地獄って、なんであるのよ。神さま、仏さまがほんとにいるのなら、なんで地獄をなくしてしまわないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『霊的世界のほんとうの話。』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
地獄というものは、ある意味では罰なのですが、別の意味においては病院なのです。地獄霊は、まさしく病人と同じです。
「地獄をなくせばよい」という考えは、例えば、「病人をなくせばよい」という考えと同じなのです。これは、「爆弾を落として病院を粉砕すれば、病人がいなくなるかどうか」ということです。あるいは、「病人は特別な生き物だから、地上に置いていてはいけないと考えるかどうか」ということです。
病人というものは、もともとはいないのです。もともとは健康な人間しかいないのですが、不養生をするなど、何か原因があって病気になっているのです。しかし、「病人であっても、やがて治れば健康人に戻る。本来の実相は健康人である」と仏は考えているわけです。
あなただって病気をするかもしれません。そのときに、すぐ抹殺されたら困るでしょう。本来は健康なのに、病人になったからといって、「おまえは病院行きになった。病院に入った人は、もう役に立たないから、殺してしまう」と言われたら、困るでしょう。
したがって、「地獄は、ある意味では罰でもあるが、病院でもある」という寛容の目で見てあげる必要があります。
あなただって地獄へ行く可能性はあるのです。地獄へ行ったとき、魂を消されたいかどうかを、よく考えてみると、たとえ五百年かかっても、反省して生き延びたいでしょう。
地獄霊は病人と同じだと考えてみてください。
本来の姿ではないけれども、運動不足や過食、仕事のしすぎなどで病気になることはあります。そのときに、その人を消してしまってよいと言えるかどうか、その人は存在が許されないかどうか、それを考えれば、「仏は、そうとう長い間、待っている、慈悲深い方だ」ということが分かるのです。
(185~187ページ)
地獄とは、ある意味では罰であるが、別の意味においては病院である。
地獄霊とは、病人と同じである。
病人であっても、本来の実相は健康人であって、やがて治れば健康人に戻ると、仏は慈悲深く考えておられる──。
なんとありがたい世界なんでしょう。
地獄霊が健康な魂に戻るのを、寛容に待ってくださっている。
地獄をも、その御手で支えてくださっている。
それこそが、御仏の慈悲である。
なんてありがたいことかと改めてしみじみと私は感じているのです。
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『霊的世界のほんとうの話。』
大川隆法著 |
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