出して原因が分かった、ヘッデンだった。ヘッデンとそのバッテリーだった。
しかし、そのヘッデンを取り出しても彼らは分からないらしい。頭につけてスイッチオン・・・納得して通してくれた。


この国の国内線は時間帯によって料金が違う。モチロンこの時間帯は最安値だ。そのせいか満席だった。

およそ1時間15分でアスワンに到着。




見渡す限り砂漠だ。

ザックを引き取って



トイレに向かう。と、入り口から3mほど離れて人が立っていたが、順番待ちとは思えなかったのでドアを引いてみると中から鍵が掛かっている。
振り返ると、彼が「一人ずつ・・・」と笑った。
空港のトイレが一人用?・・・
納得できないアタシは他を探す、が無い。
戻ってみると4人ほどに増えている。が、さっきから入っている奴は出てこない。

とその内、列が崩れて婦人便所を利用する人が現れた。
Pが誰もいないから使ってダイジョウブだよ・・・と、お言葉に甘えて入ることにした。

使用後、身づくろいをしていると、隣のブースで使用後の音がする。
アタシよりも前から入っているわけだから男か女か確信が無い。よって、しばし待機状態でいた。
音がしなくなったのでブースから出ると、そこにオバサンが立っていた。
一瞬ニラまれた気がしたが、そのまま下を向いて足早に退去した。


エジプトの地を踏んで凡そ9時間、かなりクタクタで外に出ると、そこにタクシーと言うエジプトの洗礼が待っていた。



ここアスワン空港はタクシー以外に個人旅行者の移動手段が無い。要するにバスも電車も無い。タクシーの天下って訳だ。

本には空港から市内まで25~30£E(エジプシャンポンド1£E=14.5円)と書いてある。
早速値段を聞くと100£E(1500円)と言う。
ドルでと言うと20$(1700円)か90£E(1350円)だと言う。なんだかこいつ等のレート感覚がぜんぜん分からない。
着いたばかりなのでエジプトの紙幣は50£E札しか持っていない。おつりはもらえないからドルでの交渉に入った。

15ドルと言うと18ドルと言う、再度15ドルと言うと17ドルと一味(一味というのは、この交渉の最中、トイレで時間を食ったせいか個人旅行者が誰も居なくなっていた。そのため、この交渉の場に他のタクシーの運転手から訳の分からん口入屋みたいな奴まで加わって一味の総勢4名)、いい加減腹が立ってきたので「じゃあもうイイ!」と動いたら15ドルでOKと言う。
こいつ等・・・・と思いながらも車に荷物を積み込もうとしたところで、アメリカ人のバックパッカーがシェアリングしないかと言ってきたのでOKと返事をしたところで騒動となった。

まず最初、タクシーには2人しか乗せられないと言う。その内、ライセンスを取り上げられるだの、訳の分からんことを一味総出(この時点で5~6人)でワアワア言ってくる。
こっちも4人でふざけんな、そんなばかげたルールがあるか。どうしてこの車に4人乗れないんだ。とガアガアワアワア10数分、ついに力尽きた。
アメリカ人が「ありがとう、もう行ってくれ」と言う。
腹も立つけど疲れ果てたアタシ達も不愉快にタクシーに乗り込んだ。

