ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



偏差値が低い学校なんだ。だから、もう先が見えた気がしてるんだ。進学も、就職も結婚も、こんなに低い偏差値だと、いいことあるわけないじゃん? なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『青春に贈る』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 これから先の十年間や二十年間では、そうとう大きな開きが出るということを心がけておいてください。(中略)
 たとえば中学校や高校の時代に、成績が中ぐらいだったとしても、学年が違えばどうでしょうか。一年下の学年へいけば、成績はかなり上のほうへくるでしょう。二年下までいくと、さらにもっと上のほうにきます。そうしたものなのです。自分は普通の成績の人間だと思っていても、普通の成績の三年生の人が一年生のクラスにいけば、かなり上のほうまできてしまいます。わずか二年ずれただけで、それほどの違いがあるのです。
 社会に出ると何十年もの差があるので、このような二年や三年の比ではありません。十年や二十年の差というものは、大変な開きです。現在どのような土台に立っていても、将来的には必ず変わってくるのです。
 したがって、「変わる」ということを前提にして、志を持ちつづけることが、非常に大事なことなのです。「自分というものは、変えていくことができるのだ。人生というものは、切り開いていくことができるのだ」と思って、十年、二十年、三十年と、志を持ちつづけることが大事です。
 この志を捨てた人は、過去の「あなた」が今後の「あなた」としての姿になるのです。
 つまり、自分の過去を見て、「自分はこういう人間なのだ」と思えば、その「あなた」が今後の「あなた」になって、六十歳になっても七十歳になっても、死ぬまでそれを引きずっていくのです。青春時代の自己評価がそのまま続くということです。
 五十歳、六十歳になると、二十歳前後という年代は何十年も前のことになるでしょうが、中高年以上になってから、何十年も前の事実でもって言い訳をするような、卑怯な人生を生きてはいけません。過去は過去として、「その後の数十年間、自分はいったい何をしてきたのか」ということを問うべきだと思うのです。過去を見つづける人生であってはならないのです。(中略)
 現在は、「偏差値社会」といわれるように、高度な教育社会になっています。偏差値などで各人の能力が細かくランク分けされていて、非常に苦しい気分がすると思います。それが、進学、就職、結婚など、いろいろな時についてまわるということが、現実にあちこちで起きてきます。
 しかし、それは過去に対しての判定なのです。過去に対しての判定は、過去の自分はそうであったということですから、潔く受け入れたらよいのです。
 過去自体を覆すことはできません。ところが、未来に関しては、覆すことができるのです。(中略)未来に関しては、過去の影を引きずらなければいけないという理由は、まったくないのです。「別の人間になりうる」ということです。これを強く自覚してほしいと思います。
(36~39ページ)

過去がどうかではなく、これからの未来に向けて、地道に努力を重ねていけば、「縁起の理法」で、かならずその努力は花開く。

自分の中身は変わっていって、「別の人間になりうる」んだ、って。

ものすごく希望に満ちていて、しかも、ほんとうにそうだよなあって納得できる教えだと、いまさらながらに思います。

このブログを書いてる私自身を含めて、私のまわりには、この教えを信じて素直に努力して、過去とまったく違う人間になることができた人が、ほんとにたくさんいます。

真実の教えの凄さに、改めて私は感激したりしているのです。
 

『青春に贈る』

 大川隆法著

 

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