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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

米国に見られる特有の価値観

2021-11-28 19:07:09 | 日記
 日本野球はアマチュアでもプロフェッショナルでも、投手は常に完投勝利を目指すべきと考えられます。

 一方で米国は投手の肩を考慮し、先発と中継ぎ、抑えの3役で9回を投げ切ります。

 実は僕、継投策以外にも投手分担には意味があると思います。

 僕らは業務で手が空くと、仕事が溜まっている部署の応援や、部屋の整頓や整理を行います。

 しかし米国では労働の場合、他人を助ける頻度は相当少ないと言います。

 それは僕が誰かを助けてしまうと、その助けた人物の労働という仕事を奪ってしまうと考えるためで、例えばホテルで荷物を預けたベル・ガールがその重さに苦戦しても、旅行客は一切手伝わないし、ベル・ガールも当然の行為と受け取るといいます。

 MFLでは出番が限られているキッカー、パンター、パントリターナーも、必ずゲームの枠組みに採用されていますし、NBAでも一軍登録12名の選手の中で、ヘッドコーチはどんなに成績の振るわない選手も

 「チームの一員である」

 とみなします。

 米国が黄色人種や黒人に対し、厳しい侮蔑行為を行ってきたことは事実ですし、同性愛を公表した人間に大きな批判が向けられることもあるようです。

 ただ、根本的には(伝統的といってもよいかもしれませんが)勇気、平等に博愛という精神が今でも備わっているように思えますし、野球、バスケットボール、アメリカン・フットボールにはその意思が見え隠れします。

 米国では近年、MLSが軌道に乗り、米国代表もワールドカップ出場経験を持ちまs。

 ラグビーも需要が高まってきているらしく、この英国生まれの競技がゴルフとテニス同様に、今後米国でさらに発展するかどうかは、米国気質の中にどれだけ反映されるかが鍵となる気がします。

 フランスは人権の際、博愛を訴えましたが、プロサッカーではクラブが不調になると暴力に訴えるファンが多く、その信条から大きく逸れているように思います。

 それはサッカー大国で知られる、隣国のスペインとフランスも同様なのですがね。
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