日銀券を増刷して日本国を救う村島定行のBlog

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古事記1300年、①一夫多妻の時代で美人が尊重され、ブスは返されるのが普通。

2012年07月10日 | 日本語
 今年は古事記1300年祭に当たっている。古事記は712年に編纂されたが話は古事記の書かれた時から400年前の大和朝廷が出来る前後の話がまとめられている。従って1300年前の話ではなく1700年前の話である。
 それで古事記の中から面白い話を紹介しよう。まず男女関係は言うまでもないが一夫多妻の時代である。皆正直で可愛い子をすぐ好きになり、ブスはそうではない。大抵ブスは返された。返す方は何のためらいもなく返すが返された方は面目をなくし、死さえ考える。この点は現代的であるがブスをためらいなく返す点が現代人にはなかなか出来ない。
 天津日高日子番能邇邇芸能命(ニニギノミコト)が笠沙の御前で麗しき美人(をとめ)に会われた。お前は誰だと問われると「大山津見神の女、名は神阿多都比売、亦の名を木花佐久夜比売(コノハナサクヤヒメ)と言う」と答えた。ニニギノミコトが結婚を申し込むと「私は答えられません。父が答えます」と答えたが父の大山津見神は大喜びで姉の石長(いわなが)比売もつけて二人の娘を輿入れさせてきた。ところが姉の石長比売はひどく醜いので妹の木花佐久夜比売だけを残して姉は返してしまったとある。
 次のような例もある。垂仁天皇の皇后沙本比売(サホヒメ)が死ぬときに「私が死んだ後は丹波の比古多多須美智宇斯(ヒコタタスミチのウシ)の王の娘達は浄き公民だから召されたらいいですよ」言い残していたが后の遺言に従って、4人の姉妹、比婆須(ヒバス)比売、弟(オト)比売、歌凝(ウタコリ)比売、円野(マドノ)比売を召されたがを若い二人は甚だしく醜いと言う理由で丹波に戻された。還された方の円野比売は「同じ姉妹の仲に姿醜きをもちて還されし事は隣里へも知られてしまう。いとはずかし」と言って死んだ。
 古事記の時代は女が見目麗しいのが価値があると言うのは今と同じである。当時は醜いという理由で平気で断ることが行われていて断られる相手の気持ちを考えることはしなかったように見える。誰もが正直に気持ちを出せる時代であったと言えようか。
 
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