先ほど、昨日お話した「かつて円が強かった時代」にご意見が寄せられました。
ご意見を頂いだ「YATE」さん、どうもありがとうございます。
僕としてはJリーグ創世記の1993年から95年ごろまでは、バブル経済の余韻もあり、外国籍選手と日本人選手に支払われる金額が、現在よりもはるかに高額であり、特にヴェルディ川崎が三浦知良に提示した
「2億5千万円」
は、1993年の欧州最優秀選手のロベルト・バッジョよりも高額提示だったのです。
ですから「円が強い」ことで、南米と欧州問わず外国籍選手が来日を決意する要因になったと判断したんですね。
当時はまだ統一通貨ユーロではなく、フランスはフラン、イタリアはリラ、スぺインはペセタ、ロシアはルーブルと各国で通過を所持しており、当然優位に立つのはドイツマルクでしたね。
少なくともプロが出来たばかりの極東が、有名無名の外国籍選手に提示する金額は、やはり高めだったのではないでしょうか。
ガンバ大阪 メトコフ ブルガリア代表
浦和レッドダイヤモンズ ルル チェコ代表
サンフレッチェ広島 イワン・ハシェック チェコ代表
に代表される「通好み」の選手は、極東という未開の地に関心はあったと思いますが、報酬と諸条件も満足のいく提示だったに違いありません。
という考えから、あの内容になった次第です。
また呼んで頂けたら幸いです。
本編に入ります。
森保一日本代表監督の続投が正式決定し、現在会見が行われている模様ですが、2026年までの任期を真っ当すれば、8年間という日本代表監督としては未知の領域ですね。
目標である8強に届かなったことを踏まえ、僕は続投はしないと想像していましたが、指揮官にはむしろ「やり残した」と思えたワールドカップだったのでしょう。
ただ8強に届かなかったことの反省は、もっと踏まえた上での続投ならばもっとよかったと思います。
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