幸福実現党って、天皇制について、どう考えてるの。廃止するつもりなんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福実現党宣言』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。
天皇制自体は百二十五代続いていて、二千数百年の流れを持っているものであり、外国には数少ないものであるので、制度そのものは何らかのかたちで残しておいたほうが、日本の国にとってはよいだろうと思っています。
ただ、今の天皇が、政治的に、ある意味では元首にも見え、ある意味では元首でないようにも見えること、つまり、鳥でも地上の動物でもないコウモリのような立場に置かれていることに関しては、一定の疑問を持っています。
明治以前の場合は、どうであったかというと、天皇は一種の文化的象徴だったと思うのです。京都に住んでいて、文化的象徴だったわけですが、「薩長連合軍が幕府を倒しただけでは国が安定せず、何か重しが必要だ」ということで、「錦の御旗」を繰り出してきて、天皇を政治的存在に祭り上げ、新政府をつくったわけです。
その兵法を使った人は天才的ですが、天皇は、歴史の舞台において、必ずしも、いつも政治的なトップであったわけではありません。これは、日本の歴史を見れば、そのとおりです。天皇は、文化的には存在していましたが、政治的には、表に出たり引っ込んだりしている存在であり、たいていの場合は幕府等が実権を持っていました。
幕府が変わるようなときには、天皇の存在によって、よくなることもあったり、政治的混乱に陥ったりしたこともありましたが、天皇制が長らく続いてきた背景には、日本神道系の神意がそれなりに働いていたのは確かでしょう。(中略)
「天皇は、形式的な仕事はしてもよいが、実質的なことはしてはいけない」というのが憲法の趣旨です。(中略)外国の要人と会うときには、現実には元首のように振る舞っているのですが、実際には何らの権能も責任も持たないことになっています。これは非常に分かりにくい体制です。(中略)
実は、日本という国が外国から信用されていない理由は、ここにあるのです。「誰が意思決定をするのか分からない」と言われているのです。「意思決定者をはっきりさせなさい」ということです。
もし、内閣総理大臣が元首であるのであれば、そちらと交渉すれば全部決まるわけですから、そうであれば、天皇陛下は文化的存在としてお祀りすればよいのです。天皇を政治のほうに入れるべきではないと思います。
逆に、天皇のほうが、政治的にトップだというのであれば、何らかの判断権がなければならないでしょう。判断と責任が生じるのは当然です。そうすると、先の戦争のようなときには、当然、戦後は死刑になっているはずです。(中略)
私としては、「内閣総理大臣のほうに元首としての責任がある」ということを明確にしてもかまわないし、あるいは、できれば大統領制を敷いたほうがよいのではないかと考えています。
そうしないと、日本という国は信用されないのです
(49~57ページ)
天皇制が、百二十五代と長らく続いてきた背景には、日本神道系の神意がそれなりに働いていた。日本の国にとっては、天皇制そのものは何らかのかたちで残しておいたほうがよい。
ただし、今の天皇が、元首のようにも、そうでないようにも見えることが、日本という国が外国から信用されていない理由にもなっているので、内閣総理大臣を元首と明確にするか、できれば大統領制を敷いたほうがよい──。
本年4月30日に説かれた、この「幸福実現党宣言」を踏まえて、6月15日になって、「新・日本国憲法試案」が出されたという流れでした。
つまりは、ここで説かれた考え方が具体的に提案されたのが、天皇制を文化的伝統として尊重し、大統領制を採用する、「新・日本国憲法試案」なんだってこと、なんですよね!
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『幸福実現党宣言』
大川隆法著
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