久しぶりに、ざまをみろ!です。
VOL.43 『記念日』
MYOJOでは、1998年12月号(10月発売)
この文章は、開放区にもあって(Vol 60)、September 1998とあります。
自分にとって、大切なイベントでも、何月何日だったかまでは忘れていることが多い。
でも、誰と一緒だったかは覚えてる。
その時の絵も、音も鮮明に覚えてる。
数字を覚えてるのでは無く、誰と一緒だったかと絵と音を鮮明に覚えてるって言うのが拓哉君らしい。
確か、誕生日だから、記念日だからと、その日にイベントをするのでは無く、
その人を思ったとき、思いついたときに、何かを贈りたいっていうのも話してた覚えがある。

その人と出会えた日が、僕の記念日・・・素敵だね。
連載の時の写真は

単行本開放区では、

同じ場所に座ってる写真だけど、一枚は、まだ来ないかな?と待っているような視線。
あと一枚は、あ、来たね。って・・・そんな感じかな。まとってる雰囲気も違うよね。
この後、すぐ、「眠れる森」の直希になるんだね。
同じ時期の、MYOJOでの特集の中から、2枚。


VOL.43 『記念日』
MYOJOでは、1998年12月号(10月発売)
この文章は、開放区にもあって(Vol 60)、September 1998とあります。
自分にとって、大切なイベントでも、何月何日だったかまでは忘れていることが多い。
でも、誰と一緒だったかは覚えてる。
その時の絵も、音も鮮明に覚えてる。
数字を覚えてるのでは無く、誰と一緒だったかと絵と音を鮮明に覚えてるって言うのが拓哉君らしい。
確か、誕生日だから、記念日だからと、その日にイベントをするのでは無く、
その人を思ったとき、思いついたときに、何かを贈りたいっていうのも話してた覚えがある。

その人と出会えた日が、僕の記念日・・・素敵だね。
連載の時の写真は

単行本開放区では、

同じ場所に座ってる写真だけど、一枚は、まだ来ないかな?と待っているような視線。
あと一枚は、あ、来たね。って・・・そんな感じかな。まとってる雰囲気も違うよね。
この後、すぐ、「眠れる森」の直希になるんだね。
同じ時期の、MYOJOでの特集の中から、2枚。

