ねえ、「時間」って何なのよ? なーんてちょっと哲学的な疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
先ほど、「空間とは、光が活動すべき場のことである」と定義しました。光が光として活動するということは、結局、動きがあるということであり、それは、そこに時間的な流れがあることを意味しています。(中略)
空間が光の活動領野という本来の役割を果たすためには、その空間のなかに時間が内在していなければなりません。すなわち、「時間があってこその空間である」「空間と時間とは切り離せるものではなく、空間を空間たらしめているものが時間の存在である」「同じ場が継続して存在できるということが、光の活動の場である」と言えるのです。
光というものを単なる光線ととらえてはいけません。光を微細に分割していくと、「光子」という最小の単位となります。この光子がさまざまに集まって粒子をつくっており、その粒子から、人間の肉体をはじめ、天地万物すべてができています。すべての物体は光からできているのです。
つまり、光が固定化し、形状化したものが物質だということになります。一方、固形化していない光が、四次元以降の空間においては、霊として、あるいは霊的エネルギーとして存在しているのだと言えます。
要するに、三次元をはじめ、四次元以降の世界のすべてをつくっているのは光であり、すべてのものは、本来、光なのです。
このように、光がすべてをつくっているのですから、「光の活動の場が空間である」ということは、「光の活動すべき場がなければ空間は存在しない」ということを意味します。したがって、三次元以降の多次元空間をつくっているのは、「光」と「光の活動」ということになります。
それゆえ、「光の活動を実現させるべき時間がなければ、空間もないし、物質も霊も何もない」ということになってしまいます。そこにあるのは、ただ単に浮かんでいるだけの、蜃気楼のごとき空間であり、ほんとうの意味での空間、光の活動すべき空間ではないわけです。
空間が空間である理由は、光が活動しているということなのですから、「時間は空間を存在させている重大な因子である」ということを理解しなくてはなりません。
こうしてみると、仏が創った世界、すなわち、三次元以降、四次元、五次元、六次元、七次元、八次元の世界というものは、どうやら、時間を内包した空間と、そのなかを動く光――こうしたものだと言えます。
したがって、仏が世界を創っている要素は三つに集約されます。「光」「空間」「時間」――この三要素でもって、仏は世界を創っているのです。
「光」が変化して、いろいろな次元相応の物体、霊体をつくっている。光が光として活動できるためには、活動の場としての「空間」が必要である。また、光の活動をあらしめるためには、「時間」の流れが必要である。光が光として流れていくためには、光が届いていくためには、時間の経過が必要である。そこで、「光」「空間」「時間」という三つの要素でもって、仏は天地創造をなしている。
こうした認識をすることができるのです。
(217~222ページ)
三次元をはじめ、四次元以降の世界のすべてをつくっているのは光であり、すべてのものは、本来、光である。
空間と時間とは切り離せるものではなく、空間を空間たらしめているものが時間の存在である。
仏が世界を創っている要素は、「光」「空間」「時間」の三要素に集約される──。
ということで、今日は、ちょっと哲学的で難しい話です。
大川隆法先生が、「時間」を切り口にしつつ、この世の成り立ちの秘密を解きあかされたお教えの部分を、ご紹介してみました!
|
『永遠の法』
大川隆法著 |
(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)