空港から市内まで約30分、途中オールドダムと呼ばれるアスワンダムの上を通って



アスワン市内に入ってゆく。


これから宿探しのアタシ達は取りあえず目当てのホテルの前にタクシーを止めてもらい15ドルを渡して車を降りた。

前はナイル川






幸運にも1件目のホテルで決めることが出来た。

そして、ちょうどロシア人のグループが朝食中だったので、頼んで朝食を摂ることができた。



そして、そして、、このコーヒー、、、ネスカフェだった。そして2杯目はナント有料。。。

ところ変われば品変わる、、、とは分かっていたけど、ホテルでコーヒーのお替りが有料なのは初めてだった。

EGYPTへの旅・・・1

2010-11-20 19:36:44 | 
二ヶ月前、今度の目的地は突然決まった。


今回も一番安かったアエロフロートを利用した。帰りにシェレメチェボで14時間のトランジットがあったので、事前にロシア大使館でVISAを取った。



日本から16時間半行きのトランジットを含めると18時間半でカイロに到着。




まだロシアがソ連邦だった時代、欧州や中東へはアンカレッジ経由の北周りか南回りというバンコック、ジャカルタ辺りとテヘラン辺りを経由して入るルートしかなかった。

思えば地球も狭くなったものだ。。。



ここ3年ほど旅といえばザックで出かけている。両手が使えて便利なのと、運搬が楽な理由からだ。

しかし難点もある。
まず第一に非常に汚れる。
第二に、引っかかる形状のために破損する可能性が極めて高い。
事実、一度サイドを締めるテープが引きちぎられて保険を使って直したこともある。
そこで今回はビニール袋を事前に用意して、それに入れて積み込んだ。



結果は成功、それでもビニール袋のアチラコチラで穴が開いてはいた。。。



さて、今回の旅の唯一の教科書は「地球の歩き方」

しかし、ここカイロ国際空港の記述が非常に分かりづらい。
その理由は、この空港の「広さ」と、そこを走っている道路の複雑さ、そして各ターミナルにある数字のついた出発棟と到着棟を記述していないからだ。

まず国際線は第一と第二ターミナルで出発・到着を扱う。第一と第二の違いは地域だ。
第一は欧州、第二は中近東・アジアかと思う。
そして第三は国内線。
アタシ達はモスクワから到着したので第一、乗り換えは国内線なので第三という訳だ。

今回はカイロから一気にASWAN(アスワン)へ行くことにしていた。
カイロ着が21:45、ASWANへの出発が0445、テントを張るわけにはいかないが、得意の仮眠で一泊分浮くって訳だ。
この時期カイロの平均気温は27~8度、最低が17~8度。チョット寒いけど準備は万端、早速インフォメーションのオジサンに第三ターミナルへの行き方を聞くと、

「ブリッジを渡るとシャトルバスの乗り場がある」と早口の巻き舌で教えてくれた。

外へ出ると正面には煌々と明かりがついた建物からなにやら激しいリズムの音楽が聞こえてくる。


外へ出ても分かりにくいのでタバコを吸っていた警官に聞くと「そこ!」と言う、そこに行って待っているらしい若者に聞くと「ここ!!」と言う。

待つことしばし「Terminal1」と表示したバスがやってきた。乗った。と、すぐ隣の建物で止まった。
建物の表示は「Departure Hall1」。降りる乗客に聞くと「降りろ!!!」と言う。
降りた。
警備の警官に「To ASWAN?」と聞くと「Year!Year!!」と答える。中に入ってモニターでスケジュールを見ると全てが国際便ばかり。
別の警官に聞くと自信がないのか上官を連れてきた、聞くと、シャトルバスでTerminal3へ行け!と言う。
不機嫌になってさっき降りた場所に戻ろうとするとPがさっきの建物じゃないのか、と言う。
隣の建物だったらシャトルバスで行けとは言わないだろう・・と反発したが、いつも旅に出かける前に「仲良くしようね」と言う手前、反面、自信もないので戻った。

もう一度、本と首っ引きで検討する。やがて、どうやらこの空港は広くて、Terminalの中にDepartureHallとArrivalHallがあるらしいことが分かった。

不安に駆られながらバスに乗る、と、大きなバスターミナルに着いた。ウロウロして見ながら降りる乗客に「Terminal3?」と聞くと身振りで降りろ!と言う。
迷っていると美人が乗り込んできた。再度聞くと、完璧な英語で、ここは市内に行くバスの乗り場でTerminal3はこの先と教えてくれた。

だだっ広い敷地を何故か右に左にグニャグニャ曲がりながらようやくTerminal3に着く。

Terminal3に着いたとき、日付は11/30に替わっていた。。。