日本人って、信仰もってない人が多いし、やっぱり信仰心のない国民なの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
日本神道では、昔から神と富とがかなり融合しています。「御利益がなければ神ではない。祈願をすれば、商売は繁盛し、健康で、家族が仲良くできて、とても幸福になる。これでこそ神である」と考えます。
この思想が日本に深く根を下ろしているために、戦国時代以降、キリスト教が日本に入ってきても、なかなか広がりません。イエスについて、「その“西洋の神様”は、捕まって十字架にかかり、殺されたというのか。それでは、御利益がない。神なら戦で勝たなくてはいけない」と考えます。(中略)
キリスト教には、ある種の悲劇性のようなものが流れていることは事実です。どちらかというと、「人間は、もともと罪人なのだから、罪を贖うためだと思って、病気や試練に耐えよ」というような教えのほうが多く、そのような考え方で、わりと落ち着くのです。(中略)
日本の神はというと、やはり、「もっと“ハッピー”でなくてはいけない」と考えます。江戸時代の後半以降に起きてきた宗教を見ると、天理教や黒住教などにしても、「陽気に明るく生きていこう」という、「陽気ぐらし」系の思想が強いのです。(中略)日本神道の中心指導霊は、こういう考えに近いのです。
これは日本の“古代の思想”なのですが、意外にも、現代のアメリカは、これと同じような一種の光明思想を持っていて、「発展することは、よいことだ」という考えを、ここ百年以上、持ち続けているように思います。
日本の宗教はレベルが低いかと思いきや、案外そうでもないのです。「日本神道は“中身”がない」という説もあるのですが、前述したように、日本人には、イエスの受難物語を聞いて、「これを神とするには足りない」と判断するような宗教的知性があることはあります。「自分も救えない人が、どうして人を救えるのだ」と考えるような智慧があるのです。
その意味では、なかなか隅に置けません。中身がないように見えて、意外に中身があります。日本神道は、宗教として二千年以上の歴史を持っているだけのことはあって、したたかなのです。(中略)
日本人は数多くの宗教を経験してきました。いろいろな宗派が並び立ち、長い間、宗教同士が競争してきました。日本人は、旧い宗教をたくさん見てきたため、とても目が肥えていて、新しい宗教が出てきても、そう簡単には信じません。「騙されないぞ」と思い、すぐには信じないで、じっと見ています。
「無神論です」「無宗教です」などと言っていても、ある意味では、宗教に関して、“玄人(くろうと)好みの趣味”を持っているので、そう簡単には乗ってきません。「偽物には食いつかないぞ」と考えるだけの伝統があるのです。(中略)
日本は、外国の宗教にとって、伝道がとても難しい国なので、「日本人は信仰心のない国民だ」と言われたりするのですが、実は、宗教が多すぎ、目が肥えすぎているため、そう簡単には信じられないのです。それが真相です。(中略)日本人は、宗教に関して、「料理の味にうるさい人たち」のようなところがあると思うのです。
(142~149ページ)
日本人には、イエスの受難物語を聞いて、これを神とするには足りないと判断するような宗教的知性がある。
日本神道は、宗教として二千年以上の歴史を持っているだけのことはあって、中身がないように見えて意外に中身があり、したたかである。
日本にはいろいろな宗派が並び立ち、長い間、宗教同士が競争してきたため、日本人はとても目が肥えていて、“玄人(くろうと)好みの趣味”を持っているため、新しい宗教が出てきても、そう簡単には信じないのである──。
日本は、外国の宗教にとって伝道がとても難しい国なのはなぜか。
大川隆法先生は、その原因を、とても深い洞察によって読み解かれています。
この日本では、幸福の科学のように中身も深みもある宗教であっても、簡単に爆発的には広がっていないように思います。
それがなぜなのかも、このあたりにも原因があると考えてみたとき、見えてくるものがあるように私は思っているのです。
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『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』
大川隆法著 |
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