ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



前回、天皇というのは、日本神道の神々をお祀りする「神官の長」なんだから、「神官」のほうじゃなく、日本神道の神々を尊崇するのが正しいあり方だって、教えてもらったよ。じゃあ、その日本神道系の神々は、どう考えてるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『保守の正義とは何か』(幸福の科学出版)で、その日本神道系の神々の長である天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の言葉(霊言)を、次のように伝えておられます。

 マッカーサーは、日本を占領したあと、「やはり、裕仁天皇を立てなければ、国が治まらない」と見て、元首的な扱いをしようとしました。それは事実だと思います。しかし、実権は、決して与えようとはしませんでした。
 ただ、日本の伝統的な歴史においても、そういう面は多々あったのです。
 たまたま、時代の転換期に、能力のある天皇、あるいは、世俗的な言葉ではあるが、野心的なる天皇が出たときには、天皇が実権を持ったこともあります。
 けれども、時間的に見れば、政治の実権を、豪族や貴族、あるいは武家が握っていた時代のほうが長く、そうした者たちが勢力抗争を繰り返してきたのが、日本の歴史であるのです。
 天皇家が現在まで、公式には二千六百年、実質はもう少し短いと思いますが、それだけの年数、連綿と続いてきたのは、そうした権力闘争の渦中にいないことが多かったためであると思われます。
 そうしたことを総称して、大川総裁は、「文化的な象徴」と言っておられるのだろうと私は思います。
 もっとはっきり言えば、「宗教文化的象徴である」と思うのです。
 しかし、日本の国体においては、現在、宗教的なるものが非常に弱い立場に置かれているために、「宗教文化的象徴」という言葉を使わずに、「文化的象徴」という言葉を使われたのでしょう。(中略)
 例えば、最高裁の裁判官は、国民審査でバツを付けられ、そのバツが過半数を超えなければ、裁判官を続けられるようになっています。
 もし、天皇が、それと同じように、「天皇であること」を国民に審判されるようになれば、制度的には民主主義の考え方と非常に合うのだろうとは思いますが、そうなると、国体としては危機になります。
 その意味で、「天皇は、民の選択の圏外になければならない。いかなる意味においても、天皇を、能力競争あるいは勢力抗争のある実体的な立場に置いてはならない」と思います。
 そういう立場に置けば、滅びるのは、実に簡単であります。大昔から現代に至るまで、奈良、平安、鎌倉、室町、戦国、江戸と、いろいろな時代がありましたが、もし天皇が、政治と完全に一体化していたのであれば、どの時代に滅びていたとしても、おかしくはないと思います。
 天皇が、そうした現実の政治における権力の争奪戦から、いちおう遊離していたために、現在まで、国体として続いていると思います。(中略)
 私の考えは、だいたい、そういうところです。日本の歴史を見るかぎり、「文化的象徴」というのは正しいことであり、「天皇が、日本の政治的最高権力者である」という定義であったならば、皇室は、とっくに滅びているはずです。
(23~30ページ)

日本の歴史は、豪族や貴族、武家が政治の実権を握って、勢力抗争を繰り返してきた時代のほうが長い。

皇室が現在まで連綿と続いてきたのは、そうした権力闘争の渦中にいなかったためであって、「天皇が日本の政治的最高権力者」であったならば、皇室はとっくに滅びている。

大川総裁が「文化的な象徴」と言っておられるのは、日本の歴史を見るかぎり、正しいことである──。

大川隆法先生が、天皇を「文化的な象徴」と説かれた御法話については、以前、ご紹介したことがありました。

天皇問題(ご皇室の問題)に関して幸福の科学の考え方をどうこう言っている右翼の方がまだいると聞きますが、日本神道系の神々の長のお考えも、大川隆法先生と一致しているという事実を、ぜひとも知っていただきたいと思います!



『保守の正義とは何か』

大川隆法著


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