肉食ってのは、生き物を殺して食べるんだから、いけないことなんじゃないの。宗教者はベジタリアン(菜食主義者)でなきゃいけないんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『仏陀の証明──偉大なる悟りの復活』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
当時は、生き物を殺すことも禁じていました。これは戒ですから、もちろん自主的なものですが、どうしてもそれに違反することはあります。空中にも生き物がいますし、道路を歩けば蟻(あり)だって這(は)っていますから、知らずに犯すことは当然あるのです。しかし、生命尊重の考え自体は大事なことです。
これは現代でも同じだと思います。現代は肉食をしますから、どうしても生き物を食べてしまうのですが、そのときも、やはり感謝の心を持って食べることです。これは必要最小限の殺生です。また、植物にも生命はありますから同じです。
ですから、無駄な殺生、無益な殺生はしないことです。そして、その生き物に必要な魂修行の範囲内で奉仕してくれていることに対しては、ありがたく感謝をして受けることです。
(126~127ページ)
当時は、戒として、生き物を殺すことも禁じていた。
現代でも、生命尊重の考えは大事なことであり、無駄な殺生、無益な殺生はしないことである。
人間は、植物も含めて、どうしても生き物を食べてしまうが、そのときも、その生き物が魂修行の範囲内で奉仕してくれていることに対し、ありがたく感謝して受けることである──。
ここで「当時」というのは、2500年前のインドのお釈迦さまの時代のことです。
今日は、大川隆法先生が、お釈迦さまの時代にあった「殺生戒」という戒律を説明された部分をご紹介してみました。
考えてみると、人間というのは、自分以外の何らかの生命を食べないと、生きていけないように作られてるんですよね。
動物を食べなきゃいいのかというと、植物だって仏さまが作られた生命を持った存在なのだと考えると、食べられなくなってしまいます。
でも、大川隆法先生は、生命を尊重する考えが大事だとしつつも、動物や植物が人間に食べられるというのは、その生き物に必要な魂修行の範囲内で奉仕してくれているのだと考えて、「感謝の心」を持って食べること、と説かれているわけです。
長らくスッキリしなかった哲学的で根源的な疑問について、改めてようやく腑に落ちた気が私はしているのです。
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『仏陀の証明──偉大なる悟りの復活』
大川隆法著 |
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