成功してる人、見るとさ、不幸になっちゃえばいいのにって思っちゃうのが普通じゃないの。そんなんじゃダメなのかなあ? なーんて疑問持ってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『死んでから困らない生き方』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。
「他の人を不幸な状態に引きずり込めば、自分が幸福になる」という気持ちは、ある程度は、誰しも持っているものですが、そういう気持ちが、もし自分のなかにあったならば、やはり、考え方を変えるべきです。すなわち、幸福な人が出てきたら、努力して、そういう人たちを祝福する気持ちを持ったほうがよいのです。成功した人に対して、「よかったね」という心を持つことが、あなた自身が向上し、成功していくための、よい方法なのです。
私も、若いころは、他人との比較でずいぶん悩んだことがあります。自分が他人よりも劣っていると感じたり、失敗したと感じたりして、不幸感覚が非常に強かったのです。若いころはかなり純粋だったので、傷つきやすかったわけです。
しかし、私は、あるとき考え方を変えました。「成功した人に対して、『おめでとう』と言える気持ちになろう」と努力したところ、人生が非常に楽になってきたのです。
人を幸福にすることが自分の人生の目的であるならば、幸福な人や、成功した人が出てくることは、「よいこと」であるわけです。そのような考え方をするようになると、自分自身に対して同情したりする時間が少なくなってきます。それが大事なことだと思います。(中略)
みなさんは、それぞれ固有の人生を生きており、そのなかで幸福を見いだしていくのは難しいかもしれません。しかし、「他の人と同じではない」ということを、それほど嘆く必要はないと思います。人とは違う自分独自の人生、自分特有の人生を生きているということは、実に喜ばしいことです。
まったく同じ人生を生きる人は、二人も三人も要りません。「人と違う」ということは、よいことなのです。
それから、人生には、挫折や失敗や病気など、いろいろなことがありますが、それをどう捉えるかは各人の考え方次第です。
例えば、病気をすることによって、家族のありがたみというものがよく分かることもあります。また、貧乏をすることによって、勤労意欲が湧いたり、貧乏な家に生まれたことで、一代で大きな事業を起こすような子供が出てきたりすることもあります。
すべては、幸福と不幸のどちらの条件にもなりうるのです。したがって、私は、「こういう条件が与えられ、こういう環境が与えられたら幸福で、そうでなければ不幸である」という考え方は、あまり好きではありません。
むしろ、そのような考え方をすることによって「自己洗脳」をし、努力しない生き方をすることのほうが問題であると思います。若いころの苦労や、中年期における苦労などを言い訳にせず、自分固有の人生を愛し、そのなかから自分の「生き筋」を見つけることが大事です。
あまり極端な成功は求めなくてもよいのです。中間的な成功でもよいので、「自分としては、十分に、よく生きたかな」と思える人生も悪くはないと思います。
そのように、ものの考え方を少し変えていったほうがよいでしょう。
(100~107ページ)
幸福な人が出てきたら、努力して、そういう人たちを祝福する気持ちを持つのが、あなた自身が向上し、成功していくための、よい方法である。
人生には、挫折や失敗や病気などいろいろなことがあるが、すべては幸福と不幸のどちらの条件にもなりうるから、それを言い訳にせず、自分固有の人生を愛するなかから、自分の「生き筋」を見つけることが大事である。
大きな成功は求めなくてもよい。中間的な成功でもよいので、「自分としては、十分に、よく生きたかな」と思える人生も悪くはない──。
今日は、成功に対する考え方の基本を、やさしい語り口ですが、しかしじっくりと教えていただいた感に打たれています。
この教えが、どの国のどんな立場の人にとっても「魂の糧」になる、いかに普遍性をもった救済力のある教えであるのかが、改めて、とてもよく分かる気がしています。
一人でも多くの新しい方が、この大川隆法先生の素晴らしい教えに触れることで、幸福への道を歩み始められますように!
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『死んでから困らない生き方』
大川隆法著 |
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